2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

カテゴリ:活動報告など( 119 )

2月11日に震災以来やっと行われた御柱祭の報告です。
一歩ずつ少しずつ、震災前の行事ができるようになってきております。

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『遠くにいる隣人』

2月の連休の11日に大原のお祭りに参加してきました。(^-^)
昨年は震災の影響でできなかったこともあり、大原の人たちの
いろいろなおもいがつまっていたお祭りでした。
御神木と太鼓と笛と獅子舞が乗った山車を引くお祭りです。
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準備から当日まで大原の人たちと共に、楽しくいい時間を過ごすことができました。
山車を引っ張る縄に紅白の布を巻いたり、棟梁にしごかれながら、
山車をヤスリで磨いたり、平さんの手料理、(牡蠣がすごくおいしかったです。)
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お祭り当日は、拍子木を持ち、進む・止まるを知らせる役をさせて頂き、
楽しかったです。お祭りが終わり、阿部副区長さんが包み込むような
笑顔で御神酒をてきやに下さって、じわじわっとうれしさがこみ上げてきました。
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ボランティアとは何かと最近よく考えている自分がいる。 
これまで、気がついたら、気持ちのままに、大原と南相馬に
足を運んでいる自分がいた。大原では心のつながりができ、
南相馬は理不尽に瓦礫が置き去りになっているので、
見過ごすことが自分はできない。
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だからこれからも、気持ちの赴くまま東北へ足を運ぶ。
いずれにしても「してあげる・してもらう」という季節は過ぎた感がある。
この活動とかかわりは生き方と人間性がダイレクトに問われていると感じる。
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今、頂いた心の恵みを強く感じている自分がいる。
てきやも41歳になり、精神・身体的にもガタがきている。
気持ちとは裏腹に、自分はいつまでこの活動を続けられるかなぁとおもう。
でもこの活動の中に、自分が生まれた意味とやりかたかったことと、
貫きたい生き方と望んでいたぬくもりとふれあいがそこにはある。
生まれて・・・お金持ちになること、出世することが、自分の人生のゴールではない。
遠くにいる隣人として、これからも東北の人たちと自分の個性を活かして
心と心のキャッチボールを続けていきたい。

精神・身体が続く限り         てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2013-02-20 22:30 | 活動報告など
やっさんです。
定期的に東日本被災地に向かっているてきやさんの今年最初の活動報告です。
寒さもきびしい時ですが、体に気をつけてやるべきことをやってください。
2月の連休は大原に帰るということです。
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冬の南相馬活動報告

「残心 福島をおもう I remember 福島」
よく南相馬のボラセンでお顔を見る人のブログに、このような文章が紹介されていた。

『ふくしまは負けない』
大地が揺れ、海が黒い壁になった「3.11」。
その日から「福島」は「フクシマ」になった。
アナウンサーが画面の中で繰り返す「フクシマ」は、どこかよその土地のよう。
不器用だけどあったかい、あの「福島」とは違っていた。
当たり前だと思っていた風景を、波が全てさらっていった。
家が消え、道が消え、家族も友も散り散りになった。
黙りこくった心に不安だけが押し寄せた。
だれもが心の中で叫び、泣いた。
だが、運命は本当のことも教えてくれた。
食べ物も痛みも人はわかちあえる。
見ず知らずの人のために、涙は頬を伝っていた。
人は人をおもってこそ人になれる。
そしてその涙は温かい。
生き残った者にできることは何だ。
離れた心をひとつにするためにするべきことは何だ。
顔を上げ、今を目に焼き付けよう。
手と手を結ぼう。
「福島」は負けない。
笑顔も、実りも、ふるさとも、必ず我が手に取り戻す。

――― 福島民報社 「福島は負けない」 より

雪をかぶった田んぼにはまだ瓦礫や壊れた車が置き去りにされている
南相馬市小高区での冬の活動報告です。

■12月15日16日  やまちゃん いっちー てきや
ボラセンのマッチングにより約10名のチームで魚屋さんだったお宅の
家財の整理・片付けのお手伝いを行った。
やさしいおばあちゃんがいた。 
微笑みながら何度も「ありがとう」と言いながらボランティアに
羊羹やリンゴやおにぎりをふるまってくれていた。
南相馬市の鹿島区の海は砂地の質がよく、いい魚が穫れていたという。
震災前にご家族で魚屋をされていたお話をうれしそうにお話しをされている
おばあちゃんの姿に、いたたまれなくなってしまったてきやは、
他のボランティアさんが話を聴いていてくれている様子を見ながらそっと席を外した。
外は人の気配のない壊れた家が並んでいた。
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人と人のぬくもりを感じながら、片付くべきものが片付いていく。
ふれあいとおばあちゃんの笑顔。 いい休日を過ごせたと感じた。
早め(14時過ぎ)にボラセンに戻ると、松本センター長の命により、
移動して、16時まで田んぼ脇の側溝の泥出しを行った。 
カエル、ザリガニ、フナ、ドジョウがいた。
白鳥の群れもいて鳴いていた。
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16日
日曜日の作業は憂鬱な面がある。 お昼までしかいられないから中途半端感が残る。
お昼で作業を切り上げても、自宅に着くのは通常21時位、仮に16時まで作業すると、
帰宅は深夜となる。次の日の仕事を考えると、長時間運転しての深夜の帰宅は
避けるべきだとおもう。この日はお昼まで畑の草刈りを行った。
草刈り機を握る手に力を込めた。


