2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

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AOEといえば学生時代のフィリピンでの交流ボランティア活動が
その基礎となっています。マニラの父でもあるディクシー主教からの
メールをゆうじさんが転送してくれました。
このブログとせいちゃんのブログも娘さんに伝えてくれたようです。
ディクシーさん、ゆうじさんありがとうございます。(やっさん)

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From Fr.Dixie

Kumusta kayo?
Komusta ang pamiliya nyo sa Japan?
Komusta ang mga kaibigan natin sa japan?
Praying for what is best for them - Fr.John & family, William & family, AOE
members and their families.

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日本に来たときのディクシーさんと私の写真です。
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by aoesupport | 2011-04-29 23:30 | ありがとう!
AOEの竹内もみさんより、石巻にお花が届けられました。
お花の先生などからの協力のようでありがとうございました。
3月11日の震災時に亡くなった方は今日で四十九日を向かえ、
本来であれば、お骨がお墓に埋葬され、遺族は少し落ち着きます。
しかし、今回の大震災では行方不明の方がいまだに1万人以上あり、
火葬場などが間に合わず、仮に土葬したご遺体もたくさんあります。

ボランティアに向かうという行動の中で、気をつけなければいけないのが
今回の3万人近い死者が生み出す悲しみです。
そこへの理解や寄り添う気持ちがなければ、過ちを起こすことにもなります。
せいちゃんの求めるお花には、その理解を進める意味があると思います。
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写真提供 はからめさん
以下、もみさんからのメールです。----------------

AOEみなさん、誠ちゃん

遅くなりましたが、お花を今日、送りました。
25束、個別に分けています。 
送り主は
所沢から 「彩季会 田中真由美」 です。
月2回くらい、うまく市場から入った時におくりますので不定期です。
 
またまた、誠ちゃんにお手数掛けるのですが、
なにせ、花なので、送って枯れていたら役にたちません。
もし、結果が悪いなら方法を再検討です。
ヒロミさんたち、この週末も行かれますか?
枯れてなかったか、被災地の人たちの手にうまく渡ったのか
聞いてもらえませんか?

お願いばっかりで・・

竹内 もみ
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by aoesupport | 2011-04-28 11:30 | ありがとう!
ヒロミです。

こもゆう組のGW活動予定です。

30日出発が、7名、車2台で向かう予定です。
2日出発が、10名、車2台で向かう予定です。

東京への帰りは、3日と5日と6日に分かれます。

こもゆうは、2日出発で6日の帰りです。
ヒロミは、今回も留守番組みです。残念。

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こもゆうチーム、毎週の派遣ありがとうございます。
体力的な消耗のみならず、金銭的にも負担が多いかと思います。

東日本大震災HS神戸サポートチームとしての通帳を
作りましたので、広く活動資金を募ります。
また、色々な助成を受けられるような情報などありましたら、
挑戦してみますので、ぜひお知らせください。
支援金の振込先はこちらになります。
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by aoesupport | 2011-04-27 23:30 | 今週の予定
AOEの皆さんへ。
かっきー;柿原邦亘(かきはらくによし)です。

自己紹介と先週末の報告が遅くなり申し訳ありませんでした。
ボランティアの身ではありますが、さすがに僕自身も相当の衝撃を
受けて帰って来ました。お許し下さい。

まずは自己紹介。
世田谷区在住。横浜市保育園に勤務。学生時代に、スガオ(長島さん)
にアルバイト先で誘われ、AOEラパス・ラウィンチームに参加。
1度、ラパス・ラウィンに参加させてもらいました。また、
昨年はフル(古旗くん)の誘いで合同追悼式に参加させて貰いました。

今回は、ひろみちゃんに連絡をさせてもらい、せいちゃんと繋げてもらって、
石巻に入りました。また、今回の震災からですが、東京レスキューバイク
(東京RB)に参加して、浦安市、東海村で、微力ながら活動させて
貰っています。以下、先週末の報告です。

