2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

カテゴリ:活動報告など( 119 )

ゆっくりと確実に支援活動を続けておりますてきやさんの活動報告です。
今年の夏も災害の多い年となりました。日本が活動期になるのか、
世界的な異常気象が原因かはわかりませんが、常に備えあれば憂い無しだと思います。
てきやさん、今回写真無しのレポートになります。

活動報告 『人間的なかかわりをありがとう。』 てきや

6月26日 南相馬
8月11~14日 石巻牡鹿半島大原へ
9月16日 南相馬
17日 岩手県岩泉町
18日 岩手県久慈市

■台風10号の被害が残る岩手県へ行って来ました。 至るところに壊れた家や道路、
土砂崩れ等があり、片側通行も多く、想像していたよりも被害が大きかったです。
一日目は岩泉町の安家地区のお宅の倉庫の家財搬出と泥出しをしました。
二日目は久慈市内のお宅の庭の泥だしをしました。
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堅い表情から少しずつ表情が和らいでくる家主さんのお顔を見てホッとしつつも、
片付けの途中で去る形にもどかしさを感じました。
岩手県は交通のアクセスが悪いせいもあり、ボランティアが足りていないとのこと、
「もっとテレビで報道してあげて欲しい」と思ったりもしました。
去年水害にあった常総市からの流れなのか、ボランティアセンターで
受け付けを済ませると、マイクロバスやワゴン車で現地まで送迎という形が
主流になってきたようです。
効率的と言えばそうなのですが、ピストンでの送迎のため、出発まで待ち時間があったり……
帰りのバスの送迎時間も14時代前半だったりしました。
「せっかく来たのだからもっともっと作業がしたい!」という気持ちにもなりました。

「ボランティアに行く、ボランティアをする」ということだけがこたえではないとはおもいます。
が…人の手が足りない中…「ボランティアに行く人が増えて欲しいなぁ」とおもいました。
そして、ボランティアという形でなくても『人間同士が、助け合う、思いやりあう、
気遣いあう、わかちあうという領域のなかで、深めあえる可能性がきっとある。
その輪がひろがってほしい。』
被害が残されている岩手の景色を見ながらそうおもう自分がいました。

■南相馬の様子
南相馬市小高区は、7月12日に避難指示が解除されたことに伴い、
住みたい人は再び住める形になりました。 新築の家を建てる人、リフォームする人、
もう住まないからと、家財を処分し、更地にする人、
今は住む決断ができないけど生まれ育った家はきれいにしておきたいと、
ボラセンに草刈りをお願いする人…小高区を色々な業者の車が走るようになりましたが、
戻る人の少なさ、目立つ空き地、残っているであろう放射能、減り続けるボランティア…
複雑な状況が見え隠れしています。
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6月26日はいっちーと一緒に南相馬で活動しました。午前中は小高区にあるお宅への
引っ越しのお手伝いでした。家主さんから、「ホッとしました。ありがとう。」
と何度も言っていただき来て良かったなと思いました。
午後は、家財の処分の片付けでした。
宮城県に避難して住んでいる家主さんでした。「住むかどうか決めてないけど、
リフォームはする。中にあるものはみんな処分してほしい。戻ったとしても俺しか住まない。」
 まだ使える女性用の洋服やバッグ、子供のおもちゃ、テレビゲーム…
それらを分別しながらトン袋に詰めていく作業でした。

「…ここも家族がバラバラに…」

いかりとかなしみの宿る目に微笑を浮かべながら、繰り返しボランティアに
「ありがとう」という家主さんの「戻ったとしても俺しか住まない」ということばが
しばらく耳に残りました。
南相馬にも行きたかったけど、間が空いてしまった…
9月16日、岩手入りの前に南相馬で一日活動しました。 
側溝の泥だし→物置の移動→庭の草刈りと3つの現場を慌ただしく回りました。
庭の草刈りの現場にはたくさんの盆栽があり、それも処分してほしいとのこと、
違和感を押し込めながらチェーン・ソーで細かく裁断し、土を払い、トン袋に詰めました。

松本センター長はボランティア不足でやりくりがいろいろ大変そうでした。
「5年経っても心の奥にしまってあるだけで被災者の傷は癒えてはいない。
こちらから質問したり、話しを聴こうとするのはやめてください。」との
松本センター長のことばが印象に残りました。
不利な状況が続く小高区………南相馬はまだまだ終わらない感じです。
行けない月もあるけどこれからも行き続けたいとおもっています。

■石巻牡鹿半島大原の様子
8月11日~14日大原の人たちに会いに行ってきました。 
おがた棟梁と再会し、農作業をしていた阿部副区長さんにあいさつして、
いつものように小野寺さんや石森区長さん宅でご飯をごちそうになり、
更に石森区長さんには、船を出していただき、再び釣りに連れて行ってもらってしまいました。
仮設住宅は取り壊され、大原を離れる人、復興住宅に住む人、それぞれの道を歩む人が
いて時の移ろいを感じました。仮設から復興住宅に移ったゆきおさんの家にも
連れて行ってもらいました。野菜炒めを作ってもらいました。
その日はたまたまお昼を食べ損ねて夜になっていたこともあり、ゆきおさんの気遣いもうれしく、
すごくおいしく感じた野菜炒めでした。「またいつでも遊びに、泊まってもいいから」と言ってもらい、
うれしいひとときでした。

