てきやさん2016年1月~3月活動報告
2016年 04月 14日
あれから5年、細々とですが、活動を続けております。
今後も活動を続けていきますのでよろしくお願いいたします。
「無言の会話(^_^)」
■1月10日 南相馬:庭の清掃と竹の伐採・粉砕
■2月11~14日 石巻牡鹿半島大原 御神木祭参加と漁業のお手伝い
■3月18~21日 石巻牡鹿半島 わかめ、めかぶ作業の手伝い
昨年左眼を患いながらも引き続き東北の地を踏み、特別な出逢いと
かかわりが持てることによろこびとしあわせを感じています。
南相馬には、2月、3月は行けなかったけれども4月からはまた月に
1回以上は足を運び、微力ながら、誰かの、何かの役に立ちたいとおもっています。
※以下は2月、3月に大原を訪れた印象を書きたいとおもいます。
通い続けた石巻牡鹿半島の大原は、仮設から、復興住宅や
自立再建での引っ越しの時期となっていました。
ご家族やお仕事の都合で大原を離れる人もいて…。
若い人たちは、石巻市内や仙台に移り住んで…。
人手不足ながら漁業が復活し、港には活気があったことにうれしく感じました。
いいこと、いい面もあるのでしょう。
しかし、孤立化も進んでいるようにも見えました。大原地区は、
いろいろな人たちとかかわれるお祭りが夏と冬にあることが、救いのようにおもわれます。
平さんは市内で警備のお仕事をされながら、漁業にも携わりお金をため家を新築されました。
「津波で流されたけど、新しい家を建てるんだ!」
と…その夢を聴きながら実現への苦労とプロセスを垣間見ていたてきやはとてもうれしくて
新築祝に日本酒の久保田の万寿の一升瓶を手渡して祝いました。
これからは、農業も少しだが再開したいと話していた平さん。
やっちんさんは、メカブや牡蠣の加工工場の社長として引き続き頑張っていますが…
仲良しの高橋さんが大原を離れてしまい、とてもさみしそうでした。
忙しいのにてきやと飲む時間を作ってくれて日本酒を酌み交わし、一緒に泊まりました。
朝の別れ際に…「てきやさん、今度はいつ大原に来てくれるんですか。」と
真剣な表情で聞かれた時にはびっくりしたというか正直、とまどいました。
「みんな誰かと話したい、つながっていたい、話を聴いてほしいんだな」
ふとそんなことを想いました。
そして何度も大原行政区の石森区長さんや小野寺さんのお宅で食事をごちそうになり、
更にわかめ、めかぶ作業を手伝った小淵浜の藤丸の社長さんからは、
海からあがったばかりのホヤやめかぶなどたくさんのお土産を頂きました。
とてもうれしくありがたかったです。
海の仕事は、始まりが早く、夜明けから動き出し、わかめやめかぶを港にあげていました。
てきやも滞在中は7時過ぎから16時台までお手伝いをさせていただきました。
初日は、ぎこちない感じでしたが2日目からは、小淵浜の人たち
(この時期しか会わない人たち)と笑顔で挨拶したり、お話しができたり、
打ち解けた中で作業ができるようになりました。
作業を教えて頂いた年配の女性と無言のまま目が合い、笑いあったとき、
何かあったかいものが通った感じがして、
「ここにいられてしあわせだな(^^)」ってしみじみおもいました。
無言のなかに、いろいろなおもいやこころがつまっている時間がありました。
この5年間のなかでひとつおもったこと……
震災や災害は時に人が生きている環境や命すら奪ったけれども、
人が生きようとするこころやかかわり、つながりまでは奪えない。
東北の人たちと出逢い、今を見てそう感じている自分がいます。
5年前は泥や瓦礫がいっぱいだった道を、漁業を終えた人たちが
談笑しながら並んで歩いている何気ない光景と聞こえてくる笑い声に
安らぎとぬくもりを感じている自分がいます。
これからも出逢えた人たちとのつながりとかかわりを紡いでいきたい、
そうおもっています。 出逢いとかかわりをありがとう(^_^)
てきやこと清田和男