■1月19日20日 やまちゃん 勝沼さん てきや

やっと20キロ圏内大井・塚原地区対象の瓦礫の仮置き場ができた。
ずっと敷地内に放置せざるを得なかった瓦礫をやっと片付けることができる。
東京からきた7人のグループとチームを組み10人で庭の瓦礫の片付けを行った。
まだ新築6年の新しいお宅の農家をやっていたご主人とお話ししながらの作業だった。
1階部分も津波の被害にあい、敷地内にも大量の瓦礫が流れついていた。
リフォームは終えたが20キロ圏内のため、まだ住めない。今はお友達の紹介で、
家主さん家族は山形県に避難して空き家になっている南相馬市のお宅を借りて、
気を使いながら肩身の狭いおもいをしながら住んでいるという。
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そして敷地内に置いておくしかなかった瓦礫がずっと気になっていたという。
ボランティア10人でも1日では終わらず、翌日の日曜日の11時に作業が終わった。
今回はリーダーをさせて頂いたこともあり、ご主人とたくさんお話しすることができた。
「・・・この辺は線量もだいぶ下がった。いずれ住み慣れたこの土地と家で余生を送りたい。 
瓦礫を片付けてくれてありがとう。 希望が見えました。」と言って頂いた。
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今回も南相馬に来てよかった。そして まだ人の手と人の心で、
できることがたくさんあると田んぼに残る雪をかぶった瓦礫を見つめながらおもった。

■1月26日27日  いっちー だてっち てきや
26日 ボラセンのマッチングにより、約10人のチームで20キロ圏内の
お宅の敷地の木や竹の伐採と草刈り、また家財の整理・片付け作業を行った。
27日 松本センター長の命を受け、南相馬市鹿島区にある仮設住宅を訪問し、
ニーズ聞き取り調査を行った。
片付ける気力を喪失している方や放射能が高くて片付けに行きたくても
行けない方やいろいろなお話しを伺わせて頂いた。
多くの方がおっしゃっていたのは、「早く自分の地区にも仮置き場が設置され、
瓦礫を片付けたい」 という声だった。
概ね、ボランティアと名乗るとあたたかく接して下さり、お菓子をくれたり、
お茶をご馳走して下さったりしてくださる方もいて、心があたたまるひとときでもあった。

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しかし、田んぼの真ん中におびただしい数の仮設が立ち並び、寒風にさらされ、
主に老夫婦が暮らされている光景は、やはり胸が痛んだ。
放射能と震災で家族がバラバラになり、住み慣れた家と土地を追われ、
狭い仮設にたくさんの方々が住まわれている現状・・・
改めて「今自分ができることは? 自分が福島をどうおもっていくか?」
と自問自答を繰り返していた自分がいた。

そして1月23日のボラセンのブログで衝撃的な知らせがあった。
「南相馬ボランティア活動センターは活動資金不足のため
2月12日から4月30日まで活動を休止します(要約)」
 
これからやっと地区ごとに瓦礫の仮置き場ができていくであろう大事な時期。
ニーズが続く中でのボラセン休止。

いろいろおもうことはたくさんあるが、事実を受け止め、
5月を待たずに福島で今できることを探そうとおもう。
まだ人の手と人の心でできることはたくさんある。

残心  福島をおもう  I remember 福島 てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2013-02-03 23:30 | 活動報告など
11月の石巻活動報告  『時を共に動かして・・・』

11月23日24日25日の3連休に石巻牡鹿半島大原に行ってきました。
10月のある夜、大原で養豚業をしている高橋さんからうれしい電話を頂いた。
「てきやさん さみしくて電話しました。今度いつ来てくれますか?」
南相馬に行こうか迷っていたが、大原に向かうことにした。
その高橋さんの口添えもあり、平さんのビニールハウスの片付けのお手伝いを
させて頂くことになった。平さんは行くたびに、バーベキューや手料理で
もてなしてくれた方でよく一緒に日本酒を飲んでお話しをさせて頂いた方である。

これまで何度か、瓦礫が残る平さんの畑とビニールハウスの片付けのお手伝いを
申し出たが、「まだ農業やる気がおきなくてね」と言われ、断わられ続けてしまっていた。
今回は仲間と日程が合わず、はじめて一人で行く大原だった。
「夜は一人でお酒飲むのかなぁ」 そんな不安にかられつつ車を走らせた。

23日朝大原行政区の石森区長さん宅へ挨拶に行った。
朝ご飯を勧められたが丁重にお断りして神社の落ち葉掃きを行った。
また大原に来れたよろこびがじわじわとこみ上げて来た。
その後平さんとビニールハウスで合流し、片付けに取りかかった。
ビニールハウスの中は、あの日から時がとまったままだった。
地震でところどころ土が盛り上がり、割れたガラスが散らばり、
おびただしい数の植木鉢が散乱し、倒れていた。

まず、土をならし、割れたガラスを拾い集めることからはじめた。
ガラスを拾いながら、「もっと早く拾ってあげたかったな」とつぶやいた。
その後、同じ道具ごとに1箇所にまとめ、植木鉢は同じ大きさのものを
重ねていく作業を継続して行った。帰る日の朝も1時間ほど作業を行った。
残念ながら、2つあるビニールハウスのうち、もう一つのビニールハウスには
手がつけられなかった。平さんは割れたガラスの箇所にぶ厚い強化ビニールを
貼り付けて、ハウスの修復作業を行っていた。
平さんの話によると、これからゆっくり、ゆっくり、野菜やお花づくりを
このビニールハウスでやっていくつもりだという。 
行者ニンニクの栽培も考えているんだという話も聴かせて頂き、
てきやもうれしい気持ちになった。
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平さんは多忙である。 亡くなられてしまった漁師の斎藤さんの海の仕事も
引き継いでいくとのこと。3年後の高台移転へ向けて、家を建てて、
てきやも招待してくれると言ってくれた。
「平さんが作った野菜をつまみに日本酒を一緒に飲めますね、楽しみです。」と、
てきやは、平さんに返した。
ビニールハウスの時が再びゆっくり動き始めた・・・そんな気がした・・・

ビニールハウスには、高橋さんがちょくちょく顔を出してくれて、小野寺さんも来てくれた。
23日の晩は、小野寺さん宅で夕食をごちそうになり、あわびの刺身に感動し、
家族の団欒の居心地の良さも加わって不覚にも酔いつぶれてしまった。
24日の晩は、高橋さんの仮設住宅にあがらせて頂いた。普段はめったに
自炊をしないという高橋さんが自前の豚と餃子を焼いてくれて、うれしさで胸が熱くなった。
水産加工業を営む、やっちんさんも来てくれて、あわびの刺身も再び現れて、
いろいろお話しができた。
「今度北海道へ旅行に行こうよ。(^-^)」 そんな話で盛り上がった。