石巻で人に出逢い、南相馬で生き方を学び、熊本や岩手で人とふれあうことができたようにおもいます。
いろいろある中で、こうして人間的なかかわりが持てることがとてもうれしくありがたくおもいます。

  てきや
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by aoesupport | 2016-11-12 16:00 | 活動報告など
やっさんです。

Facebook等の発信が主流となると、ブログという発信もどうかと思いますが、タイムラインで流れていってしまうSNSと違って、ブログは一定のまとまった情報発信となりますので、少しずつでも更新は続けていかなければいけません。しかし、なかなか仕事などが忙しくて発信は遅れ気味になります。

てきやさんからGW期間の熊本大震災ボランティアの活動報告が届きましたのでUPします。てきやも東日本大震災から大きく人生が変わった一人かもしれません。

『誰かがやらないかんけん』

5月4、5日 福祉施設の落ちた瓦の片付け・清掃
5月6、7日 被災した老人保健施設の方々の傾聴ボランティア

5月3~8日で九州入りしてきました。4月下旬から熊本、大分各地でボラセンが立ち上がりましたが、募集が県内もしくは市内在住者限定のところが多く、県外OK なのは、益城町と熊本市のボラセンプラスαくらいで、キャパオーバーが想定されたので、今回は事前に熊本市障がい保健福祉課にアクセスしました。紹介されたのは、地震で屋根瓦がたくさん落ちてしまった高齢者のグループホームの瓦の片付けと、施設が被災し、建物の一部が破損し、水道が止まってしまったため、同じ法人の病院に避難されている老人保健施設に暮らしていた高齢者の方々の傾聴ボランティアでした。

自分が熊本に行く必然性を考えるところから始めました。熊本の惨状は4月15日の福島で…南相馬市での活動前後で知りました。連休は石巻へ行って…3月に会えなかったおがた棟梁や、大原を離れた高橋さん、もう一度話したいと強く感じたやっちんさんと過ごすべく、あらかじめ5月6日の金曜日は有給休暇を申請して、5月3~8日は石巻へ行く予定を立てていました。しかし…南相馬市での活動後の16日、福島・新潟豪雨の際、庭の畑の泥だしをさせていただいた金山町のおばあちゃんと久しぶりに再会し、そうめんや漬け物をごちそうになり、一緒に熊本の惨状をテレビで見ながらおばあちゃんが、「…熊本の人もかわいそうだね。…私もあの時(水害)はつらかった。死にたいと思った。でも近所の人たちが助けてくれて、ボランティアの人たちもたくさん来てくれて、今もみんなに助けられて…生きててよかったとおもう…」 

そんな声を聞きながら、「あぁ自分は熊本に行った方がいいんだろうなぁ」 と漠然と思いました。
複数の災害を見てきて、「人は一人ではないということがわかると本来の生きる力を取り戻すことができる。そのひとつのきっかけや存在がボランティアという形…しかし、熊本は遠いなぁ…」 などと感じ、考えていました。
そんな中で何人かの人から、「清田さんは、熊本に行くの?」 的なやりとりに背中を押された形になりました。
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5月3日に成田空港から福岡空港へ予約していたレンタカーで熊本へ向かい、北熊本SA で車中泊し、4日の朝、高齢者のグループホームの経営者の竹山さんと合流しました。 竹山さんとひとしきりお話ししたあと、近所の方も加わり、3人で落ちた瓦を砕きながら土のう袋に詰めていきました。約100袋位になり、予定よりも早く終わり、竹山さんは、「ほっとしたよ。ずっと気になっていたけん。ありがとう。」と笑顔で話されていました。 まだところどころに細かい瓦や土砂が残っていたので自分はそれが気になっていました。 それは5日にやることになり、竹山さんが、「明るいうちに益城町へ行こう。」と言って下さり、案内してくださいました。
いちばん被害の大きかった益城町は見ておきたかったので、ありがたいなぁと思いました。

崩れた家や建物がたくさん目に入ってきました。
熊本市内も、落ちた瓦、ブルーシートで応急処置をした屋根、営業していないお店、収集待ちのたくさんの家財道具等が目に入ってきます。そして続く余震…「…見た目以上に心理的なダメージを受けた人が多い………」そんな印象を受けました。