今後も活動を続けていきますのでよろしくお願いいたします。
「無言の会話(^_^)」
■1月10日 南相馬:庭の清掃と竹の伐採・粉砕
■2月11~14日 石巻牡鹿半島大原 御神木祭参加と漁業のお手伝い
■3月18~21日 石巻牡鹿半島 わかめ、めかぶ作業の手伝い
昨年左眼を患いながらも引き続き東北の地を踏み、特別な出逢いと
かかわりが持てることによろこびとしあわせを感じています。
南相馬には、2月、3月は行けなかったけれども4月からはまた月に
1回以上は足を運び、微力ながら、誰かの、何かの役に立ちたいとおもっています。
※以下は2月、3月に大原を訪れた印象を書きたいとおもいます。
通い続けた石巻牡鹿半島の大原は、仮設から、復興住宅や
自立再建での引っ越しの時期となっていました。
ご家族やお仕事の都合で大原を離れる人もいて…。
若い人たちは、石巻市内や仙台に移り住んで…。
人手不足ながら漁業が復活し、港には活気があったことにうれしく感じました。
いいこと、いい面もあるのでしょう。
しかし、孤立化も進んでいるようにも見えました。大原地区は、
いろいろな人たちとかかわれるお祭りが夏と冬にあることが、救いのようにおもわれます。
平さんは市内で警備のお仕事をされながら、漁業にも携わりお金をため家を新築されました。
「津波で流されたけど、新しい家を建てるんだ!」
と…その夢を聴きながら実現への苦労とプロセスを垣間見ていたてきやはとてもうれしくて
新築祝に日本酒の久保田の万寿の一升瓶を手渡して祝いました。
これからは、農業も少しだが再開したいと話していた平さん。
やっちんさんは、メカブや牡蠣の加工工場の社長として引き続き頑張っていますが…
仲良しの高橋さんが大原を離れてしまい、とてもさみしそうでした。
忙しいのにてきやと飲む時間を作ってくれて日本酒を酌み交わし、一緒に泊まりました。
朝の別れ際に…「てきやさん、今度はいつ大原に来てくれるんですか。」と
真剣な表情で聞かれた時にはびっくりしたというか正直、とまどいました。
「みんな誰かと話したい、つながっていたい、話を聴いてほしいんだな」
ふとそんなことを想いました。
そして何度も大原行政区の石森区長さんや小野寺さんのお宅で食事をごちそうになり、
更にわかめ、めかぶ作業を手伝った小淵浜の藤丸の社長さんからは、
海からあがったばかりのホヤやめかぶなどたくさんのお土産を頂きました。
とてもうれしくありがたかったです。
海の仕事は、始まりが早く、夜明けから動き出し、わかめやめかぶを港にあげていました。
てきやも滞在中は7時過ぎから16時台までお手伝いをさせていただきました。
初日は、ぎこちない感じでしたが2日目からは、小淵浜の人たち
(この時期しか会わない人たち)と笑顔で挨拶したり、お話しができたり、
打ち解けた中で作業ができるようになりました。
作業を教えて頂いた年配の女性と無言のまま目が合い、笑いあったとき、
何かあったかいものが通った感じがして、
「ここにいられてしあわせだな(^^)」ってしみじみおもいました。
無言のなかに、いろいろなおもいやこころがつまっている時間がありました。
この5年間のなかでひとつおもったこと……
震災や災害は時に人が生きている環境や命すら奪ったけれども、
人が生きようとするこころやかかわり、つながりまでは奪えない。
東北の人たちと出逢い、今を見てそう感じている自分がいます。
5年前は泥や瓦礫がいっぱいだった道を、漁業を終えた人たちが
談笑しながら並んで歩いている何気ない光景と聞こえてくる笑い声に
安らぎとぬくもりを感じている自分がいます。
これからも出逢えた人たちとのつながりとかかわりを紡いでいきたい、
そうおもっています。 出逢いとかかわりをありがとう(^_^)
てきやこと清田和男
by aoesupport
| 2016-04-14 01:00
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