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4月23日14:00頃石巻到着。

石巻市中央アイトピア通り(飲み屋さんが多く入る商店街)
でせいちゃんと合流。後に分かったことだが、土曜日は雨天の為
社協の指示では、ボランティアは屋内作業のみで泥掃き
(マッドバスターズ=泥退治隊)は中止の予定となっていたが、
現場は屋内の泥を掃くという意味で動いた。
しかしトラックやユンボが中止の連絡を受けて別の現場に向かっていて、
作業が思うように完了しなかった。せいちゃんの話では石巻での
作業を続けていた中で、こういったミスマッチは珍しいとのこと。
17時には、給水プラントで車両や作業をしたボランティアさんの
泥を流してもらい、せいちゃんの拠点である南境生活センターへ戻る。
しばし、そこでの生活について習い、夕食を頂き、19時にボラセン
がある専修大学へ向かい、ミーティングに参加させてもらう。

ミーティングは毎日とのこと。そこでは、その日の報告を行い、
事務連絡、そして分科会という流れ。
分科会はローラー(ニーズ調査)、メディカル、リラクゼーション、
キッズ、移送、マッドバスターズ、に分かれて行う。20:30頃終了。
4月24日7:00南境センターにてミーティング。その日の予定をチームごとに伝える。

その次の日、僕は湊中学校にて泥掃きに参加。その前に、
せいちゃんの計らいで被害の酷い門脇町周辺をニーズ調査も含めて、
案内して貰う。とにかくテレビで見た通りの瓦礫の山が続いていたが、
特にこの周辺は地震直後に起こった火災の為、黒こげの瓦礫であった。
湊中学校での泥掃きをお昼ごろまで行い、炊き出しのインドカレーを頂き、
帰路へ就く。

以上です。報告が遅くなり申し訳ありませんでした。
今後、東京RBでの活動も含め、未定の部分もありますが、
よろしくお願いします。

かっきー・柿原邦亘


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AOEメンバーでもやや若手の人がだんだんと参加してきています。
比べれば少しは若いということは、阪神淡路などには参加していない
ということにもなります。今回、現地を初めて見てきて、両方の現場を
見た私としては、若い人は必ず一度はこの大震災の現場を見ることが
必要かと感じます。その被害の甚大さや人々の悲しみみたいなものを
肌で感じて、次の機会に活動できる人間を増やすと言うことが大切だと
思っています。だから、せいちゃんもかっきーを案内してくれたのかな。

GWは物見遊山の人も現地に入りますので、かなりの渋滞が予想される
ため、おすすめはしませんが、その後ぜひ一度は現地を見てください。
それが未来を作る力になるはずです。(やっさん)
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by aoesupport | 2011-04-27 10:00 | 活動報告など
GWは多くのボランティアが現地に向かうようですが、
サポートチームでも柳澤いいのんちゃんの予定が決まりました。

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4/29
長野県上田市ヤマモトモータリングより軽トラック1台を石巻へ輸送します
軽トラックは次回の車検までは、そのまま石巻に置いておきます。

5/3~8
所沢小手指の造園業者「大和園」様と一緒に3tユニック付きトラック1台、
2tトラック2台 パワーショベル3台、プレハブ1棟スタッフ私を含め
8名体制で現地に入ります。活動予定地は牡鹿半島大原地区と予定しています。
プレハブは場合によっては現地に置いてきます。

現在、全くの自費で活動をしています。金銭的なバックアップを求めます

柳澤のん

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石巻活動後、仕事でアメリカに行っていたのんちゃんが帰国して
早速活動してくれています。重機を使った撤去作業などの
ボランティア活動は、一般的なボランティア活動とはイメージが
違いますが、せいちゃんをはじめとする日本財団さんなどは、
この重機救援活動のために、毎年重機・チェーンソーなどを使った
講習会を開いていて、その普及にもつとめています。

どうしても人の力だけでは助けられない現場があり、人が苦しんでいた時に
もし機械や動力があれば苦しむ人を救えるのなら、使うべきではないでしょうか?
サポートチームのみんなの活動をしやすくしているのも、
重機隊の動きであることは現地に行った人はわかると思います。

