2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

やっさん岩手~宮城活動報告1

やっさんです。

4月21日より岩手の最北端被災地の久慈に向かい、
そこから南下しさらに被災の激しい所を移動しました。

今回の活動の目的はいくつかあります。一つは北にあります
野田村での瓦礫撤去や泥出しなどのボランティア活動。
二つ目はさいたま北商工協同組合の方々や近隣の人から
提供された支援物資を野田村役場に差し上げること。
この2つの目的のためにトラックの荷台が満載になり、
そのパッキングがなかなか終わらなくて、徹夜で出発となりました。

目的の三つ目は聖学院大学NPO法人コミュニティ活動支援センター
の理事として、今後の長期にわたる学生さんのボランティア活動派遣
ができる地域を探りながら、岩手県の被災地の状況を確認する視察活動。
そして、四つ目が看板屋さんとして、看板仕事人の仲間と制作した
「よみがえれ東北!ステッカー」を現地の方々に差し上げて応援すること。

ちょっと、複合的な要素が多かったため、サポートチームの活動とは
別に考えさせてもらいましたが、現地を見たあとでは
そんなことも言っていられずに、私の見たこと感じた事を
報告させてもらおうと思います。

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◆1日目4月21日木曜日

早朝4時半出発ですが、前日の準備で一睡もできませんでした。
同行者は聖学院大学の職員Sさん。この方はせいちゃんも知っていて
今までともに中越被災地の雪かきや、柏崎での活動もしてきた人です。

東北道を一気に北上して、岩手県の北にある久慈市に入りました。
こちらにはSさんの大学時代の友人が居酒屋を経営しているということで、
知らない土地よりも知っている人を頼る事も必要です。
久慈市は港湾部は大きな被害を受けましたが、死者も4名ですでに町の機能は
回復しており、こちらの駅前ホテルを宿とし拠点としました。

さすがに700キロは遠く、到着は午後3時でしたが、
被災の激しい隣町の岩手県野田村に行き、村役場の災害対策本部に
物資を届けました。野田村の被害状況は
死亡者37名・行方不明者0名、家屋被害・全壊家屋300棟以上・半壊家屋150棟以上
行方不明者がいないということで、すでに合同葬儀も行われていました。
社会福祉協議会によるボラセンも、物資・運営ともに機能的に行われており、
安心してボランティア活動ができる場所です。

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北からの支援も多く入っているということで、体育館は物資の山でした。
そのため、役場でも受け入れる物資は生活用品に限られていました。
こちらで持っていった物資をどうしようかと悩んでいましたところ、
近くの特養老人ホームを紹介していただき、そちらに物資の一部を届け、
次にはそこからそばの保育園を紹介してもらい、そちらにも子供の遊び物等を
届けることができました。津波で村で一番大きな保育園は流されてしまい、
残りの保育園に振り分けられたため、子供のものは足りないということでした。

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その後海沿いの被害の大きな場所を歩きましたが、津波の恐ろしさを
ただただ感じるばかりです。瓦礫の撤去は進んでおり、今後は復興に向けた
活動が進んでいけそうな、唯一といえる被災地でした。
夜はSさんの友人のお店で旧交を温め、久慈市のホテルに泊まりました。

写真は保育園の先生たちと海沿いの防潮林が引きちぎられなぎ倒された姿です。
この大木が槍のように町を襲い、家を破壊したという話もありました。
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by aoesupport | 2011-04-22 23:00 | 活動報告など