そんな中、竹山さんはこんな話をしてくれました。
「これから益城町で福祉避難所を立ちあげようと思う。保育所と高齢者を預かる場所を作る、…そうすれば、益城町に人が残り、そこから本当の復興が始まるはず…福祉とは、たとえ社会的な弱者となったとしても、その人達もしあわせに暮らせる仕組みを作ることだと思うんだ…誰かがやらないかんけん……………」
「誰かがやらないかんけん」
そんな竹山さんのことばがつよく、やさしく自分の心に響きました。「その時にはもう一度熊本に来てお手伝いがしたいです。」と返しました。そのあとも施設に戻り、竹山さんといろいろなお話しをして、泊めさせて頂き、5日になり、竹山さんは、福祉避難所立ち上げのため、益城町の町長さんに会いに行かれ、自分は残っている細かい瓦や土砂の片付けと施設周辺の清掃を行いました。 夕方になり、「熊本にいる間はここに泊まっておればよかけん」と言って頂きましたが、次の活動先へ向けて気持ちの切り換えもしたかったので、竹山さんに別れの挨拶をして、熊本市内のコンビニの駐車場で車中泊をしました。
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そして6日、7日は、初めての傾聴ボランティア体験となりました。
熊本市内の「…リハビリテーション病院」のリハビリ室に、たくさんの高齢者がいらっしゃいました。「狭い…」という印象がまずありました。…前震、本震、余震が続き、老人保健施設の二つが被災し、建物の一部が破損し、水道が止まったとのこと、病院の広めの一室に収容された感じでした。夜は、テーブルやイスを端に寄せて、布団をひき、雑魚寝状態で寝ているとのことでした。
地震の時のこと、病気のこと、ご家族のこと等何人かの高齢者の方々からお話しを伺いました。何人かの職員の方々も被災され、家が倒壊し、住めなくなったり、壊れたり、怪我をされたり等のお話しも伺いました。 職員の方のお話しによると、入所者とは別に60人位の通所の高齢者の方々にもリハビリプログラム等も提供していたとのことでした。それも施設が閉じてしまったので、つらい状況の高齢者がたくさんいるとのことでした。「早くしないと歩ける人も歩けなくなってしまうけん」と職員さんが呟いていました。 この二日間は、高齢者の方々とお話しをしながら、一緒にパズルをしたり、お散歩したり、折り紙を折ったり、ゆっくりした時間が流れた感じでした。 お茶や缶コーヒーをごちそうしてくれたり、窮屈でたくさんの我慢を強いられているのに、自分のことを気遣ってくれて、振り返ると、もてなされていたような感覚が残りました。大変な状況の中、どんな小さな事にも「ありがとう」と頭を下げる高齢者の方々に心が揺さぶられました。「お話を聴く」を越えて、今という時を共に過ごせるあたたかさとぬくもりを感じました。

また熊本にも行きたい… また会いたい人、行きたい場所が増えた…そんな5月の連休でした。

清田 和男
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by aoesupport | 2016-05-18 00:06 | 活動報告など

GW期間の活動

やっさんです。

熊本地震から2週間ほどたち、タイミングよくGWに入ろうとしております。サポートチームからはいいのんちゃん造園の大和園さんと重機持参で熊本入りするという事です。てきやさんも別行動のボランティアで現地に入る予定です。かくいう私もといいたいところですが、仕事と家庭の事情とでさすがに熊本までは向かう事ができません。いいのんちゃんの出発までにボランティア用のステッカーやマグネットを急ぎ制作しております。

今回の地震では、常総地方の水害の時にも制作した災害支援重機ボランティア・技術ボランティアというマグネットを活用していければと考えております。熊本も山間の地域はいわゆる田舎になりますので、よそ者に対しての警戒心は新潟の中越地震の時と同じかと考えられます。ボランティアがその活動をわかりやすく表示する事で安心感を持ってもらえればと考えております。
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by aoesupport | 2016-04-27 23:55 | 活動報告など

熊本大地震について

やっさんです

熊本で起こった大震災ですが、14日の地震がそれほど被害が無いと思われていたところで、16日未明のさらに大きな揺れで被害が大きくなってしまったようです。吉村せいちゃんは現地に向かう準備をしているようですので情報を待ちたいと思います。このブログもてきやさんのボランティア活動報告の更新だけは続けてきていたので、なんとか持続しておりました。この熊本大震災でも被害は大きいと思われますので、東日本大震災のときのようなみんなで力をあわせて、できることを出来る人が出きるときにやるという基本精神でやっていきましょう。

5年前と違い、情報発信もSNSなどが中心になってきております。
誠ちゃんのfacebookが一番情報が早いかもしれません。
https://www.facebook.com/seiji.yoshimura.73
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by aoesupport | 2016-04-17 23:30 | 活動報告など
あれから5年、細々とですが、活動を続けております。
今後も活動を続けていきますのでよろしくお願いいたします。

 「無言の会話(^_^)」

■1月10日 南相馬:庭の清掃と竹の伐採・粉砕
■2月11~14日 石巻牡鹿半島大原 御神木祭参加と漁業のお手伝い 
■3月18~21日 石巻牡鹿半島 わかめ、めかぶ作業の手伝い

昨年左眼を患いながらも引き続き東北の地を踏み、特別な出逢いと
かかわりが持てることによろこびとしあわせを感じています。
南相馬には、2月、3月は行けなかったけれども4月からはまた月に
1回以上は足を運び、微力ながら、誰かの、何かの役に立ちたいとおもっています。

※以下は2月、3月に大原を訪れた印象を書きたいとおもいます。

通い続けた石巻牡鹿半島の大原は、仮設から、復興住宅や
自立再建での引っ越しの時期となっていました。
ご家族やお仕事の都合で大原を離れる人もいて…。
若い人たちは、石巻市内や仙台に移り住んで…。 
人手不足ながら漁業が復活し、港には活気があったことにうれしく感じました。

いいこと、いい面もあるのでしょう。 
しかし、孤立化も進んでいるようにも見えました。大原地区は、
いろいろな人たちとかかわれるお祭りが夏と冬にあることが、救いのようにおもわれます。

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平さんは市内で警備のお仕事をされながら、漁業にも携わりお金をため家を新築されました。
 「津波で流されたけど、新しい家を建てるんだ!」
と…その夢を聴きながら実現への苦労とプロセスを垣間見ていたてきやはとてもうれしくて
新築祝に日本酒の久保田の万寿の一升瓶を手渡して祝いました。
これからは、農業も少しだが再開したいと話していた平さん。

