2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

カテゴリ:活動報告など( 119 )

3月~5月南相馬・石巻活動報告

「東北には学びたい人と会いたい人がいる。」
 
南相馬活動日程 
◆3月21日 てきや いっちー  敷地内の草刈り
◆4月12日 てきや 勝沼さん  ビニールハウスの解体
◆4月19日 てきや 内勤ボランティア
◆4月26日 てきや 住居に倒れる危険性のある、杉の木の伐採
              木こり隊補助 木の運搬等
◆5月17日 てきや  草刈り・植木剪定。

 自らの意志で南相馬に来るボランティアはどんな作業も嫌がらず、
今できること、やるべきことを自分で見つけながらきびきびと動いている。
ことばだけではない、その作業を行う背中と行動から自分も生き方を
学んでいる気がしている。ここには学びたい人がいる。
 
◆4月19日 松本ボラセンター長から内勤ボランティアをやるようにと
指示を受けた。内勤ボランティアとはボラセンにいて、受付や実務、
電話対応等を行う。松本センター長は忙しく現地を飛び回っているため
不在の時間帯も多く、時に被災者の方のニーズ受付対応も行う
大事なポジションである。実際に被災者の方が来所したり、
電話が掛かってきたりして緊張の連続だった。

◆5月17日 原発から20キロ圏内のお宅の庭の草刈りと剪定を行った。
草や木を刈ることはできても回収のメドは経っていない。(放射能が絡むから)
庭に置いておくしかないトン袋につめた草や木が増えていく・・・
高齢の足の不自由な家主さんだった。住めていた所に住めなくなり、
庭の伸びていく草と木、ずっと気になっていたんだろうなとおもった。
今は山梨に移住(避難?)しているという。家主さんが庭を見つめながら、
「原発にはひどい目にあった」つぶやいていた。

松本センター長の話ではボランティアも足りておらず、ニーズに
対応しきれていないという。家主さんは、「庭の草刈りをお願いしていたけど、
あと数日で山梨にもどらなくてはならない。いつやってくれるのか?」
とボラセンに問い合わせたら、やっと4人のボランティアが来たとのことだった。
その4人のボランティアは頑張ったが3年以上手がつけられなかった
広い庭は荒れ放題で草刈りはなんとか終了したが、
木の伐採と剪定は残念ながら終わらなかった。

てきやの心の中には、このような状況に置かれる被災者の方々が、
少しでも減り、心の負担が減りますように・・・
そんな祈りのようなもどかしいおもいが残った。 
やっぱりまた南相馬に行こうと強くおもった。
松本ボラセンター長の口癖の「できる人ができる時にできる事をする」
ということばがいつになく心に響く。南相馬には学びたい人がいる。


◆4月27、28日 石巻牡鹿半島大原 めかぶそぎ作業

26日に南相馬で活動したあとそのまま石巻へ向かった。
水温が上がる前にめかぶの収穫をということで浜はまだ忙しかった。
前回と同様に大原行政区石森区長さんのいとこの小渕浜の藤丸さんの
ところで2日間お手伝いをさせて頂いた。
区長さんも毎日午前中は手伝いに行っているとのことだった。 
改めてこれからも漁業の手伝いもしていきたいとおもった。
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今回、おがた棟梁の還暦を小西兄貴と祝った。
棟梁は涙ぐみながらよろこんでくれた。しあわせを感じるとてもいい時間だった。

平さんが家を建てる話を真剣に話してくれたり、石森区長さんが
家に呼んでくれて食事をごちそうしてくれたり、
小野寺さんとお酒が飲めたり、とてもありがたいつながりがあった。
その一方で、会えなかった人もいた。薄れていくつながり。

「人は他者への一定の気遣いを共有することは前提であり、大切なことである。」
というおもいをてきやは敢えて曲げず、清濁併せ呑むことができなかった。
でも今の自分はそれでいいとおもっている。
「うまく関われなかった、できなかった」ということよりも
「感じられない」ことの方が人として恥ずかしいこととおもっている。

自分なりに人として感じられる人でいたい。
自分のおもいも大切にしなければ、人のおもいも大切にすることはできない。
自分の人間理解と表現もまだ至らないところもある。
それらを真摯に受け止めて自分自身と向き合っていきたいとおもう。

