2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

こもゆうチームGW前半参加メンバー感想①

今回は4月30日~5月3日までの前半組として、参加しました。
活動場所は牡鹿半島・明神社で作業をしてきました。
前回と比べて一日長かったので、文章も少し長くなります。
また、基本的にはその土地で出会った方々との会話で感じたことを
書きますので、作業内容には触れません。
なぜなら作業内容は行って作業をした方全員が感想をかけますが、
人とのふれあいはその人その人で変わってくる物だと思うからです。
だからこそ自分は現地の人のリアルな言葉を書こうと思います。

・牡鹿半島
牡鹿半島は人の手がほとんど入っていない状態で、津波がきた時に等しい状態でした。
船は陸に押し上げられ、網や浮きも流され、牡蠣も陸に打ち上げられていました。
その風景は前回の4月8日とは比べられないほど酷く見えました。

・漁師さんとの話
自分は作業中に地元の漁師さんと少しお話をすることが出来ました。
漁師さんによると、「この海は本当に色んな種類の物が取れたんだ。
ちょうど津波のまえはワカメを取っていたんだけど、すべてダメになってしまった」
「俺の船は大丈夫だったけど、知り合いの船はダメになった物もいっぱいある。」等。
胸の内にしまって置きたい話だったかもしれません。
しかし、漁師さんは色々詳しく話してくれました。
また「最近は原発問題が大きく取り上げられている。確かに酷い状態だ。
だけど、あれは人の手で作ったものだから壊れてしまったんだ。それに
比べて俺らは何もしてない。何もしてないのにこんな被害にあってしまった。」

この言葉を聞いて自分は凄く驚きました。
確かに原発の問題は甚大な被害が出ているし、そのために避難している
方々も沢山いる。しかし、原発は人間の手で作ったものであっていつかは壊れる。
しかし、魚や貝は自然からの恩恵を受けて初めて成り立つもの。
人の手が加わって育てたものもあるが、自然が育てた物も多い。
自分は漁師さんの言葉に感銘を受けました。

・牡鹿半島に住む小学4年生との話
自分らは休憩中に鯉のぼりを立てる事にしました。その作業中に一人の少年と
出会いました。この少年は小学4年生であり、スポーツ大好き・人と話す事や
遊ぶのが大好きな少年でした。しかし一人で遊んでいました。
そこで「友達はどうしたの?」と聞くと「みんな外の親戚の家にいった。」と言った。
それを聞いてこの子はたまたま一人で遊んでいた訳ではなく、友達が
みんな疎開してしまったから一人で仕方なく遊んでいたんだと気付きました。

それを聞いて自分は、この一時だけでもこの子の遊び相手になりたい!と思い、
遊ぶ事にしました。また、鯉のぼりを立てる作業も一緒にやろうと考えました。
自分は鯉のぼりを立て終えた時に「お前が立てた鯉のぼりだ!」と声をかけました。
というのは、ここ で俺らは確かに遊んだし、一緒に鯉のぼりを上げたんだ
ということを強く印象づけ、俺らが帰った後もこの鯉のぼりを見れば俺らを思いだし、
少しだけでも寂しい気持ちをなくせたらと思ったからです。
最後に自分はこの子から「レモン水」をもらいました。しかも支援物資。
でも少年は「楽兎(実際は本名で)が遊んでくれたからお礼だよ」と言ってくれました。
自分は少年の気持ちをくんで素直にもらう事にしました。
そして「また会おう」と約束しました。

・寝泊りをした湊中学校(避難所)で出会ったおばあちゃん
朝、自分とKは喫煙所に煙草を吸いに行った時です。その喫煙所には4脚ほどの
椅子があるんですが、そこで80歳代のおばあちゃんが煙草を吸っていました。
自分らは「おはようございます。」と声をかけました。すると少し間が
空いてから「ボランティアの方?」と聞かれ、少し話をすることになりました。

話によると、湊中学に約60日ほどいる事がわかりました。
また、自衛隊の動きが早くて助かったとも話してくれました。
また、一回目の仮設住宅入居希望者の抽選で落ちてしまい、
第二回の抽選がとおればいいな~って言ってました。
自分は仮設住宅の設置が遅れていることは知ってはいましたが、
現状に出会うとは思っていませんでした。さらに話を聞くと、
いつもは湊中学4階で生活しているようで、やはり階段が苦になっているそうで、
ご飯も1日2回(炊き出しなどは1日3回ありますが)しか取りにいかないそうです。
理由は前記の通り、階段がつらいから一回は取りにいかないと話してくれました。
自分は「大丈夫なんですか?」と聞き返しました。
すると、「一回の食事より一回の階段のほうがつらい」とのことでした。
せっかく食事や水は毎日出されているのに、階段があることによって
阻まれるなんて、本当に勿体ないと思いました。
湊中学校には60名ほどの被災者が避難していますが、ほとんどがご老人だと
聞きました。だとしたら、階段の上くらいまで運ぶとしても、
そんなに労力はつかはない数です。何とかできないものかと思いました。

・明神社
最終日に自分らは明神社にて、流れ着いたものの整理やそれを収納するための
絵馬倉庫の修復をしました。ボランティアを始めて、初めてアルバム・写真を
目にしました。そこには被災された方、亡くなられた方の思い出深い品々が
たくさんありました。それだけに、天災とはいえ、なぜ津波に襲われて
しまったんだろうと、今まで以上に考えさせられました。

以上です。

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2回目の活動での感想ありがとうございました。
若いメンバーの素直な感想から知らされることも
たくさんあると感じました。子供の話、おばあちゃんの話
漁師さんの話、どれもマスメディアでは伝わらない話ですので、
重要な情報だと思います。次は「何かできないか」と感じた事を
実行するために周りの人に話をして、協力をもらってください。
そして、また会おうと言った少年に会いにいってください。(やっさん)
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by aoesupport | 2011-05-08 10:00 | 活動報告など