2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

てきやさん 2015年11月・12月南相馬での活動報告

やっさんです。
皆様、2016年を迎えました。昨年は常総水害があり、ボランティアが多く動いた一年でしたが
てきやさんは、今でも南相馬で活動を続けております。彼の活動が続く限りは
このブログで報告していこうと思っていますので、たまにはのぞきに来てください。

『自己探求へ続く道』 

11月7日(土)てきや、いっちー   木や竹の移動

11月21日(土)てきや、勝沼さん  庭の斜面の竹の伐採、移動

12月27日(日)てきや、いっちー 家の片付け、清掃、家財の運び出し

■11月7日(土)
ボラセンで5人のチームが組まれた。庭に集められた、刈り終わっている
大量の木や竹を下段の道路に面した場所まで運ぶ作業だった。
移動しないと除染業者が運んでくれないとのこと。
「この作業をやる意味は?」等、いつも思うことはたくさんある。
時々冷たい雨も降る中で目の前の作業に集中した。 
ひとりではとても続けられない作業だと思った。チームの力を感じた一日だった。
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■11月21日(土)
久しぶりに勝沼さんが同行してくれて、うれしくありがたかった。
京都からバスで来た10人と各地から集まった10数名のボランティアで
庭の草を刈り、竹を伐採して運ぶ作業だった。
除染は自宅から周囲~メートルと決まっているらしく、家主さんが言うには、
「ここも敷地なのに、除染業者さんにやってもらえなかった…」とのことだった。
数年を経て伸びた竹は数も多く、この人数を持ってしても終わらなかった。
時を忘れ、斜面の竹を1本ずつノコギリで切り倒している途中で時間がきてしまった。
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■12月27日(日)
松本センター長の話では台所の清掃、片付けの依頼とのこと、
常連の女性ボラさんとてきやといっちーの3人でそのお宅へ向かった。
そこには3姉妹の方々がいた。避難していたり、嫁いだりしていて
遠くからふるさとに集まったという感じだった。この家は、いずれ住めるようにと
除染も兼ねてリフォームをするために(捨てることも視野に入れて)
家財道具のすべてを庭に出している途中だった。
遠慮がちに「ボランティアさんは台所を中心に…」との話だったが、
まだ重い家具や本棚等も残っていたので、相談しあい、同時並行で行うことにした。
てきやがいちばん気になったことは、外へ出しても回収のメドが立たない
家財道具やトン袋だった。庭に数年置き去りにされてしまうことが
原発から20キロ圏内エリアの現状………
 「…放射能がなければ……他の被災地ならすぐに運んでくれるのに……」
と心の中でつぶやいてしまう自分がいた。

突然住めなくなり、家族がバラバラになった現実がここにもあった。
なのに…3姉妹の方々は明るくて、いろいろ気づかってくれていることも
感じながらの共同作業だった。 うち解け合い、会話もはずんだ。(^_^)
やっぱり依頼主さんと一緒の作業はいいなぁとしみじみおもった。
「ボランティアさんが来てくれてよかった。こんなに片付けが進むなんてびっくり、うれしい。」
そんな声も聞き、自分もうれしくほのぼのとした気分になった。 
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11月21日 左眼を患ったからだろうか…見慣れたボラセンの看板
(できる人ができる時にできる事をする)の下に松本センター長の
強い念いを現す言葉にしばし心が引きつけられた。
『絶対に負けない。復興の日までボランティアは頑張る。』「絶対に負けない。」
「この言葉に添いたい、身体よ、どうか持ちこたえてくれ!」と自分自身に頼んでいた自分がいた。

今 自分にとってボランティアとは何かを考える。
相馬に行き、草を刈り、竹を刈り、清掃をし、人と出逢い、かかわる。
そのプロセスとサイクルの中で意識的に反応しながら自己を感じ、
生きている実感を得ていく。自分にとってのボランティアとは
奉仕では終わらない、自己探求への道へと続いているようにおもう。
その先には、活動できること、人と出逢えること、人とかかわれることの
よろこびと感謝がある。ありがとうございます。

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2016-01-06 15:30 | 活動報告など