おがた棟梁のところに顔を出すと、棟梁が作ったばっかりの杉の木でできた
お土産を頂いた。棟梁の笑顔を見るといつもほっとする自分がいる。
なんか思い出に残る、頂いたものが大きすぎる3連休だった。

帰る直前、区長さんに挨拶に伺った。玄関で失礼しようとしたが、引き止められ、
茶の間に上がらせて頂き、しばし区長さんとお話しした。
帰り際、区長さんの奥さんが握りたてのあたたかいおにぎりを持たせてくれた。
奥さんが笑顔で「てきやさん いつでも家にきていいんだよ(^-^)」
とのおことばにじ~んと胸があたたたかくなって泣きそうになった。
大原を後にして少し離れたところであったかいおにぎりを頂き、ひとり車中で涙ぐんだ。

石巻は瓦礫は1箇所に集められ、更地が目立ち、あたかも一見すっきりしたような、
片付いたような印象を与える。でも、その更地には、そもそも、家があり、家族がいて、
団欒のひとときがきっとあったとおもう。(場所は変わっても)再び家が建ち、
バラバラになった家族が戻り、集まれる、それが成って、
はじめて「復興」ということばが浮かび上がってくるような気がする。

まだ時が止まった場所がある。時が止まった心を抱えた人がいる。
時を共に動かしていきたい
     てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2012-12-22 01:25 | 活動報告など
災害・環境支援団体Nine(ナイン)の南相馬での活動に参加してみました。
石巻でも牡鹿半島の主に大原浜しか知らなかった私にとって新たな経験となりました。
南相馬の渋佐海岸での、遺骨・遺品捜索&海岸清掃が作業の目的です。
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海岸はいまだに瓦礫が放置されていて、ほとんど人が入らないところが多く
手付かずの状態でした。東京電力の火力発電所から流れ出た、
重油にまみれた瓦礫がところどころ砂浜に乗っていました。
その瓦礫を片付けながら、熊手で地道に遺骨・遺品が無いかを探します。

重油にまみれた瓦礫が絡まったり粘ついてたりして、思ったよりも時間がかかります。
また、大きな材木なども埋まっているのでさらに掘って、
元の砂であろう部分が見えると熊手でひっかきながら捜索していました。
久しぶりの作業に、だんだん無になりながら続けてると
しゃがみ続けていたからか、疲れる前に腰に痛みが…。
無理せず背筋を伸ばしながら、午前・午後と作業していました。
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朝は結構降っていた雨は作業を始めるときは小雨になり、いつのまにか
やんでいました。午後は日差しも出てきて汗ばむくらいでした。
骨を1つ見つけたのですが、たぶん動物の骨の1部だろうと思う。とのことです。
素人目には分からないので警察へ持っていく、というようなことを言っていました。

知っている人は誰もいませんでしたが、お昼休憩や一服しながら
参加している方と少し話をして、知らなかった各地の現状や
異なる作業を聞くことができました。

気の遠くなるような地味な除染作業(若い方やこれから出産するであろう
女性はできません)の話やてきやさんの南相馬での活動報告にもありました、草刈り。
警戒区域だったとき一時帰宅した際に、ご自宅の周りを背丈ほどの草が
ぼうぼうに生えてて自分の家じゃないみたいですごくガッカリしたんだそうです。
それで、ボランティアに対して草刈りの要請が多かったそうです。
草刈りしようとしたら、すぐに大量の蚊が襲ってきて
夏の日差しに加えて、虫の大群はきつかったと言っていました。

まだまだ片付いていない。やることがいっぱいある。何百人の手が必要。
とNineのリーダーの方が言っていたことが、
南相馬に来て、実際に目の当たりにしてみて本当にそうだとしみじみ思いました。
今回作業したのはほんの1部であり、その向こうには大量の瓦礫が広がっていました。
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来月また参加したいと思っています。
知り合いもなく1人で参加してみましたが、作業に没頭できたし、周りの方も親切でした。

HPを見ると来月までの日程も載っています。
http://nine-volunteer.jimdo.com/

○H25/1/16(水)日帰り(確定)
 福島県南相馬市にて行方不明者捜索・海岸清掃活動。
  出発・集合時間:15日24:30池袋駅東口ビックカメラ本店前。
  到着予定:池袋駅16日(水)22:30~23:00頃予定。
  参加費:1,000円/人(都内からご参加下さる方の往復交通費です。)
 ※現地への直接集合が可能な方も同時募集中です。

○H25/1/20(日)日帰り(確定)
 福島県南相馬市にて福興浜団活動参加(行方不明者捜索・海岸清掃、泥出し等)。
  出発・集合時間:19日24:30池袋駅東口ビックカメラ本店前。
  到着予定:池袋駅20日(日)22:30~23:00頃予定。
  参加費:1,000円/人(都内からご参加下さる方の往復交通費です。)

○H25/1/30(水)日帰り(確定)
 福島県南相馬市にて行方不明者捜索・海岸清掃活動。
  出発・集合時間:29日24:30池袋駅東口ビックカメラ本店前。
  到着予定:池袋駅30日(水)22:30~23:00頃予定。
  参加費:1,000円/人(都内からご参加下さる方の往復交通費です。)
 ※現地への直接集合が可能な方も同時募集中です。


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三谷倫子(みたにみちこ)
log.chi.2-8thr.val.mm@s...
09071905777
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by aoesupport | 2012-12-20 23:30 | 活動報告など
やっさんです。すっかり秋から冬に変わってしまった季節ですね。
東日本大震災の被災地にも2度目の本格的な冬がきます。
寒さのしのぎ方は変わったでしょうか?暖かい食卓を囲む回数は
増えたでしょうか?お正月を迎えるのに少しでも希望の光があたることを祈ります。
てきやさんの10月11月の南相馬での活動報告です。

