2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

てきやさんの活動報告(2月・3月)

東日本大震災から2年をむかえ、各団体もその活動を休止したり、
別の形に変えたりしている中で、てきやさんの支援活動は変わらずに
「できる人ができる時にできる事をやる」という考えの下、継続しております。
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南相馬活動報告(2月23日 3月23日24日)

『目に焼き付いている光景とおばあちゃんの微笑み』
南相馬市小高区の田んぼだった所に雪と草をかぶった瓦礫が残る光景と
仮置き場ができないため自宅前に置かれ続けている瓦礫が
目に焼き付いていて時々何気ない日常の瞬間にフッと浮かび上がってくる。

◆2月23日てきや一人 
深夜は吹雪だったが無事に南相馬にたどり着いた。
いつものようにボラセンでチームが組まれ、午前中は、
津波をかぶった家財を解体し、トン袋に詰める作業を行った。
午後は、松本ボラセンター長の案内で、浪江町(原発)に近い
浦尻地区へ向かった。この日は、北海道から飛行機とバスを
乗り継いできたという大学院生を助手席に乗せていた。
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就職して身動きが取れなくなる前に、ボランティアをしながら
福島の現状を見ておきたくて来たのだという。
まだ日本にもこういう若者がいてくれるのはとても心強い。

この地区は特に被害がひどかった。原発に近ければ近いほど
被害がそのままになっている現状を改めて実感した。

この地区は80数名の方が津波で亡くなられてしまったとのことだった。
荒野と瓦礫と壊れた家が目に入ってくる。
「心を込めて作業を・・・」と言いながら、松本ボラセンター長がてきやの肩に
そっと手を置いた。 大切な現場だということがわかった。
作業内容は、家の周囲の草刈り、生い茂る笹や竹や木の伐採、片付け等だった。
10数人のボランティアで取りかかったが終わらず、継続作業となった。
被害エリアが広すぎる・・・
「活動の終わりが見えない」と強く感じた1日だった。

◆3月22日、勝沼さん、てきや

3月23日、南相馬のボラセンで、いつものようにチームが組まれた。
20キロ圏内のお宅の庭の植木の剪定が主な作業内容だった。
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はしごや脚立を使い、チェーンソー、ノコギリ、枝きりバサミ等で
木や枝をカットした。家主さんが、「いつ住めるようになるかかわからないけど、
どんどん伸びていくので・・・」とお話しされていた。
どんどん伸びて生い茂っていく植木、ずっと気になっていたんだろうなと思った。
壊れたビニールハウスで片付けをしていたおばあちゃんと目が合った。
・・・微笑んでいた。
おばあちゃんの微笑みを見て、何故自分がこの活動を続けているのか・・・
その意味と動機がわかった気がした。
南相馬には、まだ家の前や田畑に瓦礫がある。
放射能で家族がバラバラになり家があっても住めない人たちがいる。
福島が風化と共に忘れ去られないで欲しいと祈るような気持ちで枝を払った。
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24日お昼まで
この日は約10人で竹林の伐採を行った。
範囲が広く、足場も悪く、苦戦した。太い竹は固く重かった。

3月いっぱいで、災害派遣従事車両高速道路無料措置が終了した。
これにより南相馬までの往復はガソリン代約8000円に加えて、
高速道路代が1万円代前半が加わることになった。
経済的には厳しい状態になったが福島をわすれないための活動を続けていきたい。
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We remember 福島. We will never walk alone.
てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2013-04-08 14:00 | 活動報告など