やっちんさんは、メカブや牡蠣の加工工場の社長として引き続き頑張っていますが…
仲良しの高橋さんが大原を離れてしまい、とてもさみしそうでした。
忙しいのにてきやと飲む時間を作ってくれて日本酒を酌み交わし、一緒に泊まりました。
朝の別れ際に…「てきやさん、今度はいつ大原に来てくれるんですか。」と
真剣な表情で聞かれた時にはびっくりしたというか正直、とまどいました。

「みんな誰かと話したい、つながっていたい、話を聴いてほしいんだな」
ふとそんなことを想いました。

そして何度も大原行政区の石森区長さんや小野寺さんのお宅で食事をごちそうになり、
更にわかめ、めかぶ作業を手伝った小淵浜の藤丸の社長さんからは、
海からあがったばかりのホヤやめかぶなどたくさんのお土産を頂きました。
とてもうれしくありがたかったです。

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海の仕事は、始まりが早く、夜明けから動き出し、わかめやめかぶを港にあげていました。
てきやも滞在中は7時過ぎから16時台までお手伝いをさせていただきました。
初日は、ぎこちない感じでしたが2日目からは、小淵浜の人たち
(この時期しか会わない人たち)と笑顔で挨拶したり、お話しができたり、
打ち解けた中で作業ができるようになりました。
作業を教えて頂いた年配の女性と無言のまま目が合い、笑いあったとき、
何かあったかいものが通った感じがして、
「ここにいられてしあわせだな(^^)」ってしみじみおもいました。

無言のなかに、いろいろなおもいやこころがつまっている時間がありました。

この5年間のなかでひとつおもったこと……
震災や災害は時に人が生きている環境や命すら奪ったけれども、
人が生きようとするこころやかかわり、つながりまでは奪えない。
東北の人たちと出逢い、今を見てそう感じている自分がいます。
5年前は泥や瓦礫がいっぱいだった道を、漁業を終えた人たちが
談笑しながら並んで歩いている何気ない光景と聞こえてくる笑い声に
安らぎとぬくもりを感じている自分がいます。

これからも出逢えた人たちとのつながりとかかわりを紡いでいきたい、
そうおもっています。 出逢いとかかわりをありがとう(^_^)

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2016-04-14 01:00 | 活動報告など
やっさんです。
皆様、2016年を迎えました。昨年は常総水害があり、ボランティアが多く動いた一年でしたが
てきやさんは、今でも南相馬で活動を続けております。彼の活動が続く限りは
このブログで報告していこうと思っていますので、たまにはのぞきに来てください。

『自己探求へ続く道』 

11月7日(土)てきや、いっちー   木や竹の移動

11月21日(土)てきや、勝沼さん  庭の斜面の竹の伐採、移動

12月27日(日)てきや、いっちー 家の片付け、清掃、家財の運び出し

■11月7日(土)
ボラセンで5人のチームが組まれた。庭に集められた、刈り終わっている
大量の木や竹を下段の道路に面した場所まで運ぶ作業だった。
移動しないと除染業者が運んでくれないとのこと。
「この作業をやる意味は?」等、いつも思うことはたくさんある。
時々冷たい雨も降る中で目の前の作業に集中した。 
ひとりではとても続けられない作業だと思った。チームの力を感じた一日だった。
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■11月21日(土)
久しぶりに勝沼さんが同行してくれて、うれしくありがたかった。
京都からバスで来た10人と各地から集まった10数名のボランティアで
庭の草を刈り、竹を伐採して運ぶ作業だった。
除染は自宅から周囲~メートルと決まっているらしく、家主さんが言うには、
「ここも敷地なのに、除染業者さんにやってもらえなかった…」とのことだった。
数年を経て伸びた竹は数も多く、この人数を持ってしても終わらなかった。
時を忘れ、斜面の竹を1本ずつノコギリで切り倒している途中で時間がきてしまった。
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■12月27日(日)
松本センター長の話では台所の清掃、片付けの依頼とのこと、
常連の女性ボラさんとてきやといっちーの3人でそのお宅へ向かった。
そこには3姉妹の方々がいた。避難していたり、嫁いだりしていて
遠くからふるさとに集まったという感じだった。この家は、いずれ住めるようにと
除染も兼ねてリフォームをするために(捨てることも視野に入れて)
家財道具のすべてを庭に出している途中だった。
遠慮がちに「ボランティアさんは台所を中心に…」との話だったが、
まだ重い家具や本棚等も残っていたので、相談しあい、同時並行で行うことにした。
てきやがいちばん気になったことは、外へ出しても回収のメドが立たない
家財道具やトン袋だった。庭に数年置き去りにされてしまうことが
原発から20キロ圏内エリアの現状………
 「…放射能がなければ……他の被災地ならすぐに運んでくれるのに……」
と心の中でつぶやいてしまう自分がいた。

突然住めなくなり、家族がバラバラになった現実がここにもあった。
なのに…3姉妹の方々は明るくて、いろいろ気づかってくれていることも
感じながらの共同作業だった。 うち解け合い、会話もはずんだ。(^_^)
やっぱり依頼主さんと一緒の作業はいいなぁとしみじみおもった。
「ボランティアさんが来てくれてよかった。こんなに片付けが進むなんてびっくり、うれしい。」
そんな声も聞き、自分もうれしくほのぼのとした気分になった。 
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11月21日 左眼を患ったからだろうか…見慣れたボラセンの看板
(できる人ができる時にできる事をする)の下に松本センター長の
強い念いを現す言葉にしばし心が引きつけられた。
『絶対に負けない。復興の日までボランティアは頑張る。』「絶対に負けない。」
「この言葉に添いたい、身体よ、どうか持ちこたえてくれ!」と自分自身に頼んでいた自分がいた。