・・・そして・・・おがた棟梁は約束通り木でできた照明器具を作ってくれていた。
・・・自分の働いたお金で買う一生の宝物・・・

「てきやさんの顔を思い浮かべながら作ったよ」という棟梁の笑顔がまぶしかった。
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今、自分の部屋にはそれがあり、時々やさしく灯っているのを
いろいろなおもいで眺めている自分がいる。

こんなに豊かな時をありがとう。

南相馬には学びたい人が、石巻には会いたい人がいる。

またこれからも東北へ (^-^) てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2014-05-25 23:30 | 活動報告など
3月の石巻牡鹿半島活動報告

「薄れていくつながりと深まるつながり」
◆この時期は、ワカメ・めかぶ漁が忙しい。
3月21日に大原入りする予定であったが大原行政区の石森区長さんから
電話をいただき、仙台では雪も降った悪天候で、21日は船を出せないので、
ワカメの作業はないとのこと、いっちーと東北道での車中で相談し、
南相馬へ向かうこととし、いつものようにボラセンでマッチングを経た
チームで草刈りを行った。その後南相馬から石巻へ向かった。
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◆22日と23日のお昼まで石森区長さんの親戚の小淵浜(大原の近くの浜)の
藤丸さんのところでめかぶの実を茎から削ぐ作業とワカメの検品、箱詰め
作業をさせて頂いた。めかぶの作業は何度かやったこともあり、
フォークみたいな道具でサクサク削げて簡単で気持ちがよかったが
ワカメの検品、箱詰め作業は、自分が選別したワカメがそのまま市場に
行ってしまうので超緊張した。まさに社会勉強という感じで
いい体験をさせて頂いたし、何より土地の人に親切に教えてもらいながら
一緒に作業できたことがうれしかった。
 そしてもう一つうれしかったことは今回は以前より活気があるように感じた。
まだまだいろいろ問題はあるんだろうけど、漁業を通しての
土地の人の確かな生活というか営みが戻りつつあると雰囲気から感じた。

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◆夜はおがた棟梁と再会した。
作業場には鐘突き堂の骨組みが出来上がっていた。
ワカメの作業が終わったら大原の人たちで基礎工事を行うのだという。
てきやさん ブログに紹介してけろ(^-^)」棟梁の笑顔に自分もうれしくなった。
そして棟梁は木を組み合わせた照明器具も作っていた。
家族の団欒がおもい浮かぶオレンジ色のやさしいあたたかさを感じる光だった。
「棟梁、てきやもこれほしいです。」と注文して棟梁も笑顔で受けてくれた。
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瓦礫を撤去するボランティアの一人としておがた棟梁と出会った。
てきやが作業していると棟梁はいつもやさしいことばをかけてくれた。
いつしかいろいろな話しやかかわりができるようになった。
そして今回、自分が働いたお金で棟梁が仕事をした物を買うことができる
よろこびをおもった。きっと大切な一生の思い出と宝物になる買い物となる。

震災が起きてみんなたぶん無意識に我慢しつつ協力しあってきた。
時が経つにつれてその我慢の反動もあってか、失ったものが大きいなかで
それぞれがそれぞれの生活へ戻っていく過程で人の世の常である、
諍いやすれ違いもあった。

てきやもボランティアとして、大原の人たちに迷惑をかけず、
いかに役に立つ存在でいられるかをおもってきた。
もちろん今もそれは基本姿勢にしている。
しかし、最近はてきやも自分の中のいろいろな感情が
大原の人たちを前にしても表に出てくるようになった。
自分が納得いかないことに真摯に向き合う必要も感じている。
もうボランティアではなく清田和男としてどう物事に対処し、
どう人とかかわっていくかを今、自分で自分に問いかけている。
そしてこの局面も学びと成長のチャンスとして受け止めていきたいと
おもっている。人が人を大切におもう時のその表現の幅の広さと深さを
今いただいている心遣いへの感謝と共におもう。
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今回、薄れていくつながりと深まるつながりのふたつをおもった。
これからも大原へ漁業や神社の手伝いに行き、
大原にいる会いたい人に会いに行きたい。

てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2014-04-16 22:30 | 活動報告など
南相馬活動報告1月~3月 「まだ何も終わっていない」

