2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

てきやさん夏の活動報告

やっさんです。タイミングよくてきやさんから夏の活動報告が送られてきました。
てきやさん一人でも動きをやめない限りは、こちらで報告もしていきます。
感謝状もらうボランティアって珍しいかも。
みんな感謝の気持ちはいつももらっていますけど。
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てきやと有志による南相馬市での活動報告 7月~8月

てきやチームは解散しましたが、今後もてきや個人ないし、有志で、
まだがれきと泥が残る、南相馬市での活動は継続的に続けますので、
今後も活動をあたたかく見守って下さいますようよろしくお願い致します。

◆7月7日 てきや一人
ボラセンが児童館からの移転を余儀なくされて、てきやも6月に整備に
携わった原町区泉のボランティアテント村は台風4号の直撃にあい、
あっけなく壊滅してしまっていた。そこで、同じ原町区のグリーンパークの
管理人室が宿泊施設として借りられるようになったらしかった。

津波の被害も受けたらしくまだ敷地内には泥が残っていた。
電気は発電機、トイレは仮設、水道は復旧しておらず、
宿泊者を少しでも多く受け入れる為なのか、コンテナもいくつか置いてあった。
周りは荒れた田んぼないし、草むらが広がっていた。
「ここでは泊まれないなぁ、いや、泊まりたくない・・・」
と思いながら、雨の中、敷地内の泥だしから作業をはじめた。
実際、常連ボランティアの何人かは、コンビニや飲食店が
徒歩圏内にある『道の駅南相馬』で車中泊しているという。
(車中泊もキツいし、ビジネスホテル代ももったいないなぁ・・・)
一人で来た時は、土曜日1日作業してそのまま休みやすみ運転して帰ろうと思った。
(そうすると夜中の2時頃自宅に着く。)

何度か一緒に活動した、鳶職が本業の常連ボラさんが、楽しそうに、
そして器用に、鉄パイプとトタン屋根をつなげて、集会所を作っていた。
「星をみんなで見ながら酒が飲めるよ」と言いながら。お昼に、
初めてボランティアに来たという福島県内に住んでいる女性とお話しをした。
「震災後、やっと自分で何か行動しようという気持ちになってここに来ました。
清田さん 何度も福島に来てくれていてありがとう。」
この会話ができただけでも、来て良かったと思った。
その時トタン屋根が雨をしのいでくれていた。 

住民とかかわりを持ちたい、作業の優先順位・・・そういう主観と感情を
超えた先にもきっと大切なものや繋がりがあると感じた。 
仕事ではないので、南相馬では全体の流れに身を任せ、
いろいろ感じ、学んでいきたいと思う。

◆7月28日 てきや一人
南相馬市での活動内容はボラセンのミーティング(マッチング)で決まる。
松本ボラセンター長がその日の活動場所を複数設定し、
場所ごとにリーダーが配置され、市場のセリのような雰囲気で
活動場所ごとに希望者が募られ、早いもの順に締め切られていく。
お宅のがれき撤去だと、住民の方々との出逢い、ふれあいが生まれて
うれしくありがたいが、その場、その時の活動内容よりも、
てきやはがれきと泥がなくなるまで、南相馬市に足を運び続けることが
大切だとおもっているので、いつも最後まで手を挙げずに
人が足りなさそうなところに加わっている。
どんな活動でもきっと意味と価値とつながりがあるとおもいながら。

この日は神社周辺の草刈りだった。とても暑かった。
初対面のボラさんたちと力を合わせてがんばった。
以前出逢った、山形で農業をしている方も一緒だった。
お米をお土産にもらった。「だだちゃ豆、収穫したら送るね」と言ってくれた。
うれしかった。そして心地よい疲れと充実感が残った。
ただこの神社の草刈りを依頼された方は、入院されているとのこと、
今日も、住民の顔が見えなかった。さみしさも残った。

◆8月11・12日 てきやとやまちゃん
この2日間は、20キロ圏内小高区塚原地区で草刈りと側溝の泥出し、
がれき撤去を行った。11日の夜は花火大会だった。
震災で亡くなられた方々の慰霊のためとのこと・・・
花火を見ながら、この日の昼間会った、壊れた家の縁側で
ニコニコしながら座っていたおばあちゃんの姿を思い出していた自分がいた。
花火そのもののように、まるでまだら模様に南相馬市は、
かなしみが織り込まれていると感じた。
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壊れた家の中を片付けている老夫婦の後ろ姿、草ぼうぼうの田んぼ、
置き去りにされたいき場のないがれき、まだ当たり前のように、
田んぼに突き刺さったままの車・・・
・・・本当に復興すべきは、被災地ではなく、この局面を見過ごし続けている
日本そのものなんじゃないかと思った。
 
◆8月25日 てきや一人
この日は農道の草刈りを20名ほどのボラで行った。 
とても広かった。場所によっては人の背丈位伸びているところがあった。
農道を整備しなくては除染作業もできないし、田んぼの復活もない。
地味だけど大事な作業と感じながら、エンジン付き草刈り機を一日中動かし続けた。

昼休み、同じ千葉県の鴨川から来たボラさんが、草ぼうぼうの田んぼを
見つめながらつぶやいた。『この状況だとまた来なければならんな・・・』 
「同感です。」 とてきやもつぶやいた。

午後、今日1日では終わらないと言われた水路脇の農道の草刈りに着手した。
「終わらせよう」と思った。時間に追われながら夢中で草刈り機を
左右に振り回し、草と格闘しながら前進した。
右腕と左耳をアブに刺されチクチクし、痛がゆかったが、前進を続けた。
気がつくと他のボラさんも応援に来てくれていた。
そして、振り返ると道ができていた。水路脇の農道を復活させた。
すごくきもちよかった。
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帰りに所有者の方と挨拶をさせて頂いた。
『みなさんが来てくれたこと、忘れません』とお辞儀をされた。
「田んぼを早く復活させたいですね。」 とてきやもお辞儀をした。



てきやが尊敬している神田橋先生の本のなかで、
ミルトン・エリクソンのことばが紹介されている。
てきやが時々思い出す大好きなフレーズである。

『私の言葉が、今後あなたのお友達の声として、いろいろな人々の声として、
そして風の音として、波の音として、今後ずっとあなたの中で響くでしょう』

『福島を置き去りにはしないという想いと行動が、声として、音として、響き、届きますように 』

よみがえれ福島 南相馬    秋もまた南相馬へ

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by aoesupport | 2012-09-05 15:00 | 活動報告など