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『秋の南相馬活動報告』   ・・・忘れない・・・

◆10月20日(土)
てきや一人プラスボラセンに集まったボランティア6名
「家周辺の草刈り、置き去りにされた牛が住み着いて汚れた納屋(倉庫)の片付け」
◆10月27日(土)
てきやとだてっちプラスボラセンに集まったボランティア約10名
「広い畑の草刈り」
◆10月28日(日)
昨年の夏に福島・新潟集中豪雨でボランティアに行って出会った
金山町のおばあちゃんに会いに行った。
◆11月10日(土)11日(日)お昼まで
てきや、やまちゃん、だてっち、かっちゃん
「広い畑の草刈り」
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◆10月20日(土)この日はいろいろ感じ、考えた1日だった。
震災と原発で、牛が置き去りにされ、納屋に住み着き、大切なものも使えなくなり、
家族で途方に暮れていたという。また、立ち入れなかったため、
家周辺の伸び放題の草にも困っていたという。
そして、立ち入り禁止の間に何度も泥棒に入られたという。
当日、元気なおばあちゃんと、フレンドリーな娘さんとうつむいた孫娘さんがいた。
前半てきやは家の周りの草を草刈り機で慎重に刈っていた。
花を育てるのが好きなおばあちゃんで、庭には、花や植木や、
植木鉢は100個以上あり、花専用のビニールハウスの後もあった。
珍しい薔薇の木や花、朝顔も咲いていてちょっと心が和んだ。

おばあちゃんはずっと笑いながら怒っていた。
「・・・この年になってこんな目にあうなんて・・・なんもかんも失った・・・
地震と泥棒と放射能と、牛にも荒らされて・・・」

・・・これまでどれだけ落胆し、かなしかっただろう・・・
笑いながら怒っているおばあちゃんに、てきやは何も返せずに、
苦笑いだけ浮かべて、おばあちゃんの指示を仰ぎながら一生懸命身体を動かした。
薔薇の木も植木も切ってほしいとのこと、「・・・放射能がなくなったら
また植えるから・・・いつ戻れるかわからないし、いつまで生きられるかわからんけど・・・」
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津波の被害はない、里山の麓の集落、酪農地帯でもあったという。
原発から16キロ圏内ということで、避難を余儀なくされたという。
そして、ある牛たちは注射で殺され、ある牛たちは置き去りにされたという。
戻りたくても戻れない、住みたくても住めない・・・津波とは違う原発の被害を実感した。
休憩時間は近所の草むらに咲く花を見て心の均衡を保った。 また来ようと思った。

◆10月27日(土)職場の後輩のだてっちと共に再び南相馬へ向かった。
まだ20代前半のだてっちにはここで多くを学び、成長してほしいと願っている。
いいボラさんさんとの出逢いも多いから。
広い畑に背丈以上の草が伸びていた。厳しいけどやさしい常連ボラさんがいた。
午前中、だてっちに草刈り機の操作を教えようとしたら、その常連ボラさんに注意されてしまった。
「まだメドがたっていない、今は慣れている人が草を刈れるだけ刈る時間だ。」
もっともだと思った。 午後にチャンスを作ろうと思った。
午後、終わりが見えたと思った時、常連ボラさんが笑顔で「今が教えるチャンスだね。
次に(若い世代に)つなげていこうよ」と声を掛けてくれた。
だてっちが草刈り機を慎重に動かしている。てきやは、ニコニコしながら写真を撮った。
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南相馬でのボランティアは決して苦しいだけではない。
いろいろな県から集まったボランティアが現場ごとにチームを組み、
協力しあいながら、草刈りや側溝の泥だしや瓦礫収集を行う。 
そして時に語り合う。 その人の背中や雰囲気、語り口から、
その人の生き方や信念がみえる時がある。
バックボーンの違う人たちが共に意味のある時間を過ごす。
てきやにとっては得がたい貴重な出逢いと学びのひとときである。
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◆10月28日の日曜日は去年の夏の水害で畑の泥出しをさせて頂いた
金山町のおばあちゃんに会いに行った。おばあちゃんの畑でとれた
かぼちゃの煮物と大根の漬け物をご馳走になり、またおいでと
かぼちゃと畑の大根をお土産に持たせてくれた。
何よりおばあちゃんが元気だったのがいちばんうれしかった。
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◆11月10日(土)11日(日) いいチームワークで畑の草刈りが 進んでいった。 
日曜日も継続し、山形に避難しているおばあちゃんと南相馬市内で
お仕事をされている娘さんにも会うことができた。
草が刈られていく様子を見ていたおばあちゃんの笑顔が印象的だった。

朝のミーティングで、南相馬市社会福祉協議会の門馬会長の、
「ふるさとを失いたくない」ということばが今も心に響いている。
今大切なことのひとつは、福島を・・・20キロ圏内で起きていることを・・・
忘れないことと感じている。   てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2012-11-23 23:17 | 活動報告など
南相馬と石巻牡鹿半島大原活動報告

いつもいろいろありがとうございます。 てきやです。
読んで頂けたらうれしくありがたく思います。

『・・・今できることを・・・』

9月22日(土曜日)南相馬20キロ圏内小高区の民家の敷地内の草刈りを行った。
朝、ボラセンに着くと神奈川県内のゴルフ場で働くTさんと久しぶりに再会した。
震災直後から南相馬市を中心に活動を続けてきたTさん。
そのTさんが、リーダーとして前日から手掛けていた現場へ向かった。
住民の方には会えないまま5人のボラで草刈りを行った。
住民の方の依頼は敷地内の畑周辺の草刈りをとのことだったが午前中に終了し、
ボラ5人で相談し、家の周辺の、明らかに草と思われるものは刈らせて頂くことにした。