今年は南相馬に多く行こうとおもっています。
活動のご支援とご理解を引き続きよろしくお願い致します。

●1月18日(土) てきや 畑だったところの木の伐採
 少し出遅れたが今年初めての活動。畑だったところの木を桜の木以外は
切り倒して欲しいとのこと。作業開始前、高齢の所有者さんが挨拶に見えた。
「原発事故以来家族が4箇所にバラバラに・・・」
福島で何度となく聞くことば・・・心のどこかが針で刺されたような痛みが走る。
「今自分ができることは木を切ること」とおもった。のこぎりを持つ手に力が入る。
カンパで買わせて頂いたのこぎりがよく切れる。ありがたい。
時間が経つのが早かった。何度も一緒に活動したやまのうちリーダーが
「もっとコンパクトにしてあげたい」と言いながら、ひたすら枝を切っていた。
まぶしい背中だった。

●2月8日(土) てきや  庭の木の剪定
 東京でも大雪が降った日だった。
きれいなマイホーム、子供用の自転車やおもちゃが庭に転がっていた
。ここに子供のいる家族が住んでいたことは明らかだった。
依頼は庭の植木の剪定だった。雪がどんどん積もっていった。
切った枝が雪に隠れていく。頭が重いと思ったら巻いていた手ぬぐいが凍っていた。
そんなことより、ここに住んでいた家族はどこへ行ったのだろうか?
この日も住民に会えなかった。
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●2月22日(土) てきや、いっちー  ビニールハウスの解体
 南相馬でよくある解体・・・意味と価値と人の顔が見えないとやる気が
起こらない自分がいる。よくある、身体は動いていても、心のエンジンは
掛からない。この日もそうだった。ビニールハウスを解体した後の
イメージが持てない。何のために、自分は南相馬に来ているのか・・・
いつもの自問自答が続く。そんなてきやをよそに、ボランティアの人たちは
ひたすら目の前のできることをやっている。いつもはっと我にかえる。
後半やっと作業に集中できる。リーダーが今日は手がつけられないだろうと
言っていた藪の中へいっちーが突っ込んで行った。
気がつくと予想以上の早さと丁寧さで作業が終わっていた。
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●3月8日(土) てきや、勝沼さん
ビニールハウス解体後に残された鉄パイプの撤去と回収

 ビニールハウスを守るため設置されていた暴風ネットを支えていた
太い鉄パイプの柱が残されていた。それは地中深く埋まっていて
抜くには手ごわい相手だ。この日も住民の顔が見えない地味な作業だなと思った。
穴を掘り、てこの原理を使い、共同作業で引き抜いていく。
ボランティアという名の大人たちが子供のような顔をして鉄パイプを取り囲む。
不思議な時間だった。

●3月15日(土) てきや 家具の移動、ビニールハウスの解体
 最初、あるお宅に伺い、2階のタンスや棚を1階へ降ろす作業をさせて頂いた。
「本当は処分したいんですけど市役所に問い合わせたら回収してないというので・・・」
と住民の方は言う。インフラ整備、除染作業も始まってはいるが、
仮置き場も不足していてまだまだすべてが追いついていない印象を受ける。
ボランティアセンターに戻るとビニールハウスの解体に合流することになった。
ここでも皆重労働を黙々とこなしている。
ここにボラに来る人の背中はやさしくて、強くてあたたかいと感じた。

常磐道が終点の富岡まで開通し原発の脇を走る国道6 号の通行許可証が
ボラセン経由で手に入れることができた。場所により線量の高い所があるとのこと、
少しの覚悟がいったが、これにより自宅から4時間で南相馬入りができるようになった。
(これまでの東北道→二本松経由だと6時間)
高速代とガソリン代で一万何千円掛かるが、それに目をつむれば、
日帰りが可能となり、南相馬入りの回数を増やすことができる。
ビニールハウスの解体や草刈り、使えなくなってしまった家具の取り壊し、
木や竹林の伐採等、プライオリティは低いの かもしれない。
でも自分の人生の中で誰かの、何かの役に立つ、立てる時を刻めることへの
よろこびと感謝と恵みを今、はっきりと感じている。
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話しを戻すと、原発の脇の6号線、至るところに柵やバリケードがあり、
柵は民家にも及び、広範囲でゴーストタウンが続いている。
「こんなに広い地域が住めなくなり、家族がバラバラになったんだ」と思い知る。