今 自分にとってボランティアとは何かを考える。
相馬に行き、草を刈り、竹を刈り、清掃をし、人と出逢い、かかわる。
そのプロセスとサイクルの中で意識的に反応しながら自己を感じ、
生きている実感を得ていく。自分にとってのボランティアとは
奉仕では終わらない、自己探求への道へと続いているようにおもう。
その先には、活動できること、人と出逢えること、人とかかわれることの
よろこびと感謝がある。ありがとうございます。

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2016-01-06 15:30 | 活動報告など
『感謝とよろこび』
 いろいろありがとうございます。自分のペースで無理をせず
これからも活動を続けていきたいとおもっています。 てきや

●9月19日 台風18号大雨被害日光市のお宅の庭の泥だし

 19日、シルバーウィークは石巻市牡鹿半島大原へ行くのを楽しみにしていた。
しかし台風18号の被害の大きさを感じ、一日はお手伝いをとおもい、
いっちーと一緒にあまり報道されずにボランティアも足りていなかった日光市へ向かった。
期せずして大原で一緒に活動したカメラマンの小西兄貴や長谷川さん、
和歌山や南相馬で一緒に活動した高田さんもいて、同じチームになった。
15人で庭の泥だしをしたが終わらなかった。水害の大変さを改めて感じた。
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●10月10、12、18日常総市へ

 常総市には3回足を運んだ。活動内容は、生活道路の清掃や
お宅の庭の泥だしや整備だった。被害範囲が広く、
まだ庭に泥が残っているお宅が広範囲にあり、田畑にも水害の後が痛々しく残り、
道路にも、ワラや泥、流失物が散乱していた。 
着替えや長靴等が重かったが、自宅から電車を乗り継いで1時間30分位で
水海道のボラセンに着き、バスで現場へ移動というパターンは、はじめてだった。
被害が広範囲で駐車スペースが限られている市街地での災害支援は
この形になるのかもしれない。 
東北と違って行きやすさもあるのか、「初めてこういうボランティアに来ました。」
という方もちらほらいて、「ボランティアに行ける人が増えてくれたらいいなぁ」と思った。
 1回目の常総市での活動を終えてバスへ歩く道すがら、渇いた泥が付いたままの
たくさんの稲穂とその奥に一人で庭の片づけをされている住民の方の姿が目に写った。
ボラセンの方の「冬が来る前になんとかしたい…」という言葉も思い出して
また常総市へ行こうと思った。
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●9月20日~23日 石巻市牡鹿半島大原へ遊びに。

 シルバーウィーク…前述の日光市から大原へ向かった。 
大原行政区の石森区長さんにいつものように挨拶に伺い、
「今回はボラではなく、大原の人たちに会いに遊びに来ました。」と言うと、
「じゃあオラの船で釣りに行こう」と言って下さり、生まれて初めてヒラメを釣ることができた。
他にもサバ、イナダ、カンパチ等も釣れた。いっちーもヒラメ、マゴチ、ホウボウが釣れた。
「区長さんメチャクチャ楽しいです!」と何度も船上でつぶやき、
「生きていれば楽しいこともあるんだなぁ」としみじみおもった。一生の楽しい想い出になった一日だった。 ヒラメは区長さんの奧さんにお造りにしてもらい、他の魚たちは炭火で塩焼きにして、
7~8人の大原の人たちとわかちあい、至福のひとときを味わった。
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 仮設住宅から高台移転の復興住宅に移られる方、自立再建で家を建てられる方、
ご家族や仕事の事情で大原を離れる方、恋愛相談等いろいろなお話しを伺い、
それぞれの方々が大切な人生の選択をされて、その結果離れ離れになる印象も
受けて複雑な気持ちになったが、こうしてつながりとかかわりが残り、
お話しを伺えることはありがたく、うれしいことと感じた。

 おがた棟梁とも再会し、お酒を酌み交わせた。
おがた棟梁とは飲みながら震災直後の頃の話しをすることが多い。
団体でボランティアに来た女性に「ありがとう」とおがた棟梁が言ったら、
「私なんかに声を掛けてくれてありがとう」と返ってきたとのこと。
「ありがとうっていうのはこっちの方なんだ」とおがた棟梁がしみじみ言っていた。
棟梁には真心がある。
「てきやさん…無理するなよ、怪我するなよ、もうすぐ暗くなるから終わりにしろよ」と、
いつも「てきやさん…」から始まる棟梁の笑顔でのぶっきらぼうな命令口調を
聞くのが好きだったことを思い出した。
「自分は棟梁から真心を、やさしい気持ちをたくさんもらってきたんだな…」 
気がついたらうれしくて泣いていた自分がいた。
 大原は感謝とよろこびに包まれた時間だった。 

 まだ身体にキレが戻らないが、こうして活動を再開できたことをうれしく、
ありがたいと感じている自分がいる。 

  清田 和男
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by aoesupport | 2015-11-17 03:00 | 活動報告など
やっさんです