ボラセンの方針で、南相馬では立ち小便厳禁となっている。
今は荒野と化してしまっているが、住民感情への配慮と先祖代々からの大切な
土地という認識から。時には車を動かしてトイレへ向かう。
今回、リーダーTさんの案内の元、歩いて数分の民家の屋外にあるトイレを借りに
行った。(使用許可は取ってあるとのことだった。)
ちょうど、仮設住宅からご先祖のお墓参りにいらしていた女性がいた。
改めて、トイレの使用をお願いすると、
『全然使っていいけど、オシッコならそのへんでしていいのよ。電気と水道が
復活してないから、うちのトイレも流れなくてね。私も畑でしているの・・・』

てきやは、「早く除染作業が進み、電気、水道が復旧するといいですね。近所で
草刈りしてるので、何かお手伝いすることがあれば声を掛けて下さい。」と返した。
  『ここに来てくれてありがとう』 と言って頂いた。

・・・放射線量が下がったから立ち入りは許可する。それだけ通達して国や行政
はこのまま何もしないのか・・・ なぜこの地が置き去りにされてしまうのか・・・
(20キロ圏内で重機を使うと、他で使えなくなるので重機のレンタル会社も貸さないという。)

こういう土地こそ・・・ 眼下には、荒野と化した水田と壊れた家と放置された瓦礫が見えた。
今できることをやろうとおもった。
自然とエンジン付草刈り機や鎌を持つ手に力が入った。そして藪と化していた裏庭
へ突入した。気がつくと、5人で力を合わせて庭が復活していた。
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朝のミーティングでの松本ボラセンター長からの話である。
『行政は、「できない」という否定から入る。企業は儲かるかどうかで動く。儲からなければ
動かない。ボランティアは被災者のニーズを聴いて寄り添う。同苦、抜苦のおもいを胸に
今できることを、被災者のわがままをきいてあげて下さい。
できる人ができる時にできることをする。
復興のその日が来るまでボランティアは負けない、あきらめない。』
この日も松本センター長は熱く語っていた。

・・・今できることを・・・

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石巻牡鹿半島大原へ
9月28~30日 里香さんとイッチーと大原へ向かいました。てきやが気になっている
ことが一つあって、それは、阿部副区長さんの畑の中の小さな瓦礫撤去でした。
それをさせて頂こうと大原へ向かったのですが、大原へ向かう途中の金曜日の夜、
車中で大原の漁師の斎藤さんが心筋梗塞で突然亡くなられたことを知りました。
まだ小学生の娘さんが二人・・・6月にカキの種付けを手伝わせて頂き、
夏祭りでは、てきやのたこ焼きを『うまいっちゃ』と言ってくれた斎藤さん

土曜日は大原の方々のかなしみとお話しを聴かせて頂きました。
小形棟梁が『あんひとは大原のムードメーカーだったんだ』
と何度も語っていました。去年の震災直後の夏はお祭りができなくて、
その時、斎藤さんが『てきやさん 来年はたこ焼き焼いてくれっちゃ』
との声が何度もよみがえります。

震災がきっかけで出会った縁・・・「瓦礫が片付いたから少しずつ自分は
大原からフェイドアウトしていかなければ」そうおもっていた時期もありました。
今回 大原の方々のお話しを聴かせて頂いて、確かな心のつながりが
残っていたことを感じました。

終わりのないかかわりを実感できたことに感謝している自分がいます。
また大原に行こうとおもいます。
 
 てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2012-10-15 17:30 | 活動報告など

てきやさん夏の活動報告

やっさんです。タイミングよくてきやさんから夏の活動報告が送られてきました。
てきやさん一人でも動きをやめない限りは、こちらで報告もしていきます。
感謝状もらうボランティアって珍しいかも。
みんな感謝の気持ちはいつももらっていますけど。
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てきやと有志による南相馬市での活動報告 7月~8月

てきやチームは解散しましたが、今後もてきや個人ないし、有志で、
まだがれきと泥が残る、南相馬市での活動は継続的に続けますので、
今後も活動をあたたかく見守って下さいますようよろしくお願い致します。

◆7月7日 てきや一人
ボラセンが児童館からの移転を余儀なくされて、てきやも6月に整備に
携わった原町区泉のボランティアテント村は台風4号の直撃にあい、
あっけなく壊滅してしまっていた。そこで、同じ原町区のグリーンパークの
管理人室が宿泊施設として借りられるようになったらしかった。

津波の被害も受けたらしくまだ敷地内には泥が残っていた。
電気は発電機、トイレは仮設、水道は復旧しておらず、
宿泊者を少しでも多く受け入れる為なのか、コンテナもいくつか置いてあった。
周りは荒れた田んぼないし、草むらが広がっていた。
「ここでは泊まれないなぁ、いや、泊まりたくない・・・」
と思いながら、雨の中、敷地内の泥だしから作業をはじめた。
実際、常連ボランティアの何人かは、コンビニや飲食店が
徒歩圏内にある『道の駅南相馬』で車中泊しているという。
(車中泊もキツいし、ビジネスホテル代ももったいないなぁ・・・)
一人で来た時は、土曜日1日作業してそのまま休みやすみ運転して帰ろうと思った。
(そうすると夜中の2時頃自宅に着く。)

何度か一緒に活動した、鳶職が本業の常連ボラさんが、楽しそうに、
そして器用に、鉄パイプとトタン屋根をつなげて、集会所を作っていた。
「星をみんなで見ながら酒が飲めるよ」と言いながら。お昼に、
初めてボランティアに来たという福島県内に住んでいる女性とお話しをした。
「震災後、やっと自分で何か行動しようという気持ちになってここに来ました。
清田さん 何度も福島に来てくれていてありがとう。」
この会話ができただけでも、来て良かったと思った。
その時トタン屋根が雨をしのいでくれていた。 

住民とかかわりを持ちたい、作業の優先順位・・・そういう主観と感情を
超えた先にもきっと大切なものや繋がりがあると感じた。 
仕事ではないので、南相馬では全体の流れに身を任せ、
いろいろ感じ、学んでいきたいと思う。