自分のできることを、みんなでつないでいく。
のんちゃんの活動への資金支援もお願いいたします。
今日には振込先の通帳を作れると思います。(やっさん)
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by aoesupport | 2011-04-27 07:00 | 今週の予定
4日目の最終日になります。宿をとった遠野市から海岸線に戻り
せいちゃんのいる石巻市がゴールとなります。遠野市のGSで給油して
話を聞くと、岩手県内陸部でも震度6強あり倒れた建造物なども
あったようですが、今では町の機能も復活しているということです。
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峠道をこえて岩手県大船渡市に入ります。大船渡市も港湾部は工業地帯
町の役場昨日などは少し高台にということで、ボランティアセンターも
警察署の脇の駐車場を利用してプレハブで建てられていました。
県外ボラの受け入れはしていますが、宿泊場所などの提供はないようで、
地元高校生の学校が始まった最近は人手不足を感じているようでした。
現状では物資倉庫の整理や家屋の片づけが基本作業ですが、ニーズは
増えてきているようです。こちらのボラセンの方はのりがよいのか、
よみがえれマグネットを渡したところ、すぐに追加注文をいただきました。
港湾部の被害ひどいところを視察しましたが、他の市では見られない光景
として、残った工場を修理して再開するとか、瓦礫を撤去した更地で営業を
はじめる会社などがかなりありました。行政の違いかかなり元気な町です。


大船渡市港湾部の映像4月24日(2:37)

次に陸前高田市に向かいます。移動距離は1時間くらいですが、その間の
海沿いの全ての町が破壊されています。岩手から宮城までリアス式海岸の
港・住宅街・工場地帯など海に近いところ、川沿いの所全てがやられていました。
陸前高田市に入ってみた景色は、今までで一番広く一番ひどいものでした。
海から平坦な地形に集中して駅・家・学校などが立ち並んでいましたが、
その平坦部全てが壊滅していました。車で移動している時は気がつかないのですが、
降りて足元を見ると、子供の靴・レコード・本・食器類など、3月11日2時46分まで
普通に生活していた事がわかるものが泥にまみれてそこにあります。
海からの風の音しかしない風景の中で、ただただ立ち尽くすしかありません。

陸前高田市はさらに人的被害もひどく、社会福祉協議会の正職員全てが
消息不明で、ボランティアセンターの立ち上げも遅れました。
今回訪れたボラセンも前日にこちらに引越ししたばかりで、やっと
スタートした感じです。責任者の方も全国の社会福祉協議会からの派遣で
集めているようですが、地元の人や東北の大学生の参加で盛り上がり
はじめていました。なんとか力になりたいとも感じたところです。


陸前高田市市街地(4:43)長い映像ですが市の被害の大きさがわかります

いよいよ、宮城県に入ることができました。次は気仙沼市に向かいます。
気仙沼市は津波の被害とあわせて火災の被害もひどかったところです。
今までの被災地とは違い、火災の後の鉄の焼け残りが錆色になっているので、
また風景が変わっています。木材は燃え残り、黒くなっています。
気仙沼市のボラセンは事務所も社会福祉協議会できちんと組織され、
受付・物資置き場・資材置き場等、外での活動もスムースに進んでいるように
見えました。社協の一番中心の常務理事さんとお話させてもらいましたが、
今後のニーズも広くあるので、ボランティア活動は受け入れたいが、
GWの混乱を少し心配していました。やはり磐石な体制のセンターは無いようです。


気仙沼市市街地(3:16)焼け跡も大きな船もありまだ片付けは進んでいません。

石巻の前の最後の町が南三陸町です。こちらは、ベイサイドアリーナと言われる
総合体育館が役場機能・避難所・ボランティアセンター・自衛隊駐屯地・報道など
集約されていて、大きなベースキャンプのようになっています。
ところが、ここに電気・水道のライフラインが復旧していないという大変さで、
自衛隊の発電機などが活躍しています。ボラセンは大きなWFP国連世界食糧計画
のテントの中にあります。車中泊での滞在もOKなようで、活発な感じがしました。
やはり、役場とボラセンとが近い場所は活動がしやすいように思えます。