3月11日を今年もむかえ、東日本大震災から4年がたちました。このブログも停滞し、私自身も何もしていないような状況ですが、てきやさんはきちんと自分にできる活動を続けてくれています。もはやボランティアが何かできるという状況では無いと考える方もいるとは思いますが、こうして毎月活動を続けている仲間がいることも心にとどめておきたいと思います。


◆12月~3月活動報告
「誰でもできることを私にしかできないというおもいをこめて」 今年も活動を続けます。

◎12月27日(土) 南相馬  ビニ-ルハウスの解体と竹の伐採
 
以前はビニ-ルハウスの解体には心理的な抵抗があった。放射能のため農業を続けられなくなったことの意味を考えてしまうから。 (ボランティア不足だから)いかに早く解体して次の現場へと思う自分に少し戸惑いを感じた。 慣れてはいけないこともある、考えなくてはいけないこともある、帰り道、年末の常磐道の高速を運転しながらそんなことをおもった。

◎1月17日(土) 南相馬  庭の整理(竹や木の粉砕、移動)  

前回のボランティアチ-ムが切り倒した竹や木を整理してほしいというのが家主さんの依頼だった。やはり家主さんがいると気持ちが入る。休憩のたびにコ-ヒ-やお菓子をいただいていろいろお話を伺った。 こたつで温めていた鯛焼きも頂いた。心もあったかくなった気がした。大人になり、知らないうちに甘いものが苦手になっていた。特にあんこは。 子供の頃亡くなった祖母がよくこたつでお弁当や鯛焼きを温めていてくれて、小学校が半日だった土曜日にそれを食べるのが楽しみだったことを思い出した。鯛焼きってこんなにおいしかったんだなって思った。自分は時間ギリギリまでもっと庭をきれいにしてあげたいと思ったが、午後は雪が降り出したこともあり14時30分頃家主さんから作業のストップがかかった。「他にも困っている人がたくさんいる中で、ここまでしてもらってうちは大丈夫 ありがとう。満足しました。」という言葉をいただいた。ぬくもりを感じた一日だった。

◎2月8日(日) 南相馬 ビニ-ルハウスの補修 草刈り

珍しく、解体ではなく、ビニ-ルハウスの補修・・・肥料の入った土が雨で流れないように囲う作業を家主さんと行った。家主さんによると除染はしてもらっているけれども、上流のダムの水が放射能で汚染されているため、農業の再開は難しいとのこと。「このハウスで稲の苗を育てていたんだ。・・・自分が生きているうちはもう農業はできない。でも気持ちだけでも何かしたくてね・・・でもひとりじゃあ気がめいっちゃって・・・今日ボランティアさんたちが来てくれてよかった。元気が出たよ・・・」と話されていた。たとえ稲の苗が植わらなかったとしても今日の作業の意味はあったとおもい、心がいっぱいになり、もう帰りたいとおもったが、ボランティア不足の折り、まだ14時、次の現場の応援に行かないと松本センタ-長に怒られる・・・という話になり、強い雨の中、次の現場へ向かい、草刈りを行った。 終わってみたら充実した一日だった。

◎2月11日(水)  石巻牡鹿半島大原  ご神木祭参加(てきや イッチ-)  

◎2月22日(日) 南相馬  竹の伐採 草刈り つばきの剪定 

作業指示書にはつばきの木の剪定とだけあった。慣れない手つきながら植木屋さんになったつもりでチョキチョキ剪定をしていたら家主さんが来た。「昨年9月に頼んでいてもう来てくれないかと思った。本当は、木や竹も切ってほしい」と話された。「・・・孫たちは新潟に家を買ってもうここには戻ってこない。先祖代々300年続いたこの家と土地が自分の代で終わってしまう・・・何も悪いことしたわけでもないのにくやしい・・・」 返す言葉もなくうなだれるしかない自分がいた。 心のどこかが痛い・・・  「住めないとわかっていても、先祖代々のこの地に住みたいと思うし、きれいにはしておきたいんだよね・・・」と家主さんは続けた。 せめて自分ができることをとおもい、のこぎりを持つ手に力を込めた。

◎3月8日(日) 南相馬  ボラセン移転準備(廃材の片づけ 棚の設置)

南相馬市社会福祉協議会よりボラセンの立ち退きを迫られ、その期限が3月いっぱいである。幸い地元の方で親切な人がいて、今のボラセンの近くの廃業した旅館の建物と敷地に移転できる運びとなり、整備が必要となっていた。 この日は松本センタ-長の命により、機材置き場への棚の設置と廃材の移動を依頼された。

 1月17日の朝礼での松本センタ-長の話が印象的だった。「人はどんな時にしあわせを感じるのか。周りの人や家族がよろこんでいるときもしあわせを感じるのではないでしょうか。小高(南相馬市小高区)の人がしあわせになれるようできることをできる人が行い、被災者の心のがれきも取り除いてあげてください。」 
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 南相馬のボラセンには年配のボランティアさんが多い。自分の父親の世代の人も多くいて、とても親切にしてくれる。 ずっと父親的なやさしさがほしいとおもい、自分もそれを身に着けたいとおもっている。自分らしさを活かした人とのかかわりと生き方をつかみたいとおもう。 自分の人生の課題と欲しいものがこの活動の中にはある。誰かの、何かの役に立ち、しあわせを感じつつ、人とのふれあいとかかわりをこれからも増やしていきたい。

