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2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

てきやさん熊本地震活動報告①

やっさんです。

Facebook等の発信が主流となると、ブログという発信もどうかと思いますが、タイムラインで流れていってしまうSNSと違って、ブログは一定のまとまった情報発信となりますので、少しずつでも更新は続けていかなければいけません。しかし、なかなか仕事などが忙しくて発信は遅れ気味になります。

てきやさんからGW期間の熊本大震災ボランティアの活動報告が届きましたのでUPします。てきやも東日本大震災から大きく人生が変わった一人かもしれません。

『誰かがやらないかんけん』

5月4、5日 福祉施設の落ちた瓦の片付け・清掃
5月6、7日 被災した老人保健施設の方々の傾聴ボランティア

5月3~8日で九州入りしてきました。4月下旬から熊本、大分各地でボラセンが立ち上がりましたが、募集が県内もしくは市内在住者限定のところが多く、県外OK なのは、益城町と熊本市のボラセンプラスαくらいで、キャパオーバーが想定されたので、今回は事前に熊本市障がい保健福祉課にアクセスしました。紹介されたのは、地震で屋根瓦がたくさん落ちてしまった高齢者のグループホームの瓦の片付けと、施設が被災し、建物の一部が破損し、水道が止まってしまったため、同じ法人の病院に避難されている老人保健施設に暮らしていた高齢者の方々の傾聴ボランティアでした。

自分が熊本に行く必然性を考えるところから始めました。熊本の惨状は4月15日の福島で…南相馬市での活動前後で知りました。連休は石巻へ行って…3月に会えなかったおがた棟梁や、大原を離れた高橋さん、もう一度話したいと強く感じたやっちんさんと過ごすべく、あらかじめ5月6日の金曜日は有給休暇を申請して、5月3~8日は石巻へ行く予定を立てていました。しかし…南相馬市での活動後の16日、福島・新潟豪雨の際、庭の畑の泥だしをさせていただいた金山町のおばあちゃんと久しぶりに再会し、そうめんや漬け物をごちそうになり、一緒に熊本の惨状をテレビで見ながらおばあちゃんが、「…熊本の人もかわいそうだね。…私もあの時(水害)はつらかった。死にたいと思った。でも近所の人たちが助けてくれて、ボランティアの人たちもたくさん来てくれて、今もみんなに助けられて…生きててよかったとおもう…」 

そんな声を聞きながら、「あぁ自分は熊本に行った方がいいんだろうなぁ」 と漠然と思いました。
複数の災害を見てきて、「人は一人ではないということがわかると本来の生きる力を取り戻すことができる。そのひとつのきっかけや存在がボランティアという形…しかし、熊本は遠いなぁ…」 などと感じ、考えていました。
そんな中で何人かの人から、「清田さんは、熊本に行くの?」 的なやりとりに背中を押された形になりました。
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5月3日に成田空港から福岡空港へ予約していたレンタカーで熊本へ向かい、北熊本SA で車中泊し、4日の朝、高齢者のグループホームの経営者の竹山さんと合流しました。 竹山さんとひとしきりお話ししたあと、近所の方も加わり、3人で落ちた瓦を砕きながら土のう袋に詰めていきました。約100袋位になり、予定よりも早く終わり、竹山さんは、「ほっとしたよ。ずっと気になっていたけん。ありがとう。」と笑顔で話されていました。 まだところどころに細かい瓦や土砂が残っていたので自分はそれが気になっていました。 それは5日にやることになり、竹山さんが、「明るいうちに益城町へ行こう。」と言って下さり、案内してくださいました。
いちばん被害の大きかった益城町は見ておきたかったので、ありがたいなぁと思いました。

崩れた家や建物がたくさん目に入ってきました。
熊本市内も、落ちた瓦、ブルーシートで応急処置をした屋根、営業していないお店、収集待ちのたくさんの家財道具等が目に入ってきます。そして続く余震…「…見た目以上に心理的なダメージを受けた人が多い………」そんな印象を受けました。

そんな中、竹山さんはこんな話をしてくれました。
「これから益城町で福祉避難所を立ちあげようと思う。保育所と高齢者を預かる場所を作る、…そうすれば、益城町に人が残り、そこから本当の復興が始まるはず…福祉とは、たとえ社会的な弱者となったとしても、その人達もしあわせに暮らせる仕組みを作ることだと思うんだ…誰かがやらないかんけん……………」
「誰かがやらないかんけん」
そんな竹山さんのことばがつよく、やさしく自分の心に響きました。「その時にはもう一度熊本に来てお手伝いがしたいです。」と返しました。そのあとも施設に戻り、竹山さんといろいろなお話しをして、泊めさせて頂き、5日になり、竹山さんは、福祉避難所立ち上げのため、益城町の町長さんに会いに行かれ、自分は残っている細かい瓦や土砂の片付けと施設周辺の清掃を行いました。 夕方になり、「熊本にいる間はここに泊まっておればよかけん」と言って頂きましたが、次の活動先へ向けて気持ちの切り換えもしたかったので、竹山さんに別れの挨拶をして、熊本市内のコンビニの駐車場で車中泊をしました。
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そして6日、7日は、初めての傾聴ボランティア体験となりました。
熊本市内の「…リハビリテーション病院」のリハビリ室に、たくさんの高齢者がいらっしゃいました。「狭い…」という印象がまずありました。…前震、本震、余震が続き、老人保健施設の二つが被災し、建物の一部が破損し、水道が止まったとのこと、病院の広めの一室に収容された感じでした。夜は、テーブルやイスを端に寄せて、布団をひき、雑魚寝状態で寝ているとのことでした。
地震の時のこと、病気のこと、ご家族のこと等何人かの高齢者の方々からお話しを伺いました。何人かの職員の方々も被災され、家が倒壊し、住めなくなったり、壊れたり、怪我をされたり等のお話しも伺いました。 職員の方のお話しによると、入所者とは別に60人位の通所の高齢者の方々にもリハビリプログラム等も提供していたとのことでした。それも施設が閉じてしまったので、つらい状況の高齢者がたくさんいるとのことでした。「早くしないと歩ける人も歩けなくなってしまうけん」と職員さんが呟いていました。 この二日間は、高齢者の方々とお話しをしながら、一緒にパズルをしたり、お散歩したり、折り紙を折ったり、ゆっくりした時間が流れた感じでした。 お茶や缶コーヒーをごちそうしてくれたり、窮屈でたくさんの我慢を強いられているのに、自分のことを気遣ってくれて、振り返ると、もてなされていたような感覚が残りました。大変な状況の中、どんな小さな事にも「ありがとう」と頭を下げる高齢者の方々に心が揺さぶられました。「お話を聴く」を越えて、今という時を共に過ごせるあたたかさとぬくもりを感じました。

また熊本にも行きたい… また会いたい人、行きたい場所が増えた…そんな5月の連休でした。

清田 和男
by aoesupport | 2016-05-18 00:06 | 活動報告など