自分はこの3年間、この活動に対して「まだ終われない」とつぶやいてきた。
でもそれは単なる主観だった。
終われないのではなくて、終わっていなかったんだ。 これがたぶん客観である。
特に原発事故から3年・・・まだ何も終わっていない。

だから今年は南相馬に多く行きたい。
てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2014-03-25 23:00 | 活動報告など

東日本大震災から3年

サポートチームの皆様、

テレビでは明日の震災から3年を迎える日にあわせて、特集番組などが放送されています。

新聞でも久しぶりに被災者という言葉を目にしたような気がします。

私自身、東北に行かなくなって2年以上がたち、いまさら何ができるのかとも

考えてしまいますが、何をすべきかを考えるのが確かに難しい状況になっております。

仮設住宅は本来は3年くらいの時限措置で作られているプレハブですが、

その入居率が8割を超えているという状況を考えると、どこに行く当ても無いという人が

たくさんいすぎて、その人たちはプレハブに住み続けるしかないのでしょう。

仮設住宅の解消が復興の指針となるはずの被災地ですが、今回の地震は

それが当てはまりません。そんな中で何かできることがあるでしょうか?

サポートチームの皆様から、チームの活動資金として集めた義援金が

残っております。集計をしてお金の出入りをきちんと報告しなければいけないのですが、

なかなか、時間がとれずに3年を迎えてしまいました。

先日、誠ちゃんを含めて集まった時にも、この話が出たのですが、

誠ちゃんからは、石巻牡鹿半島での古民家再生IBUKIプロジェクト

使ってほしいという要望を誠ちゃんからいただきました。

私自身、皆さんの思いのこもったお金をどうすればよいか迷っているところも

ありますが、この場を借りて、この使い道を報告させていただき、何か意見などが

ありましたら、それもいただきたいと考えております。

4月くらいまで時間をおいて、意見の調整がとれましたら、誠ちゃんの要望にあわせて

お金を使いたいと思っております。皆様からの意見もお待ちしております。

やっさん
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by aoesupport | 2014-03-10 21:30 | 活動報告など
今年もよろしくお願い致します。(^-^)

11月~12月のてきやの活動報告 『人間に戻れる時間をありがとう』

11月24日(日) 南相馬にてビニールハウスの解体

この日は10人位のチームでビニールハウスの解体を行った。広大な土地に
大きなビニールハウスが7~8つ広がっていた。花の苗を育てていたらしいが、
放射能の影響でもう再開できないらしくすべて解体・撤去するとのこと。
この日は10人がかりでビニールハウス一つ しか解体できなかった。

南相馬でよく遭遇する、作るのではなく、壊す、捨てる作業に属するもの。
複雑なおもいを抱えながら身体を動かした。風化と無関心のなかで
片付けられないまま放置されるよりは、心を持った人の手で解体する方が
意味があるとおもった。南相馬社会福祉協議会の門馬会長の
「ふるさとを廃墟で終わらせたくない」ということばが追いかけてくる。
また南相馬に来ようと改めておもった。


25日(月) 福島県金山町のおばあちゃんと再会 

南相馬から新潟・福島集中豪雨の際、畑の泥だしをさせて頂いた金山町へ
向かった。会津の先の新潟県との境目にある町でもう雪があった。
このおばあちゃんのところへは年に1~2回訪ねるようにしている。
行くと喜んでくれるのでとてもありがたい。

お気を遣わせてしまうので、あえて突然訪ねるようにしている。
おばあちゃんの元気なお顔を見るだけでホッとする。
(でもいつももてなされてしまう。) 10月に伺った際は、旅行中で留守だった。
旅行に行けるのは元気な証拠と安心し、近所の方に手みやげを預けて失礼した。
後日おばあちゃんから電話を頂き、「今度来る時は電話ちょうだい」
と言われてしまった。そういういきさつから再会すると、おばあちゃんは、
畑で取れた野菜で煮物や漬け物を用意してくださっていた。
すごくおいしかった。いろんな話しをした。」
おばあちゃんは、「ラーメンはチャルメラがいちばんうまいんだ」と言っていた。
確かにこの日ご馳走になったチャルメラはとてもおいしかった。 
そしてぬくもりを感じた。今度来た時は雪かきや草刈りをしてあげたいとおもった。

