2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

8月末の活動報告 柳澤のんです

柳澤のん です

8/25〜29まで大原と小渕浜そして塩釜市、金山町へ入りました。

金、土、日曜は息子(5年生)と私の父、母と私で塩釜市にいる母の友人
(丘陵地の地盤が崩れかかってもうすぐ家を出なければならない)宅にお世話になりました。
その近くの海水浴場で有名な七ヶ浜と七ヶ浜町ボラセン、七ヶ浜国際村を訪問しました。
国際村には高台にコンサートホールを併設した施設が全くの無傷で建っているのですが、
その見晴らし台から見える景色は畑や田んぼの中が車や倒壊した家屋が散乱していました。
また浜辺ではお盆を過ぎた頃から、ようやく行政が大型の重機を持ち込んで、
流れ着いたコンテナや鉄骨の集積をし始めたとのことです。
そして2〜300人規模のボランティアが浜辺の清掃をやっていました。
この辺りは、まだガテン系の手が必要と思いました。

そこから我々は石巻市内を通り牡鹿半島へ車で移動しました。
まず大原へ向い、私は棟梁と奈良から来ていたロバートと共に矢川へ向い、
住職が倉庫として使用している「大和園小渕ベース プレハブ」の返却日程の
交渉をしました、その間、私の母と父は住民の小野寺さんと大原~矢川、泊地区を
軽トラックで案内してもらいました。
その夜は小渕の委員長宅に家族でお世話になりましたが、委員長宅は
非難されていた30人程の方々が皆さん仮設住宅へ移られたので、
家には奥様と委員長のお二人と長い廊下で続いている奥の家に委員長の
長男家族だけで、ほんの数ヶ月前の事を忘れてしまいそうな程 静かな家の中でした 。

私の息子は「気のきいた言葉が無いんだけど、なんだか、まだ、とても散らかっている様子だね」
という感想を口にしていました。そして「僕はここに来ても(力不足で)何も出来ないよ」
と言っていましたが、でも、そこへ行き、地元の子供と遊び、地元の大人と話をするだけで、
十分なボランティアなんだよ、と私は言いました。
「パパもいつもこっちの人達といつも話をしてどこをどうすれば良いかを考え想像して
いろいろとやっているんだよ、だからあなたがやった事と、パパのやっている事は
そんなに変わりのない事なんだよ」とコメントしました

そして、私の家族は日曜日に新幹線で帰りましたが、私は大原にもう一泊し、
月曜日に福島県金山町へ行って来ました。
金山町のボラセンは日曜日に解散していましたが、私の行った事のある西部地区は、
その地区に行く為の橋の復旧のメドがたっていないので、その橋から給水の
ライフラインの確保が出来ないそうです。ですから9月末から10月にかけて、
地区ごと別地区へ移動する(仮設ではなく家をもらえるらしい)事となっていました。
長年住み続けた土地を捨てなければならないのは、何ともやるせない気持ちになります。
この地区へのサポートは後1ヶ月は必要なのではないかと思います、
しかし、私が出来るのは車に積んでいた飲料水を20リットル渡す事くらいしか出来ず。
微力さに悔しさと空しさを感じました。

まだまだ、草の根ボランティア活動は長く必要とされています
今こそ我々が、がんばる時なのだと思います。

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by aoesupport | 2011-09-06 20:38 | 活動報告など