◆7月28日 てきや一人
南相馬市での活動内容はボラセンのミーティング(マッチング)で決まる。
松本ボラセンター長がその日の活動場所を複数設定し、
場所ごとにリーダーが配置され、市場のセリのような雰囲気で
活動場所ごとに希望者が募られ、早いもの順に締め切られていく。
お宅のがれき撤去だと、住民の方々との出逢い、ふれあいが生まれて
うれしくありがたいが、その場、その時の活動内容よりも、
てきやはがれきと泥がなくなるまで、南相馬市に足を運び続けることが
大切だとおもっているので、いつも最後まで手を挙げずに
人が足りなさそうなところに加わっている。
どんな活動でもきっと意味と価値とつながりがあるとおもいながら。

この日は神社周辺の草刈りだった。とても暑かった。
初対面のボラさんたちと力を合わせてがんばった。
以前出逢った、山形で農業をしている方も一緒だった。
お米をお土産にもらった。「だだちゃ豆、収穫したら送るね」と言ってくれた。
うれしかった。そして心地よい疲れと充実感が残った。
ただこの神社の草刈りを依頼された方は、入院されているとのこと、
今日も、住民の顔が見えなかった。さみしさも残った。

◆8月11・12日 てきやとやまちゃん
この2日間は、20キロ圏内小高区塚原地区で草刈りと側溝の泥出し、
がれき撤去を行った。11日の夜は花火大会だった。
震災で亡くなられた方々の慰霊のためとのこと・・・
花火を見ながら、この日の昼間会った、壊れた家の縁側で
ニコニコしながら座っていたおばあちゃんの姿を思い出していた自分がいた。
花火そのもののように、まるでまだら模様に南相馬市は、
かなしみが織り込まれていると感じた。
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壊れた家の中を片付けている老夫婦の後ろ姿、草ぼうぼうの田んぼ、
置き去りにされたいき場のないがれき、まだ当たり前のように、
田んぼに突き刺さったままの車・・・
・・・本当に復興すべきは、被災地ではなく、この局面を見過ごし続けている
日本そのものなんじゃないかと思った。
 
◆8月25日 てきや一人
この日は農道の草刈りを20名ほどのボラで行った。 
とても広かった。場所によっては人の背丈位伸びているところがあった。
農道を整備しなくては除染作業もできないし、田んぼの復活もない。
地味だけど大事な作業と感じながら、エンジン付き草刈り機を一日中動かし続けた。

昼休み、同じ千葉県の鴨川から来たボラさんが、草ぼうぼうの田んぼを
見つめながらつぶやいた。『この状況だとまた来なければならんな・・・』 
「同感です。」 とてきやもつぶやいた。

午後、今日1日では終わらないと言われた水路脇の農道の草刈りに着手した。
「終わらせよう」と思った。時間に追われながら夢中で草刈り機を
左右に振り回し、草と格闘しながら前進した。
右腕と左耳をアブに刺されチクチクし、痛がゆかったが、前進を続けた。
気がつくと他のボラさんも応援に来てくれていた。
そして、振り返ると道ができていた。水路脇の農道を復活させた。
すごくきもちよかった。
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帰りに所有者の方と挨拶をさせて頂いた。
『みなさんが来てくれたこと、忘れません』とお辞儀をされた。
「田んぼを早く復活させたいですね。」 とてきやもお辞儀をした。



てきやが尊敬している神田橋先生の本のなかで、
ミルトン・エリクソンのことばが紹介されている。
てきやが時々思い出す大好きなフレーズである。

『私の言葉が、今後あなたのお友達の声として、いろいろな人々の声として、
そして風の音として、波の音として、今後ずっとあなたの中で響くでしょう』

『福島を置き去りにはしないという想いと行動が、声として、音として、響き、届きますように 』

よみがえれ福島 南相馬    秋もまた南相馬へ

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by aoesupport | 2012-09-05 15:00 | 活動報告など
石巻・牡鹿半島大原での活動報告7月14・15日 『 遙かなれり 大原!』

7月14・15日石巻牡鹿半島大原の三熊野神社の夏祭りで
たこ焼きを焼いてきました。(^-^)とても楽しく、いとおしい時でした。
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14日の前夜祭は神社の境内でたこ焼き初披露となりました。
生ビール、焼き鳥も振る舞われ、小中学生や浴衣姿の女性も、
たこ焼きを食べてくれて・・・神事にも参加させて頂き、巫女さんの舞、
獅子舞、太鼓と笛が鳴り響き、楽しく賑やかに夜が更けていきました。
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明けて、15日の本祭では、てきやは再びたこ焼きを焼き、てきやチームの
はじめちゃん、やまちゃん、イッチーは20数名で御神輿を担ぎました。
葛城ユキさんも駆けつけてくれて『ボヘミアン』他オリジナルの歌も
熱唱してくれて、心のこもったあたたかい語りも加わり、圧倒的な
力強い歌唱力と共にみんなの心に響きました。
何人かの人から『てきやさん、うまいっちゃ、来年も再来年もたこ焼き、
焼いてくれっちゃ 』 と言ってもらいました。
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神事に参加させて頂いた後、神社から少し離れた所で夜の海を
見つめていると自然と涙が出てきました。
・・・大原の人たちに受け入れてもらえたうれしさ・・・ 
大原の人たちが笑顔でいられなかった時もあった・・・
今は、今日はみんなの笑顔が見られた・・・
そして・・・がれきと泥まみれだったこの地で再び、お祭りができたこと・・・
これまでの活動を振り返りつつ、涙の理由とこみ上げてくるあたたかさと
よろこびに言葉を探している自分がいました。