南三陸町では聖学院大学の学生さんが集めた募金を、物資として提供できないか
という情報を集めて欲しいと言うことで、物資管理専門の方にお話を聞きました。
そこで、欲しいものは水・米・野菜・果実と言われ少し驚きました。
今まで見たきた避難所にはこのような物資はすでに足りているように思えたからです。
しかし、話を聞くとライフラインとしての水道の完全復旧は半年かかると言われ、
その間、炊き出しを含めて1日1万食×3食を提供しなければいけないので、
いくら食べ物があっても足りないと言う話でした。ショックでした。
責任者の方も疲れていたようでしたので、よみがえれ南三陸ステッカーを
差し上げたところ、急に笑い出し、「車に貼りたいけど俺、車ごと流されて
ぎりぎり助かったから、車に貼れないんだ!でも代車に貼らしてもらうよ。」
と言ってくれました。自らも厳しい中、役場の仕事で大勢の市民を守らなければ
いけない重圧や責任感など、感じることができました。
笑ってもらえ、少し緊張がほぐれたようで、こちらもうれしかったです。
南三陸町も市街地は海沿いでしたので、被害は甚大です。
夕方最後の時間に町を通り過ぎた風景が次の画像です。


南三陸町市街地(2:11)震災後一ヵ月半でも火災が起きている場所もあります。
夕闇せまる中の被災地にまた電気の無い夜が来ます。

すっかり夜になり、最終目的地石巻に到着しました。
ちょうど、災害復興会議の全体会議の時間でしたので、
せいちゃんと会い、社協の阿部さんや復興会議の伊藤さんなどとも
挨拶して会議に参加しました。石巻はやはり一番大きな集まりかもしれません。
全体会議・分科会とわかれて機能的に、物事が進んでいるように感じました。
そこで看板屋のやっさんとして挨拶させていただき、ステッカーなどの
感想を聞くことができました。追加でまた作らなければいけません。
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数時間の滞在でしかない石巻ですが、ここも磐石ではないように感じました。
この石巻専修大学がいつまで使用できるかわかりませんし、ボランティアさん
自身も、この活動がいつまで続き、どこが終わりになるかを示してくれる
行政・市などが見当たりません。最終目的地の地図も無いまま、道なき道を進み
その途中で困っている人がいたら、手を貸すという感がありました。
私の個人的な感想ですので、間違っているかもしれません。

しかし、北から降りてきて視察の結果、石巻で活動が集約しすぎると、
その他の地方に活動が普及しきれないように感じました。
実際に南三陸・陸前高田などの被害の大きさと復興の進み具合を考えると、
石巻で活動をつんで実績を得た団体はさらに北に進み、そこに拠点を作り
活動を進めていくことができるのではと感じました。
そうなると、この支援活動はいつまで続くのか?ボランティアという言葉では
カバーしきれない世界に、ボランティア精神だけで素手で立ち向かうしかないのか?

せっかくのサポートチームの皆さんの意見も聞いてみたいと思います。
長いレポートですが、語りつくせない言葉もたくさんあります。
また機会があれば、みんなで集まりましょう!
そして、長く広くこの震災への支援活動を続けていきましょう!(やっさん)
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by aoesupport | 2011-04-25 23:00 | 活動報告など
3日目の朝、久慈市を出発し他の市町村のボランティアセンターをまわり、
今後の活動を考えるための視察をすることにしました。
まずは野田村のとなりの普代村では一人の死者も出さなかった15mの堤防を
見学しました。10mで十分だという村人の意見に負けずに、15mの堤防を
建設した村長さんは備えあれば憂い無しということの代表のように思えます。
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次の田野畑村は、町の機能は海岸線から離れた山の上にまとめていて無事でしたが、
海岸線の住宅街や漁業関係者の方々に多くの被害が出ています。
ここで感じたことは、今回の震災には生死や被害の大小を分けるラインがある
ということです。このラインが今後の復興にも差をつけてしまいます。
それがはっきりとしているために、悲しみがとまらなくなります。
なんで、どうして、誰が決めたのか、そこにラインがあるのか・・・
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田野畑村役場であいさつをしましたが、基本的にボランティアセンターは
設置しておらず、復興も役場中心で進められる村のようでした。
その後は、いよいよ被害の大きな宮古市田老地区に入ります。
ここから、私の感情も抑えられなくなってきました。
海岸線に沿う人口の多い街が完全に破壊されています。
その風景をトラックで進みながら出てくる言葉は、
「ふざけるな、こんちくしょう、なんでそこまでやるんだ。ちくしょう」
戦争の体験はありませんが、まさに自然の攻撃に負けたこの被害状況は
何かに対して向けられる怒りを生み出しました。負けてたまるか!


