2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

やっさんの石巻GW滞在感想と今後の展望

やっさんです。(5月6日~8日の報告です)
GWに少し時間が取れたので、やっと石巻市で活動することができました。
前回の4月は夜に立ち寄っただけでしたので、町の景色も見れず、
吉村せいちゃんの南境センターと石巻専修大学の会議に参加しただけ
でしたので、実質今回が初めての石巻市です。
b0213209_17442681.jpg

予備校時代の友人で今までも神戸・柏崎でいっしょに活動していたS君と
5日夜中に出発し6日早朝に到着予定で高速をトラックで移動します。
途中道を間違えてしまい、仙台東道路を通りましたが、朝日に照らされる
風景に愕然としました。高速が堤防となり海側は壊滅、山側は普通のままです。
海岸線からかなりの範囲での被害は今までの岩手・宮城では見たことの無い
風景です。平野部分はほとんどが津波でさらわれたということです。

石巻市で高速を降りると、確かにコンビニが24時間営業をしていました。
お店の中も回りも普通ですが、こもゆうさんの感想にあるように、
ここも地震の被害の大きなところだったはずです。こうやって、少しずつ
復興していき前の状態に戻ることで、我々ボランティアも安心することが
できるのが通常の被災地ですが、石巻駅周辺を動くとまだまだひどい状況です。
朝の早い時間に港周辺の道を通り、石巻駅周辺を視察しました。
せいちゃんたちボランティアさんの活躍で、町はかなりきれいになった
のでしょうが、瓦礫や土嚢袋がつみあがり完全な回収がされていないため、
埃が舞い上がり衛生面の心配とともに、電気の復旧していない地域では
不安で夜は歩けないのではとも感じました。

南境センター周辺は牛丼屋さん、和食レストランも開店していて、少し
活気のある町の雰囲気がありました。こもゆうさんレポートどおりです。
南境センターでせいちゃんの寝起きを襲おうと、こっそり向かいましたが
もぬけの殻です。柳澤のんちゃんに電話をすると牡鹿半島にみんなでいる
ということで、作業道具や水食料を積み込み石巻市を出て牡鹿に向かいます。
宿泊場所もあるということで、石巻市に戻らずに活動拠点を牡鹿にできる
ということなので、漁業復興ボランティアが今回の作業になりました。

牡鹿半島は「おしか」と読みます。以前は女川町といっしょの牡鹿郡にある
牡鹿町だったのですが、石巻市と合併したために石巻市牡鹿となりました。
海に囲まれた半島ですので、被害の大きさは予想していたのですが、
実際は山で切り立った場所に少しの入り江で漁業をして、学校や家などは
山の少し上のほうに立っている所が比較的あります。そのため、被害の
ひどいところは壊滅ですが、少し山側は家も残っていました。
b0213209_17323443.jpg

しかし、道路はその多くで地割れ・陥没があり、通行注意の箇所があります。
住宅地に入って驚いたのは、震災後2ヶ月弱というのに被害がそのままに
感じられたことです。それは住民の生活も同じ事で、センターでの配給を
見ましたが、パックご飯にカップラーメン、缶詰、菓子パンが住宅ごとに
分けられていました。炊き出しも1度あっただけとの話でした。

誠ちゃんとのんちゃんが基地にしていたのが、牡鹿の大原地区センターです。
こちらは津波で一部浸水しましたが、今は災害対策本部としてホールを使い
隣にある和室を誠ちゃんたちに開放してくれています。
ライフラインは電気があり、水は沢の水を引いて流しています(飲用微妙)
ガスはまだありません。隣の石巻市役所支社に水洗トイレがあり使用できます。
b0213209_17331160.jpg

金曜日はアポックや和歌山から来た親娘さん、神戸中京の大学生2名などと、
排水溝・どぶの泥さらいをしました。高台に避難している方の生活排水が
詰まってしまい町の衛生状況が悪くなると言うことで、そちらを最優先に
作業する指示を地元のゆっちさんにしてもらいました。作業をしていると
港のフィッシャーマン達が、こちらの重機・トラック類を見て港に上がっている
瓦礫や、倒れたフォークリフトの移動などを依頼してきました。
津波で小渕浜に残ったフォークリフトは1台だけ、それだけでは、屈強な
男達も作業が進むわけはありません。誠ちゃんたちの進める重機連携の
ボランティア活動は、直接生活を生き返らせる役割があるようです。
b0213209_17334855.jpg

