2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

てきやさんの福島からのレポート

やっさんです。

先週末の10月22日・23日はこもゆうチームは石巻牡鹿に4名で
てきやさんはいっちー君とふたりで福島の南相馬市と
水害で訪れた金山町に行っていました。
福島にもこだわるてきやさんのレポートです。
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『祈り』
8月のお盆に、集中豪雨水害の泥出しボランティアで、福島県金山町へ
行った際に、一緒に活動した会津の人が、
『福島に来てくれてありがとう。』
とてきやにお辞儀してくれた場面がずっと心に残っていました。
「福島にもう一回行こう!」 それ以来心に刻んでいました。

9月初旬、イッチーが働いている杉並区の福祉施設のお祭りで、
ボランティアとして、津波の被害にあった福島県南相馬市の
福祉施設の自主生産品の販売に携わることができました。
自分の心のなかでさらに福島が近くなった感じがしていました。
イッチーも福島入りを考えていました。
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放射能とかセシウムとか?安全がわからなかったので、
あえてチームという形をとらずに二人で行くことにしました。
向かったのは、南相馬市生活復興ボランティアセンターです。
させて頂いたのは、津波による流出物のクリーニング作業でした。
有害物質を吸い込む恐れがあるとのことで、マスクを2種類支給され、
休憩前には必ずうがいと手洗いを勧められました。
泥が付いている手紙やいろいろな書類をスポンジや歯ブラシで
取り除いていく作業でした。地下水の汚染防止のため、
水洗い禁止だそうです。書類、特に手紙類は、いろいろ
感じてしまうので、精神的にとてもつらい作業でした。

一緒に活動した方で、警戒区域にご自宅があり、ご家族は遠くに避難し、
お一人でアパートを借りてお仕事を続けられ、土日はボランティアを
されている方に出逢いました。
「~自宅に帰りたくても帰れない…畑も汚染されてしまった…
仕事が残っただけ救いだ…」とお話しされていました。
警戒区域内で自宅にも戻れなくなり、仕事も失い、福島を離れざるを
えなかった方々もたくさんいらっしゃるとのことでした。

泥出しや瓦礫撤去ならいくらでも頑張れるのに・・・
原発被害という人間の努力を超えてしまったこの事態に言葉が
みつからず、ただただ無力感を感じるばかりでした。

作業は、16時前に終了し、ボランティアのリーダーの方の話で
印象的だったのは、クリーニングした書類等は、3分の1の割合で、
持ち主さんの所へ戻っているそうです。
あと…「被爆が気になる方は、南相馬市の市役所で検査できます。」
とのことでした。(行かなかったですけど。)


翌日の日曜日は金山町へ向かいました。
線路の陸橋と只見町へ続く橋は、落ちて崩れたままでした。
鉄道は、赤字路線ということもあり、復旧のメドは立っていないとのことでした。

お盆に畑の泥だしをさせて頂いたおばあちゃんのお宅を訪ねました。
まず、目に飛び込んできたのは、畑に植わっていた大根の緑色の葉っぱでした。
「よかった!! 畑が復活している!!」おばあちゃんとも再会できました。
畳を運んで床にしきたいんだけど、重くてひとりで運べず困っていた
とのことでした。早速畳を運ぶと、とても喜んで下さいました。
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おばあちゃんの元気な様子も見れたので、失礼しようとしたら、
「お茶を飲んでって」と声を掛けて頂きました。
くりやサトイモの煮物をごちそうしてくださって、ほのぼのとした
心があたたかい時間を頂きました。
「忘れないで、もう1回来てくれてありがとう。東京の友達ができて
うれしい。また遊びに来てね。」 と繰り返し話してくれました。
くりをお土産に頂いてしまい、おばあちゃんと畑の前で記念撮影してもらい、
また会うことを約束して、金山町を後にしました。

イッチーが助手席でつぶやいていました。
「…もうあのおばあちゃんが悲しんだり、苦しんだりすることは
起きてほしくない…」
自己をみつめ、かなしみをしり、よろこびをしる
そして大切な人たちにおもいを馳せる、祈るような気持ちと共に
 
てきや
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by aoesupport | 2011-10-26 23:00 | 活動報告など