30日(土) 石巻牡鹿半島大原にて神社の奥の院手前の石垣作りのお手伝い

イギリスから来たボランティアのキャロラインさんがイギリスでスポンサーを
みつけてくれて地震で壊れた神社の鐘突き堂の再建が決まり、
神社の修復が動きはじめていた。先着していたいっちーと合流し、
この日は石巻市内から来た石材業者さんと大原の人たちと共に
奥の院の石垣を積み上げる作業のお手伝いを行った。
こういう神社の再建に携われることに感謝とよろこびを感じると共に、
大原の人たちと心を通わせながらの作業はいつもながらすごく楽しかった。
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3月下旬から忙しくなるめかぶ・ワカメ漁のお手伝いと、4月以降
おがた棟梁が行う鐘突き堂の再建のお手伝いには、絶対行こうと思っている。

12月1日(日) 帰る前におがた棟梁の作業場に挨拶に行ったら、
「てきやさん大工仕事手伝ってけろ」と言われてしまい、全身に緊張が走った。
(「しくじったらどうしよう・・・」)教わったのは、太くて長い角材のカンナを
使っての面取りだった。均一に角を削るのは難しい・・・
仕事になると鬼になる棟梁にいつ怒られるか・・・寒いのに冷や汗が流れた。
棟梁はニコニコしながら、「てきやさんもこれで大工だな。てきやさんも
おらの弟子っこだなや。 あんたは何をやるにも一生懸命だな。」と笑っていた。
やっとカンナを手放すことができて緊張がほぐれた。
棟梁が、「これらは鐘突き堂に使う木だ。ウソは人の心に響かない。
事実が大事なんだ。てきやさんも何十年後に大原に来て、
これは俺が作った鐘突き堂だって胸を張って言えるっちゃなぁ」とまた笑っていた。
あとになって棟梁のやさしさがじんわり伝わってとてもしあわせな気分になった。


12月14日(土) 大原の高橋さんの実家(築館)周辺の草刈り

この日はいっちーと南相馬に行く予定だった。
しかし、いつもお世話になっている石巻の大原の高橋さんから要請があった。
「実家の土地に草が生えて近隣から苦情がきてしまっている。
草刈りを手伝ってほしい。」とのことで宮城県築館方面へ向かった。
以前何度か地震で壊れた実家の取り壊しのための片付けのお手伝いを
させて頂いた場所。深夜からの雪が積もる実家があった土地は
更地の上に背の高い草が生い茂っていた。
実家の土地の前の広い敷地(田んぼだったとのこと) を優先でやるとのことだった。
高橋さんのいとこの方も応援に来てくれて4人になった。
確かに一人~2人では広すぎて大変だと思った。作業は無事に終了した。
夜は築館のビジネスホテルに泊まり、高橋さんといっちーと美味しいお酒を飲んだ。

時々活動を続けていることについて人から問われることがある。
活動を続けている理由について「人間(人)に戻れる大切な時間を頂けるから」
と答えている自分がいる。もちろん日常も仕事も大切にしている。
ただ時に自分のエゴや立場や役割やしがらみが時に自分の心を曇らせる。

南相馬のかなしい風景やこの活動で出逢った人とのかかわりは、
自分の心にダイレクトに染み込み、心に響いてくる。
今の日常の自分とも真摯に向き合いながら
「人間(人)に戻れる時間をありがとう。」
そんな気持ちで今年も活動を続けていきます。

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2014-01-07 21:30 | 活動報告など
きちんと毎月活動を続けているてきやさんの報告です。
石巻の人の言葉には、はっとさせられます。
私達はやれる事を全てやったのでしょうか? やっさん

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てきやです。最近、すぐに活動報告が書けなくなりました。
南相馬も石巻もひとつの出逢い、かかわり、
現場に震災以降の重たい時の流れを感じます。
そのことを感じ、受け止めるまでなかなかことばにできない自分がいます。

笑顔ひとつ、かなしみひとつ、憂いひとつ、風景ひとつが、
時の重さを伴って私の心に響いてきます。
今後も活動を続けていきますのでご理解・ご協力をよろしくお願い致します。

10月~11月の活動報告 

『 同じ時代に 』

◆10月12(土)13日(日) 
石巻牡鹿半島谷川洞福寺
貯水タンクと水源の沢の清掃(てきや いっちー)