今年も南相馬で竹や草を刈る。 誰でもできることだけど、今ここで私にしかできないという気持ちを持って。

てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2015-03-16 00:30 | 活動報告など
少しあいだが空いてしまいましたが、てきやさんの活動報告です。
本人の言うように「まだ活動を続けています。」継続こそが力なりですね。

8月~11月 活動報告 『…いてくれてありがとう…』

ちょっと仕事が忙しく、活動報告は間があいてしまいましたが、
活動は続けています。ご一読頂けますとうれしくありがたく思います。

自分の中でずっと気に入っているフレーズがある。
神田橋條治先生の本の中のミルトン・エリクソンの言葉…
「私の言葉が、今後あなたのお友達の声として、いろいろな
人々の声として、そして風の音として、波の音として、
今後ずっと、あなたの中で響くでしょう。」
こういう声を届けられる人にはなれなかったけど、この活動を通して
こういう声に包まれている自分がいることに感謝している。

8月2日 南相馬 お宅周辺の竹、植木伐採、草刈り
8月9日 南相馬 お宅の庭の草刈り
9月27日 てきや、いっちー 竹や木の粉砕
10月18日 南相馬 内勤(ボランティアセンター内での事務、電話、被災者対応)
11月22日 南相馬 竹の伐採
11月22~24日 石巻牡鹿半島大原浜へ


◆8月2日の南相馬も印象的な一日だった。到着前から家主さんが
竹を伐採していた。久しぶりにご家族の方がいてくれての作業に気合いが入った。
住み慣れた家と土地をあきらめるかどうか悩んでいらっしゃるとのこと、
どちらにしても一度更地にするので植木も根元から切りたいとのこと。
紳士的な家主さんだった。
「怪我だけはして欲しくない。雷雨が来たら作業はは即やめて下さい。」
また、チェンソーはボランティアの怪我の危険があるので使わないで
欲しいとのことだったが、ボランティアが減少している折りもあり、
今日少しでも進めたいと思い、ボラセンから借りてきたチェンソーを
家主さんの了承を得て、使わせてもらった。
「こんなにはかどるとは 気が楽になりました。」 と言っていただき、自分もほっとした。
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◆10月18日の内勤ボラはこれで2度目となる。被災者の方が複数名訪れた。
松本センター長の対応を観察できた。(ボランティアが減少し、ニーズに追いつけないので)
「いつできるかわかりませんので、立ち会いはなしでお願いします。」と言いながら、
地図を広げながら、書類にどの木を伐るか等つぶさに見取図を描いていた。
これが現場に行っても家主さんがいない中での作業が多い理由だった。
水田だった所は荒野と化し、住んでいた所は、草と竹に覆われていく…
そして原発のせいで家族がバラバラになり、老夫婦が仮設住宅に残され、
住んでいた家と土地の草刈りや片付け等が滞っている現状に
やるせなさともどかしさを感じた。これからも無理のない範囲で活動を続けようと思った。

◆9月28日は震災の年に水害に見舞われたおばあちゃんがいる
福島県金山町に向かった。いろいろ用意されたり、数十分前から家の外で
待っていてくれたりするので、恐縮してしまうのであえて連絡はしなかった。
残念ながらおばあちゃんは留守だったけど、庭の畑が手入れされ、
野菜が育っていたので元気なんだと思った。
後日電話したらたまたま法事があり、外出していたとのこと、
「気に掛けてくれてありがとう。今度は会おうね。」という言葉に
包まれて心があたたかくなった。 こういうかかわりがずっと続きますように…
冒頭のミルトン・エリクソンの言葉が実感を伴って追いかけてくる。
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◆11月8日(土曜日)職場である王子福祉作業所の文化祭のようなお祭りで
復興支援コーナーを立ち上げ、釜石市の福祉作業所(2箇所)から
キムチや切り干し大根、カット干しシイタケを販売し、昨年(めかぶ汁)に引き続き、
石巻でお世話になった長沼商店のやっちんさんからめかぶを送ってもらい、
今年はめかぶ入りたこ焼きを焼いた。
大原行政区の石森区長さんに大漁旗を一枚貸していただきたいと
お願いしたところ6枚の大漁旗が届いた。
信頼をいただき、また石森区長さんの心遣いに感謝とよろこびを感じた。
そして大漁旗を背にめかぶ入りたこ焼きを焼けるしあわせを想った。
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◆11月22日、南相馬での竹の伐採作業の後、石巻牡鹿半島大原へ北上した。
21時に着くとめかぶを提供してくれたやっちんさんと高橋さんが
牡蠣と島豚のしゃぶしゃぶを用意して待っていてくれた。
朝は石森区長さん宅で朝ごはんをごちそうになり、小野寺さん宅にも
夕食に呼ばれたりしてたくさんもてなしてもらってしまった。
おがた棟梁と話す時間を作れないまま帰り際になってしまった。
「てきやさん 何でオラの所にもっと早く来なかったんだ…」と
最初は真顔で怒っていたので少し焦った。話しているうちに
いつもの棟梁に戻り、うれしそうに神社の鐘楼堂の完成を語っていた。
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棟梁の創った鐘楼堂は秋の空を背にして静かに美しく佇んでいた。
そして…「夏祭りにてきやさんにあげようと思って創ったんだ」と言って、
檜の作品をお土産にくれた。うれしすぎてフワフワした感じで、
実感が伴ったのは、自宅に着いてからだった。
誰かが自分の存在を認めてくれていて覚えてくれているよろこびと
しあわせを改めて想った。大原の人たちに出逢えてよかった。
大原の人たちがいてくれてよかった。 いてくれてありがとう。