宮古市港湾部の4月23日、工事現場ではありません。

宮古市は大きいためにボランティアセンターも複数必要だということで、
田老地区にもボラセンができていましたが、宿泊場所などがないため
県外ボラは受け入れにくそうでした。同じように、宮古市のボラセンでも
基本宿泊などは各自確保してもらい、活動していただければという話でした。
職員さんの一人が、大学生の活動であれば避難所で子供と遊ぶような事を
してもらいたいと言う話をしてくれました。そこで、聞いた言葉は、
避難所の完全解消までに2年はかかりますという信じがたい言葉でした。
阪神淡路でさえ仮設住宅ができて、8月には神戸でも避難所はなくなりました。
それに比べても、被害の影響の長さを考えると本当にじっくりと構えて
活動を続けることが必要だと再認識しました。
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雨がひどくなってきましたが、宮古市の次は山田町に向かいました。
この町は山田湾を囲むように家々が立ち並び、そのほとんどが壊されて
いまだに車や瓦礫が片付けられないで多く残る町でした。
こちらのボランティアセンターでは、宿泊場所を提供しており
GWも多くの予約ですでに締め切りとのことでした。
ここで、ご遺体捜索海上活動をしている男塾の佐々木さんに会い、
ステッカーを渡してきました。色々な場所に面白い人がいるものです。
山田町社協の方にもステッカーを渡しました。
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山田町を出る頃にはすっかり夜になってしまったため、宿を内陸の遠野市にとり、
大槌町・釜石市を通過しながら移動しました。電気の通っていない被災地の夜は
その破壊された風景がさらに恐ろしく感じます。橋の崩落の危険性があるため
片側交互通行という橋もありました。やはり北と南から復興が進んでいるとすると、
このあたりが中心で一番復興の遅れている場所になるかもしれません。
がけ崩れの危険性もある山道を通り、なんとか遠野市に到着しました。
遠野市などは災害支援作業従事者のために、宿泊施設を特別価格で提供している
ようで、観光どころではない感じでした。本当は観光に良い所なんですが、
この状況が経済に与える影響も大きいと思いました。

夜になっても心がざわついてよく眠れません。この日の風景は一生忘れない
ものとなりました。悲しみ・怒り・不安、被災地の人たちは毎日こんな
思いをしているのかと思うと、なんとかしなければという思いが湧き上がります。
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by aoesupport | 2011-04-24 23:50 | 活動報告など
22日の金曜日は実際にボランティア活動をしました。野田村に朝9時前に到着。
村役場脇にある社会福祉協議会のボランティアセンターにて登録をします。
平日ということもあって、それほど混雑もしていませんでした。
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登録で記入した後は、黄色いウインドブレーカーを支給されます。
この黄色いジャンバーは汚れ防止と共に、ボランティアのイメージカラー
として、現地の人に受け入れられているということです。証明みたいなものです。
今回、いただいた作業はセンターの目の前にある消防署の周りの側溝の清掃です。
どぶのふたがめくれて中には瓦礫がつまっており、水が流れなくなっています。
消防署の車の清掃にも支障があるということで、人員9名で作業を始めます。

ふたを開けるための鉄の金具を支給されましたが、それでは動かなかったので
持参した鉄の長い棒を使ってどぶのふたを持ち上げました。この棒は硬くなった
瓦礫を崩すのにも使えましたので、ぜひボラセンでそろえてもらいたい道具です。
ふたを開けた中には汚泥や瓦礫がつまっていますが、油・海水・へどろ・生活排水
が混ざり合った匂いは、北の寒い地方でもきちんとしたマスクが無いと耐えられません。
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午前の作業が終わり昼食になりましたので、車で近くの食堂に行き暖かいものを
食べました。お店の方にも震災時の話を聞くと、このお店の周りには津波が
近くまでこなかったため、3月中には営業を始められたそうです。
よみがえれステッカーを見せましたら、「こうした言葉って力があるよね。」と
言ってくれました。うれしい言葉です。お父さんの出身地田野畑村と野田村の
2枚を託して、午後の作業に向かいます。
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午後になると、外人さんのいるグループが合流してきました。
話をするとシンガポールからイースター休暇を利用してボラ活動に来た
ドイツ人です。あとは日本人と結婚したドイツ人女性もいます。
いっしょに活動しましたが、なかなかパワーがあり予定を越える作業が
進みました。国際協力活動もあるのがボランティア作業です。
最後の最後に側溝の中にどぶのふたが鉄筋といっしょに落ちていました。
人の力では撤去するのは不可能です。そこで私の持ってきたエンジン発電機と
電気カッターでそれを取り去り、作業を完全に終わらせました。
どぶの水が川に流れていくのを見て、参加者みんなで満足して作業が
終わり、後片付けをしてボラセンに作業確認をして終了です。