おがた棟梁経由で和尚さんからお願いをされていた
「てきやさん達にやってほしい作業」を果たすために今回この時間を作った。
まずは棟梁の作業場へ挨拶に行ったところ、和尚さんもいた。
和尚さんは法事に向かわれるところで、戻られたら作業に合流されるとのこと。
ずっとできなかった貯水タンクの清掃を行いたいとのこと。

本堂の再建の前に終わらせておきたいとのことだった。
おがた棟梁が笑顔で「地味な作業だけどみんなが使う水場だから」との声も聞き、
作業に取りかかった。まず最上流の沢の整備から行った。
地味だけどいい休日を過ごしていると感じた。
午後に和尚さんも合流し、貯水タンクの掃除を始めた。和尚さんの表情が
明るいことによろこびを感じた。途中おがた棟梁も応援に来た。
貯水タンク清掃終了後は沢の整備と手洗い場の清掃もさせて頂いた。

来年の3 月から本堂の再建工事と高台移転工事が始まるとのこと。
お寺の近くの浜の漁業の道具や建物も増えてきている。
少しずつ変化していく風景と和尚さんの安堵の表情も重なり、
自分も少しの安堵感を覚えた。復興への道のりは遠いがまた来たいとおもった。

作業を離れるといつものように大原の方々がもてなしてくれた。
ある石巻の方からこんな話を聞いた。
「・・・ボランティアさんが来なくなってしまってさみしい。
家も流されてボランティアさんが来てくれていたことが救いだった。
だから今も来てくれるボランティアさんは、どんな人でも
無理をしてでもオラはもてなす・・・」

最近震災以降からの時の流れが重たく感じる時がある。

帰りの車中、この話を思い出しながらいっちーに語りかけた。
「やっぱりもてなされるのが当たり前とおもったらいけないよね」
いっちーが、「僕は仲間でいたいです」
仲間・・・そうだとおもいつつ、自分は節度を持ったボランティアでもありたいとおもった。
立場とおもいと個性が違うから人は時にすれ違ってしまう。
同じ時代に出逢えた人として・・・無理をしてでも・・・・
そういう人のおもいを感じ、節度を持ってかかわっていきたいとおもった。

◆10月19日(土)
南相馬 20キロ圏内のお宅の草刈り(てきや 勝沼さん)
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20キロ圏内のお墓に骨をうずめると決めている方の
お宅の庭の草刈りをさせて頂いた。 藪が深い・・・
いつものように組まれたチームで力を合わせた。
一通りきれいな庭になった午後鹿島区の仮設から
駆けつけた家主さんの安堵の表情を見て自分もほっとした。
まだ住もうとしている方々がいる。「早く除染をしてほしい」と強くおもった。

◆11月9日(土)
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職場(王子福祉作業所)のお祭りで、石巻牡鹿半島大原で、出逢い、
お世話になっているやっちんからめかぶを提供して頂き
めかぶ汁の販売をさせて頂いた。自分のおもいが一つ形になった時だった。
職場の人たちの理解と協力にも感謝している。

同じ時代に生き、出逢えた人とのかかわりとつながりに感謝しつつ、
これからも活動を続けていきたい。   てきや
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by aoesupport | 2013-11-25 21:50 | 活動報告など
やっさんです。ご無沙汰しております。
日本列島各地で自然災害の猛威にさらされております。
皆様のところは大丈夫でしょうか?
埼玉をおそった竜巻は、私のさいたま市とは少し離れていましたが、
その前に降った雨と吹いた風はものすごかったです。一歩間違えればですね。

そんな折に、せいちゃんとてきやさんから同時にお知らせが届きました。
忘れないためのコンサートと誠ちゃん講演会がいっしょに行われます。
何を忘れないようにするの?なんて声も聞こえてくるのが
時の流れというものだとしても、やはり忘れてはいけません。

詳細は以下のちらしをご覧下さい。
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by aoesupport | 2013-09-04 23:30 | 活動報告など
『福島を置き去りにはしないという志を大切に』