この活動での出逢いとかかわりが、想い出として、生き方として、
友のことばとして、風の音、波の音として、響き、自分を包んでいく。
また次は南相馬へ  てきやこと清田和男
 
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by aoesupport | 2014-12-14 02:43 | 活動報告など
◆6月~7月 南相馬・山形県南陽市活動報告

 「次はまた福島へ」
○6月7日(土) てきや かっきー  南相馬 敷地内草刈り、竹の伐採

AOEのかっきーさんが同行を申し出てくれて二人で南相馬に向かった。
マッチングの後、東北エプソンのチームと合流し10数名のチームとなった。
敷地内の草刈りや竹の伐採を行った。藪が深く広く軽トラックも竹と草に
埋もれていた。この日も住民の方には会えなかった。
住めていた所に住めなくなることにいろいろなおもいが浮かんだ。
 
○7月12日(土)  てきや  敷地内草刈り、墓地の草刈り・竹の伐採

いつものようにマッチングを終えて平日から複数日活動されている
定年退職されていると思われる(シニアチームと呼ばれていた)
年輩の方々中心のチームに入った。
まずは、(いつものように)お宅の庭の草刈りとのことだった。
しかし現場には家は無く、津波の被害を受け、取り壊した更地に
草ぼうぼうの荒野が広がっていた。となりには津波で破壊された家が
そのまま残っていた。これが除染作業が進む中での20キロ圏内の
現実だった。もう3年以上月日は流れているが・・・
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午後は福島大学生10人が20キロ圏内の墓地の草刈りをやっている
ところのフォローに回った。大学生たちがお墓を一区画ずつ丹念に
草を刈ってくれていたが、山の斜面にある墓地のため隣接した墓地には
斜面の竹や草がおおいかぶさっていた。
そこをシニアチームが草刈り機やチェーンソーやノコギリで竹や草を切り、
ならしていった。自分は草刈り機を使える傾斜まで使い終わると
伸びきった太い竹をカンパから購入させていただいたノコギリで
斜面にしがみつきながら切った。

この日、印象に残る場面があった。

墓地の目の前のビニールハウスで農業を再開している夫婦を見た。
お話を聴きたかったが、挨拶をするのにとどまった。
「作った作物が売れるかな?」と心配になった。
夫婦は機械を使ってビニールハウスの土を耕していた。
20キロ圏内ではビニールハウスの解体の方が見慣れた光景だった。
土を耕す夫婦の後ろ姿から強さを感じとっている自分がいた。
信念を貫く先にはきっと道は開ける、そんなふうにもおもった。


○7月19日(土) 20日(日) 山形県南陽市 豪雨水害泥出し

19日 この三連休は2年連続で水害にあった山形県南陽市赤湯温泉へ向かった。
水害から10日が経ち各所で川が氾濫し、積み上げられた土嚢袋や合羽を着て
泥だしをしている住民の方の姿も見られた。被害が広範囲で数ヶ所に
わたっている様子が見て取れた。
ボラセンに着くと一緒に活動したことのある、南相馬の常連ボラさんが2人いて
一緒に活動することになり、被害の大きい漆山地区へ向かった。
出鼻をくじくかのような雨の中6人のチームで、あるお宅の庭の泥だしを行った。
となりのお宅は床上浸水で泥だらけの家財が別のボランティアさん達に
より運び出されていて痛々しかった。作業は無事に終了した。
家主さんの安堵の表情が見れて良かった。

印象的だったのは、地元の住民の方々や消防団の方々もボランティアとして
各お宅の泥だしをし、そこに団体ボラ、重機を扱えるボラ、個人ボラ、
コーディネートボラが加わり、社会福祉協議会、市役所のバックアップも加わり、
いい連携が取れているように思った。


夕方、赤湯温泉に浸かった。地域の計らいかボラセンで公衆浴場無料券がもらえた。
熱めだが泉質がよい。宿泊代を浮かすため大型スーパーの駐車場で車中泊する
こととして、併設してあったガストで夕食を取り、おいしいビールを飲み、
明日の作業への英気を養った。

20日 他の地区も気になったが、再び漆山地区へ向かった。
20数名の住民ボラに混ぜてもらい、庭が広いお宅の泥だしを行った。
残念ながら終わらなかったが、住民の方々と一緒に作業できたことは良かった。
差し入れでいただいたスイカときゅうりがおいしかった。
2日間の作業を終えて日帰り入浴をしたくてある旅館に行った。
千葉から来たボランティアであることを告げると無料でいいとのこと、
帰りは赤湯温泉ということで赤いタオルもお土産に頂いた。
「またきてね」という女将さんのことばがうれしく心に響いた。
振り返ると作業中からいろいろな人に気遣いを頂いた2日間だった。

自分も震災後からこのような活動をはじめたが、自然災害が
起きてしまった地域への支援と つながりの輪が広がっていくことを切に願う。


山形県南陽市で活動してみて改めて原発被害の福島県の問題の
大きさを実感している。水害だけなら人の手と心を集め泥出しをすれば
再び元の暮らしが戻る。でも、津波は人の命さえ奪い、
原発は、住めていた家と家族のつながりをも奪った。
福島は、南相馬はもっともっと人の手と心が必要なようにおもう。
 
次はまた福島へ てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2014-08-06 23:00 | 活動報告など