その後、久慈市に戻り被害を受けた漁協周辺を視察しました。
町は落ち着きを取り戻していますが、港の被害はひどいものです。
久慈漁協も営業を再開していますが、仮の営業にすぎません。
ぎょきょうという看板を見かけましたので、勝手に応援ステッカーを
貼ってきました。これは看板屋さんの活動です。
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こうして2日間の活動を終えて、今後聖学院大学の学生を連れて行く場所として
野田村を考えることにしました。宿泊を町の機能が回復している久慈市にとれること
行方不明者がいないため安心した作業ができること、ボラセンがきちんと
対応できていることなど、被災地が初めての学生さんにはまずは安全を
優先にしたいと考えています。これは誠ちゃんたちの活動とはある意味
真逆にありますが、私の考えるボランティア活動の普及ということでは
こういう方法もあるということを理解してもらえると思います。
ただ、この後の2日間の旅程でこの考えが少し揺らいだのも事実です。
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by aoesupport | 2011-04-23 23:00 | 活動報告など
やっさんです。

4月21日より岩手の最北端被災地の久慈に向かい、
そこから南下しさらに被災の激しい所を移動しました。

今回の活動の目的はいくつかあります。一つは北にあります
野田村での瓦礫撤去や泥出しなどのボランティア活動。
二つ目はさいたま北商工協同組合の方々や近隣の人から
提供された支援物資を野田村役場に差し上げること。
この2つの目的のためにトラックの荷台が満載になり、
そのパッキングがなかなか終わらなくて、徹夜で出発となりました。

目的の三つ目は聖学院大学NPO法人コミュニティ活動支援センター
の理事として、今後の長期にわたる学生さんのボランティア活動派遣
ができる地域を探りながら、岩手県の被災地の状況を確認する視察活動。
そして、四つ目が看板屋さんとして、看板仕事人の仲間と制作した
「よみがえれ東北!ステッカー」を現地の方々に差し上げて応援すること。

ちょっと、複合的な要素が多かったため、サポートチームの活動とは
別に考えさせてもらいましたが、現地を見たあとでは
そんなことも言っていられずに、私の見たこと感じた事を
報告させてもらおうと思います。

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◆1日目4月21日木曜日

早朝4時半出発ですが、前日の準備で一睡もできませんでした。
同行者は聖学院大学の職員Sさん。この方はせいちゃんも知っていて
今までともに中越被災地の雪かきや、柏崎での活動もしてきた人です。

東北道を一気に北上して、岩手県の北にある久慈市に入りました。
こちらにはSさんの大学時代の友人が居酒屋を経営しているということで、
知らない土地よりも知っている人を頼る事も必要です。
久慈市は港湾部は大きな被害を受けましたが、死者も4名ですでに町の機能は
回復しており、こちらの駅前ホテルを宿とし拠点としました。

さすがに700キロは遠く、到着は午後3時でしたが、
被災の激しい隣町の岩手県野田村に行き、村役場の災害対策本部に
物資を届けました。野田村の被害状況は
死亡者37名・行方不明者0名、家屋被害・全壊家屋300棟以上・半壊家屋150棟以上
行方不明者がいないということで、すでに合同葬儀も行われていました。
社会福祉協議会によるボラセンも、物資・運営ともに機能的に行われており、
安心してボランティア活動ができる場所です。

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北からの支援も多く入っているということで、体育館は物資の山でした。
そのため、役場でも受け入れる物資は生活用品に限られていました。
こちらで持っていった物資をどうしようかと悩んでいましたところ、
近くの特養老人ホームを紹介していただき、そちらに物資の一部を届け、
次にはそこからそばの保育園を紹介してもらい、そちらにも子供の遊び物等を
届けることができました。津波で村で一番大きな保育園は流されてしまい、
残りの保育園に振り分けられたため、子供のものは足りないということでした。