◆4月20日(土) てきや 勝沼さん
午前 家財道具の片付け・・・午後 庭と畑の草刈り
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4月20日 松本ボラセンター長が家主さんから家の鍵を預かっていた。
(家主さんが貴重品は回収したので)、すべての家財道具を処分し、
トン袋に詰めて欲しいとのこと。
20キロ圏内・・・もう住まない、住めない・・・ということか・・・家主さんは今・・・? 
そんなことを考えながら作業をはじめた。まだ使える家具、鍋、食器、衣類、布団・・・
家にあるものをすべて外へ出していき、最後に布団と衣類が残った。
まだ使えるものを処分していくという行為の意味と復興という言葉とのつながりが
よくわからなくなっていた自分がいた。
この衣類使えるのに捨てるのか・・・いたたまれない・・・
気がついたら衣類をたたみ直している自分がいた。
なんだかそのままトン袋に入れたくはなかった・・・
外では他のボランティアさんがそのままではトン袋に入らないため、
家具を解体している音が聞こえた。
洗濯の洗剤の香りが残る衣類をたたみながら、自分なりに家主さんのことをおもった。
住めてた家に住めなくなり、使えるものも処分せざるを得ない・・・
「原発さえなければ・・・」
この光景に直面して、この言葉がしばらくてきやの心に、こびりついていた。

しかし、お昼で作業は終了したので午前の事を振り返る間もなく
午後は別の現場へと向かった。大きな家の庭と畑の草刈りを行った。 
畑には今は収穫されることのないたらの芽(山菜)がたくさんあった。

◆5月25日(土) 26日(日) てきや やまちゃん いっちー だてっち
25日 午前 お宅の不要物の片付け ・・・ 午後 刈った木や草の片付け
26日 福島県金山町のおばあちゃんに会いに。
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5月25日(土) 老夫婦と息子夫婦さんと一緒に不要な家財道具の片付けを行った。
ボランティアという名の見ず知らずの人たちが突然訪れる。
ご家族の方々の表情は最初は固く、警戒心すらも見受けられる。
でも、みんなで協力しあって作業しているうちにご家族の表情が和らぎ、
会話ができるようになり、後半はご家族の笑顔も見れるようになる。
てきやが震災ボラを始めてからよく味わう場面である。
この経過がてきやはたまらなく好きである。この日もそうだった。
お昼にこのご家族が出してくれた漬け物がすごくうまかった。
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単純に来て良かったと思った。
何をしたか、何ができたかではなく、出逢いから、かかわりと交流が生まれ、
今できることを行いながら共に時を過ごせることのよろこびをおもった。
午後は時間が余ったので、別な現場へ行き、草や木をトン袋へ詰める
作業を行った。ここの家主さんも親切だった。
「福島の米はうまいんだよ。今度ごちそうするから、食べにきてね(^-^)」
お別れに聞いたお言葉がうれしく、でも心のどこか痛いと感じた。
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26日(日)は、2011年夏の福島・新潟集中豪雨の際、畑の泥だしを
させて頂いた金山町のおばあちゃんに会いに行った。 
おばあちゃんが元気だったことがすごくうれしかった。
おばあちゃんは、大工さんがリフォームに入っていることをうれしそうに話していた。
「秋になったら畑の大根あげるからね、またおいで(^-^)」と言ってくれた。
てきやは夏に庭と畑の草むしりの手伝いに来ようと心の中でつぶやいた。

◆6月1日(土) てきや一人 お宅の庭の片付け(草刈り、木の伐採)
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6月1日(土) この日はてきや一人で行ったが、ボラセンで7人のチームが組まれ、
リーダーをさせて頂いた。作業指示書には、「敷地内の木はすべて伐採してください」
とあった。庭には立派な松の木もあった。 念のため家主さんに電話した。
この日はお葬式が入り、立ち会えないとのこと。
「・・・いつ住めるようになるかわからないからもう家も取り壊そうとおもって
・・・だから庭の木も全部切って下さい。」 
この日はほぼ1日慣れない手つきでチェーンソーを握り、木を伐採した。

最近の南相馬は、住むことを断念して片付けるニーズと
いつか住むために片付けるニーズとが混在している。
どちらもご家族、当事者だけでは大変である。

復興の文字が遠い。
そこに行き、何をしたかできたかよりも、大切なことは『志』だとおもう。

これからも「福島を置き去りにはしない」という志を胸に
福島に心を寄せ足を運んでいきたい。

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2013-06-11 10:30 | 活動報告など
やっさんです。
いつもきびしい視点で、震災後のボランティア活動を見続けている
てきやさんですが、今年のGWは石巻大原でAOEキャンプのように
過ごせたようです。こういうレポートもいいですよね。
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石巻牡鹿半島大原へ4月27日28日29日