巫女さんが舞い、笛の音やみんなの笑い声が聞こえて来ます。
気がつくと、小形棟梁が寄り添うように立っていました。
『てきやさん、やっとここまできたなぁ ちょっと安心した』
ゆっくり、一言ずつかみしめるように語る棟梁の、
「・・・ここまできた・・・」という言葉が心に染みて、深く頷きました。
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そして慰労会では、無事に盛大に終わったお祭りの余韻に包まれながら、
以前にいつか一緒に釣りに行きましょうという話をした阿部副区長さんと
日本酒を酌み交わしました。
「まだ田んぼには津波による釘やガラスの破片などの小さながれきが
残っている。これを取り除かないと田畑の再生ができない。
塩抜きや放射能検査はやっているけど、この小さながれき撤去は
気の遠くなるような作業でなかなか進まないけど、反骨精神で
何とか頑張っている。山や田畑が荒れれば海もダメになる。
それをくい止めたいんだ。でも、農業を続ける気力を失った人たちもいる。
震災のダメージってまだまだ大きい。」
そのようなお話しを伺いました。てきやは、田畑のいろいろな
お手伝いを是非、是非やらせて下さいと返しました。

これからは、大原には、災害が起きてしまったら真っ先に駆けつけたいし、
農業・漁業の手伝いや、お祭りで再び、たこ焼きを焼きに行ったり、
御神輿を担いだり、仲間として大切な人たちに会いに行くというかかわりを
ずっと続けて行きたいとおもっています。
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そして・・・これまでとかかわりかたが変わることもあり、
ボランティアチームとして活動してきた「てきやチーム」は解散します。
また、今後のてきやのボランティア活動については、チームではなく、
有志という形を取りながらまだまだがれきと泥が残る、
南相馬市での活動に重点を絞り、継続的に且つ、精力的に続けて行くつもりです。

南相馬市、石巻の大原も含めて、まだ心災と震災は続いています。
まだ道の途中・・・出逢いとかかわりに感謝しつつ、自分らしい生き方をとおもっています。

『 遙かなれり 大原!』  てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2012-07-21 00:59 | 活動報告など
石巻 大原活動報告 6月23・24日

『雰囲気を・・・』

今回 すごく楽しかったです。いつもの、てきや、イッチー、はじめちゃんに、
てきやの職場の後輩の「伊達っち」も加わっての活動でした。

活動内容は23日 大原の漁師の斎藤さんの牡蠣の種付け
24日 早朝の神社の清掃及び草むしりプラスお昼まで
前日同様牡蠣の種付け作業を行いました。
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住民の人たちと一緒に牡蠣の子供が付いたホタテの貝殻を
等間隔で縄に固定する作業でした。これを海に沈めて育てると
2年後に食べ頃になるそうです。それなりにハードな作業でしたが
海の風が心地よく住民の方々と会話しながらの作業はとても楽しかったです。
聞き慣れた方言やなまりにぬくもりを感じました。
休憩中、震災直後のお話しをして下さったり、
「(てきやの住んでいる)千葉で災害が起きたら今度はおらたちが行くっちゃ 」
と言って下さったり、心のつながりを感じられたひとときでした。
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作業後は小形棟梁に会いに行ったり、高橋さん、平さんやっちんさんたちと
おいしいお酒を飲みながら、田植えを昼間していたという平さんに、
「今度は一緒に畑仕事をさせて下さい。」と頼みこんでいる自分がいました。
これからは、純粋なボランティアとしてではなく「てきや君」として、
漁業・農業・神社再建のお手伝いを兼ねて大切な人たちに会いに行く
という形が取れそうです。こうして、大原の住民の方々と一緒に
作業ができて当たり前のように一緒にお酒が飲めること、
とてもうれしく、ありがたいこととおもっています。
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前回のメカブ作業と今回の作業をさせて頂いて、はたらくよろこび、
誰かの、何かの役にたてるよろこびを実感することができました。
前回お土産に頂いたメカブとワカメを母に渡したらとても気に入ったらしく
メカブがなくなると母は船橋の東武デパートに行って気仙沼のメカブを
大量に買ってきました。そんな母が、
「お前が宮城にこんなに行かなかったら、東北のメカブやワカメが
こんなにおいしかったことを知らないままだった。今回、売り値で
ワカメとメカブを買ってきなさい。そしてたくさんお手伝いしてきなさい。」
と送り出されました。母からこんなことばをもらったのは、はじめてでした。
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そして今回、職場の後輩の伊達っちの初参加。
そして、はじめちゃん、イッチー、やまちゃんという、年をまたいで
共に行動してきてくれた仲間の存在 いろいろな形で活動を理解し、
支援して下さった方々の存在。自分が勝手にはじめた活動が
いろいろな意味と価値とつながりが加わり、とてもうれしくありがたくおもっています。
振り返ると・・・一緒にがれきを片付け、泥出しを行い、語りあえた日々・・・(^-^)
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てきやが尊敬している、神田橋條治先生のことばに、『雰囲気を受け止めて雰囲気で返す』
ということばがあります。 感謝のおもいと共に、このことばを実生活で
実践する構えが取れたら・・・より豊かな人とのかかわりが持てるんだろうな・・・
とイメージしていましたが、あこがれにとどまり、ずっと遠くに感じていました。
この活動を通してこのことばを近くに感じられる時を頂きました。

『雰囲気を受け止めて雰囲気を返す』
とは、そういう構えを身につけることではなく、人と人との間に漂っているもの、
浮かび上がっているものを感じてつかみ、寄り添いながら共に
時を過ごしていくことのようにおもいました。
そして次は、神社のお祭りでたこ焼きを焼いてきます。 (^-^)

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2012-07-05 18:30 | 活動報告など
やっさんです。てきやさんより南相馬市での活動報告いただきました。
やっと避難区域解除になった小高地区では、戻ってきた住民による
生活の取戻しへの戦いがはじまっております。
しかし、その被害や時間の経過とともに現れる様々な障害により
一人では戦いきれるものではないように思われます。
ぜひ、レポートを読んで何か感じて考えてあげてください。
++++++++++++++++++++++++++++++++
南相馬市活動報告 6月9・10日 『今日より明日』