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その後海沿いの被害の大きな場所を歩きましたが、津波の恐ろしさを
ただただ感じるばかりです。瓦礫の撤去は進んでおり、今後は復興に向けた
活動が進んでいけそうな、唯一といえる被災地でした。
夜はSさんの友人のお店で旧交を温め、久慈市のホテルに泊まりました。

写真は保育園の先生たちと海沿いの防潮林が引きちぎられなぎ倒された姿です。
この大木が槍のように町を襲い、家を破壊したという話もありました。
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by aoesupport | 2011-04-22 23:00 | 活動報告など

ラジオに関して

ヒロミです。ラジオのことが知りたいと言われたので、
参加メンバーにレポートをもらいました。

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ラジオは4/17(日)午前中、同じチームのSさんと配りました。
場所は泥出しの依頼のあったEさん宅の前の道沿いです。(大街道東2丁目の住宅街)
避難されてる方が多いせいか、在宅されてる方は少なく、
歩いている地元の方にも声をかけて行きました。

配ったラジオは1箱。8個ぐらい入っていたと思います。
仕方のない事ですが、1個ずつエアクッションに包まれていて、
電池も入っていますが、ラジオが作動しないように紙やテープを
咬ませてあるので、箱を開けてエアクッションや紙を外して、
作動するかを確認してから配りました。
ゴミが出るので、先にこの作業をした方が良いかと思います。

配り方は単純にローラー作戦です。
『こんにちはー!ボランティアセンターから来ましたー!』
と声をかけながら、TBSから送られた事、全国の皆さんからの寄付の事、
すぐ使える事をを話しながら、聞いて周りました。

反応は様々。怪しいと思われてるのか、『いいです』って、一言
だったり。全く表情を変えないで『あぁ、じゃあ貰います』って感じだったり。
でも、『凄く助かるわー!まだまだ余震が多くてー』とか
『欲しかったのよー!津波でダメになっちゃって』とか笑顔で
おっしゃって下さった方も多かったです。

全体的には、持ち出せる小さいタイプの物の方が喜ばれる感じが
しましたが、大きめのラジカセを喜んで下さった方もいらっしゃいました。

快活にきちんと挨拶して話す事、お庭やお宅の玄関先に入る時は
必ず『お邪魔します』と頭を下げて入る事を心がけました。
女性2人で配っていたのも良かったのかも知れません。

せっかく地元の方と話せる機会だったので、もっと話しを聞いたり、
困っている事を尋ねる時間があれば良かったと思います。
なかなか自ら声をあげられなくても、話しかけると喜んで下さる
方が多い事、まだまだ情報が不足している事を実感しました。

TBSラジオがリスナーに呼びかけ回収し被災地へと送ったラジオ。
今回はが7箱くらい届いていましたね。
以前も届き分配したそうですが、今回もその箱を各セクションで、
一箱づつ自分の行き先に持ってゆき、近所の方々に配りました。
我々のチームも一箱、日本製紙石巻工場裏の大街道東の、
泥かき現場のお宅のご近所さんに声をかけながらご入用の
方々に配りました。

********************************

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石巻市で流れているのはFM石巻76.4MHです。
震災前も地方FM局として地元密着の放送を続けてきましたが、
震災後、周波数を拡大し「いしのまきさいがいFM」として
支援情報を流し続けています。

3月のせいちゃんのブログでラジオを集めていますという情報を見て
個人的に聖学院大学NPO法人の理事として動いてみました。
運の良いことに、SONY株式会社のCSR部が反応してくれて、
新品のラジオ1,500台を石巻に送ることができました。
先週には届いているはずですが、確認はできませんでした。

ラジオを現地の人に活用してもらうように、
1,500枚のステッカーを看板屋さんとして制作し贈りました。
FM石巻の方からもお礼の電話をいただきました。
「明日をいきるためのラジオ」私の考えたコピーですが
誇張では無いことが、現地に行った人にはわかるはずです。(やっさん)
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by aoesupport | 2011-04-21 23:30 | 支援物資 ・活動情報