4月の連休に大原に行ってきました。
目に見えるもの、見えないもの合わせて、
頂いたものが多く、そして大きかったです。
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作業は大原浜の漁具片付け、ワカメの出荷準備、
突然現れた小西兄貴と一緒に谷川の洞福寺の
水源整備をさせて頂きました。
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ワカメ漁も終盤戦でしたが、冷蔵・冷凍設備が
完全には復旧していないことと、人手不足で大変と聞きました。

高橋さんが仮設に招いてくれたり、小野寺さんがワラビ採りに
連れて行ってくれたり、小形棟梁が腰掛けをプレゼントしてくれたり、
大原行政区の石森区長さんが日本酒をおみやげに持たせてくれたり・・・
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ただただうれしくありがたく、いい時を過ごした休日でした。

やっぱり東北のワカメとメカブはとてもおいしいです。(^-^)
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by aoesupport | 2013-05-23 21:00 | 活動報告など
東日本大震災から2年をむかえ、各団体もその活動を休止したり、
別の形に変えたりしている中で、てきやさんの支援活動は変わらずに
「できる人ができる時にできる事をやる」という考えの下、継続しております。
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南相馬活動報告(2月23日 3月23日24日)

『目に焼き付いている光景とおばあちゃんの微笑み』
南相馬市小高区の田んぼだった所に雪と草をかぶった瓦礫が残る光景と
仮置き場ができないため自宅前に置かれ続けている瓦礫が
目に焼き付いていて時々何気ない日常の瞬間にフッと浮かび上がってくる。

◆2月23日てきや一人 
深夜は吹雪だったが無事に南相馬にたどり着いた。
いつものようにボラセンでチームが組まれ、午前中は、
津波をかぶった家財を解体し、トン袋に詰める作業を行った。
午後は、松本ボラセンター長の案内で、浪江町(原発)に近い
浦尻地区へ向かった。この日は、北海道から飛行機とバスを
乗り継いできたという大学院生を助手席に乗せていた。
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就職して身動きが取れなくなる前に、ボランティアをしながら
福島の現状を見ておきたくて来たのだという。
まだ日本にもこういう若者がいてくれるのはとても心強い。

この地区は特に被害がひどかった。原発に近ければ近いほど
被害がそのままになっている現状を改めて実感した。

この地区は80数名の方が津波で亡くなられてしまったとのことだった。
荒野と瓦礫と壊れた家が目に入ってくる。
「心を込めて作業を・・・」と言いながら、松本ボラセンター長がてきやの肩に
そっと手を置いた。 大切な現場だということがわかった。
作業内容は、家の周囲の草刈り、生い茂る笹や竹や木の伐採、片付け等だった。
10数人のボランティアで取りかかったが終わらず、継続作業となった。
被害エリアが広すぎる・・・
「活動の終わりが見えない」と強く感じた1日だった。

◆3月22日、勝沼さん、てきや

3月23日、南相馬のボラセンで、いつものようにチームが組まれた。
20キロ圏内のお宅の庭の植木の剪定が主な作業内容だった。
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はしごや脚立を使い、チェーンソー、ノコギリ、枝きりバサミ等で
木や枝をカットした。家主さんが、「いつ住めるようになるかかわからないけど、
どんどん伸びていくので・・・」とお話しされていた。
どんどん伸びて生い茂っていく植木、ずっと気になっていたんだろうなと思った。
壊れたビニールハウスで片付けをしていたおばあちゃんと目が合った。
・・・微笑んでいた。
おばあちゃんの微笑みを見て、何故自分がこの活動を続けているのか・・・
その意味と動機がわかった気がした。
南相馬には、まだ家の前や田畑に瓦礫がある。
放射能で家族がバラバラになり家があっても住めない人たちがいる。
福島が風化と共に忘れ去られないで欲しいと祈るような気持ちで枝を払った。
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24日お昼まで
この日は約10人で竹林の伐採を行った。
範囲が広く、足場も悪く、苦戦した。太い竹は固く重かった。

3月いっぱいで、災害派遣従事車両高速道路無料措置が終了した。
これにより南相馬までの往復はガソリン代約8000円に加えて、
高速道路代が1万円代前半が加わることになった。
経済的には厳しい状態になったが福島をわすれないための活動を続けていきたい。
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We remember 福島. We will never walk alone.
てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2013-04-08 14:00 | 活動報告など