今回も南相馬市で活動してきました。
9日はボランティア宿泊キャンプ場の整備、10日は20キロ圏内
小高区のお宅の庭のがれき撤去と泥出しを行いました。

ボランティア宿泊キャンプ場とは・・・今までボラセン事務所・宿泊所
として使用させて頂いてきた児童館からの立ち退きを命じられた関係で、
田んぼに囲まれた原っぱにテントが設営されており、
中古のプレハブを設置予定とのこと、このプレハブが
女性ボラさんの宿泊所及び、ボラセン本部(昼間の事務所・
受け付けは20キロ圏内小高区の社協会館なので場所は異なります。)
となり、男性ボラは今後こちらのテントでの宿泊をとのことでした。
立ち退きを迫られている中での急ぎの作業みたいで朝からの雨の中を
プレハブが水平に建つよう地ならしをしてスコップで土を掘ったり盛ったり
の高さ調整をしたり、プレハブ設置予定地及びテント周辺の排水側溝作り
のため、土を掘ったり、テント内の草むしりをしたりしました。
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自分は仕事を休んでまでのボランティア活動は美しくないと思っています。
福島での活動の場合、冬場に深夜の雪道の運転に備えて
金曜日に2回ほど職場を早退した位で通常は、普通に仕事をして、
金曜日の夜遅めから運転して、明け方5時頃南相馬市内着、
コンビニ前でしばしの仮眠、土曜日と日曜日のお昼まで作業し、
運転して日曜日の夜、自宅に着くのはだいたい22時位という
タイムテーブルで活動しています。
もちろん月曜日は普通に出勤しています。

ただ、「この流れでテント泊は正直つらいなぁ」 と感じました。
南相馬市の5000円以下のビジネスホテルはいつもほぼ満室の状況で
高い宿泊料金は払えないてきやにとっては、これからは、ここでの
テント泊か南相馬の道の駅での車中泊のどちらかを余儀なくされます。

午後になり、雨足がさらに強まる中、これから宿泊がテントになってしまう
ことのとまどいと抵抗感を拭えないまま、20キロ圏内はこれから
人手が必要なのにどうしてこういう不利な状況になっちゃうのかなぁ
意味のある活動なのにますますボラが減ってしまう・・・
やまない雨の中でそんなことを思いながらの作業でした。

夜は山形で農業をしているボラさんと酒を酌み交わしつつ、
「実家が宮城県の仙台なんです。石巻にも来てくれていたんだね。 ありがとう。」
なんて言ってもらい、うまい酒となり、常連ボラさんともしばしお話しができて、
いい時を過ごせた最後の児童館での一夜でした。

そして日曜日の活動前のミーティングでは、ボラセン新事務所となった
20キロ圏内小高区の社協会館で南相馬市社会福祉協議会会長の
門馬さんが今回もお話しをして下さいました。

みじめな南相馬市に来てくれてありがとう。
九州の○○市の市長さんが私の元を訪れてくれました。その市長さんいわく、
「去年南相馬市にうちの職員を20名近くがれき撤去に派遣した。
今年度もと思ったけど、報道で見た3号機の状況・・・再び大きな地震が
起きたら爆発する、そんな危険な地域にうちの職員を派遣することは
できない。どうかご理解下さい。」』
門馬会長は続けてこう話されました。
『理解して下さいと言われても理解できるものではない。でも来てくれとも言えない。
ひとつだけはっきりしていることは私には逃げ場がない。
皆さん南相馬市にがれきや泥を撤去しようと雨の中来てくれて本当にありがとう。』

門馬会長が冒頭に使われた「みじめな」という言葉にはびっくりもしたし、
最初聞き間違いかとも思いました。が、お話を全部聴き終えて、
相当置き去りにされた感があるんだなと感じました。
そして『・・・私には逃げ場がない・・・』
この言葉がてきやの心に重く響きました。
そして前回のおばあちゃんのようにここで住みぬこうとする人もいること。

この地や人々が置き去りにされていってほしくないと強くおもいました。
自分は南相馬市にボランティアに行くことだけが正解ではないと思っています。
南相馬市でのボランティア活動を自慢する気もありません。
人にはそれぞれ役割や立場や責任や使命があると思います。
そしてそれぞれの時や縁やしがらみもあります。

本当にこわいのは無関心と風化・・・
そしてこの日は20キロ圏内小高区のお宅の庭のがれき撤去と泥出しを
行いました。この日も雨でした。農家のおじいちゃんのお宅でした。
『・・・田んぼは放射能であと10年はだめだろう・・・同じ20キロ圏内でも
家に帰れる見込みのない地域もある。それに比べたら家に帰れるように
なったのはありがたいこと。 とにかくがれきと泥を片付けないと
何もはじめられないんだ・・・』
一年以上放置され続けていた泥は固く硬直していました。
雨に打たれながら剣先スコップを突き立てる少数のボランティアたち 
いかりやかなしみを表出することなく、淡々と笑みすら浮かべて、
被害状況を語り続けるおじいちゃん・・・
そのおじいちゃんの後ろには壊れた家が見えました。

今回も心が痛かったです。 その自分の心の痛みに
『また来ます』という言葉で蓋をした自分がいました。
今回一人での参加だったこともあり、
「なぜ 自分はこの活動を続けているのか?」という自問自答をしていました。
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・誰かの、何かの役に立っているという、確かな実感と手ごたえがあること。
・一緒に活動してくれたり、わかってくれている、話を聴いてくれる場や仲間の存在
・カンパを託してくれたり、活動を理解して下さり、
  あたたかいフィードバックをくれる方々の存在
そして、この活動を通して出逢い関わった方々の顔と
あたたかいかかわりあいが宝物のようにたくさん浮かびました。
それが自分がこの活動を続ける理由です。(^-^)

南相馬市におもいをはせる時、自分はこうおもいます。
『今日より明日なんだ』と。   例えば、
「今日、がれきを撤去して、明日以降庭に花をまた植えよう。」
『今日より明日』
住民の方がそうおもってもらえるよう願いつつ、そこにまだ
泥とがれきが残っているのなら自分はこの活動を続けていきます。(^-^)

てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2012-06-16 20:30 | 活動報告など