夜はセンターでアポックと久々の飲み会です。こちらのセンターでは
飲酒可ということで、一日の疲れをいやします。地元の方もビールなど
センター内においてありますので、勝手な所業ではありません。
飲み語るうちに疲れから倒れるように寝てしまいました。
b0213209_17351121.jpg

土曜日は早朝から準備をして8時には作業開始できます。
仙台からハマーが登場しましたので、AOEメンバーが増えました。
再び同じ小渕浜に向かい、昨日の作業の続きを進めます。
午前中に東京都のボランティア団体が25名で合流してくれましたので、
地元若手リーダーのゆっちさんといっしょに作業の割り当てをします。
25名が5名ずつの班に分かれて、リーダーを置いています。
漁師さんの漁具回収作業とどぶの泥出し作業に分かれて作業を進めます。

都のボランティア派遣の方はきちんと休憩をいれて、システマッチックに
作業をしていきます。やや違和感がありますが、こちらが一般のボラの姿
ではないでしょうか。それでも汚い現場に文句も言わず、老若男女みんなが
黙々と作業してくれました。同時に、牡蠣養殖センターの片付け依頼も
ありましたので一部をそちらにマッチングしてと、現地コーディネートは
その場その場で要望が重なるので大変です。誠ちゃんなど毎日これですからね。
b0213209_17343017.jpg

都のボラさんたちは3時までの作業で石巻市に道具の返却報告に帰らなければ
いけません。実働3時間くらいなので、参加した人には物足りなさもある
様ですが、システムですから仕方がありません。見送りをした後で、
残った作業は我々AOEメンバーとアウトドアグループ4名でやっつけて
おきました。6時までの作業で今日一日が終わりました。
一日の疲れを取るのにお風呂が欲しいのですが、さすがにその準備はありません。
しかし、車で15分の荻浜中学には企業提供の大きなお風呂があるということで、
3名でお風呂をいただきに行きました。すばらしいお風呂で、沢の水を
沸かしているから温泉みたいだぞと言われ、地元の人と話をすると、
こちらの浜にもボランティアが欲しいと言うことで、早速誠ちゃんに
マッチングして、後日ボランティアが手伝いに言ったようです。

この夜ででいいのんちゃんや私も帰るということで、大原区長さんたちが
懇親会をひらいてくださると言うことでした。そこには区長さん夫婦、大原港
代表・大原住民代表・市議さん・県議さんと集まり、今後の話し合いをしました。
この大原ベースを中心に、牡鹿とボランティアが結びつき、港と漁業の復興から
石巻市全体の復興にむかうことができないかという話になりました。
b0213209_17354998.jpg

港の中心の方が言いました。「今まで真っ暗闇だったけど、ここ数日ボラさんが
来たおかげで、うっすらと小さな明かりが見えてきたようだ。」
皆、頷きました。
ありがたい言葉です。そして、今後も宿泊場所としての使用許可をいただき、
週末だけでも継続的な活動を続けることを約束しました。誠ちゃんもしばらく
海をベースに支援活動を続けていくので、平日も誰かは滞在することになります。

ここにきて、AOEのワークキャンプを思い出している人いませんか?
我々が大学生の時にフィリピンや他地域で交流を目的にしたキャンプを
行ってきました。どの町に自分が身を置くかは、その時の運みたいなもので、
あの時も隣にも貧しい村があったわけですがキャンプした村が中心でした。
今回の震災の規模はあまりにも大きく、その活動を広げようと思うと、
どこまでも厳しい環境に置かれている人を追いかけてしまいそうになります。
しかし、できることは限られているので、震災2ヶ月を迎えようとしている今、
活動のベースが決まれば、次のステップの作業を進めることができます。

ボランティア活動と交流活動は違うと言う人もいるのはわかりますが、
もし可能であるならば、名も無き一人のボランティアで終わるのではなく、
数年、十数年かけて共に進む友人のような支援活動をしてみたい
なと
個人的には思っているわけです。その際には、学生の時には無かった
個人の力や周囲の協力を得て、何ができるか考え進めていくことが
できるかなと。そうすれば、サポートチームのみんなも現地に関わる
種類や方法が増えていくのかなと、考えています。
b0213209_17363077.jpg

2011・3・11 14:46この時間からこのチームも始まりました。
長くなりました。語りたい言葉がたくさんあります。皆さんの意見も
聞きたいので、MLやブログのコメントお待ちしております。(やっさん)
[PR]
by aoesupport | 2011-05-09 23:00 | 活動報告など