2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

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やっさんです。てきやさんより南相馬市での活動報告いただきました。
やっと避難区域解除になった小高地区では、戻ってきた住民による
生活の取戻しへの戦いがはじまっております。
しかし、その被害や時間の経過とともに現れる様々な障害により
一人では戦いきれるものではないように思われます。
ぜひ、レポートを読んで何か感じて考えてあげてください。
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南相馬市活動報告 6月9・10日 『今日より明日』

今回も南相馬市で活動してきました。
9日はボランティア宿泊キャンプ場の整備、10日は20キロ圏内
小高区のお宅の庭のがれき撤去と泥出しを行いました。

ボランティア宿泊キャンプ場とは・・・今までボラセン事務所・宿泊所
として使用させて頂いてきた児童館からの立ち退きを命じられた関係で、
田んぼに囲まれた原っぱにテントが設営されており、
中古のプレハブを設置予定とのこと、このプレハブが
女性ボラさんの宿泊所及び、ボラセン本部(昼間の事務所・
受け付けは20キロ圏内小高区の社協会館なので場所は異なります。)
となり、男性ボラは今後こちらのテントでの宿泊をとのことでした。
立ち退きを迫られている中での急ぎの作業みたいで朝からの雨の中を
プレハブが水平に建つよう地ならしをしてスコップで土を掘ったり盛ったり
の高さ調整をしたり、プレハブ設置予定地及びテント周辺の排水側溝作り
のため、土を掘ったり、テント内の草むしりをしたりしました。
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自分は仕事を休んでまでのボランティア活動は美しくないと思っています。
福島での活動の場合、冬場に深夜の雪道の運転に備えて
金曜日に2回ほど職場を早退した位で通常は、普通に仕事をして、
金曜日の夜遅めから運転して、明け方5時頃南相馬市内着、
コンビニ前でしばしの仮眠、土曜日と日曜日のお昼まで作業し、
運転して日曜日の夜、自宅に着くのはだいたい22時位という
タイムテーブルで活動しています。
もちろん月曜日は普通に出勤しています。

ただ、「この流れでテント泊は正直つらいなぁ」 と感じました。
南相馬市の5000円以下のビジネスホテルはいつもほぼ満室の状況で
高い宿泊料金は払えないてきやにとっては、これからは、ここでの
テント泊か南相馬の道の駅での車中泊のどちらかを余儀なくされます。

午後になり、雨足がさらに強まる中、これから宿泊がテントになってしまう
ことのとまどいと抵抗感を拭えないまま、20キロ圏内はこれから
人手が必要なのにどうしてこういう不利な状況になっちゃうのかなぁ
意味のある活動なのにますますボラが減ってしまう・・・
やまない雨の中でそんなことを思いながらの作業でした。

夜は山形で農業をしているボラさんと酒を酌み交わしつつ、
「実家が宮城県の仙台なんです。石巻にも来てくれていたんだね。 ありがとう。」
なんて言ってもらい、うまい酒となり、常連ボラさんともしばしお話しができて、
いい時を過ごせた最後の児童館での一夜でした。

そして日曜日の活動前のミーティングでは、ボラセン新事務所となった
20キロ圏内小高区の社協会館で南相馬市社会福祉協議会会長の
門馬さんが今回もお話しをして下さいました。

みじめな南相馬市に来てくれてありがとう。
九州の○○市の市長さんが私の元を訪れてくれました。その市長さんいわく、
「去年南相馬市にうちの職員を20名近くがれき撤去に派遣した。
今年度もと思ったけど、報道で見た3号機の状況・・・再び大きな地震が
起きたら爆発する、そんな危険な地域にうちの職員を派遣することは
できない。どうかご理解下さい。」』
門馬会長は続けてこう話されました。
『理解して下さいと言われても理解できるものではない。でも来てくれとも言えない。
ひとつだけはっきりしていることは私には逃げ場がない。
皆さん南相馬市にがれきや泥を撤去しようと雨の中来てくれて本当にありがとう。』

門馬会長が冒頭に使われた「みじめな」という言葉にはびっくりもしたし、
最初聞き間違いかとも思いました。が、お話を全部聴き終えて、
相当置き去りにされた感があるんだなと感じました。
そして『・・・私には逃げ場がない・・・』
この言葉がてきやの心に重く響きました。
そして前回のおばあちゃんのようにここで住みぬこうとする人もいること。

この地や人々が置き去りにされていってほしくないと強くおもいました。
自分は南相馬市にボランティアに行くことだけが正解ではないと思っています。
南相馬市でのボランティア活動を自慢する気もありません。
人にはそれぞれ役割や立場や責任や使命があると思います。
そしてそれぞれの時や縁やしがらみもあります。

本当にこわいのは無関心と風化・・・
そしてこの日は20キロ圏内小高区のお宅の庭のがれき撤去と泥出しを
行いました。この日も雨でした。農家のおじいちゃんのお宅でした。
『・・・田んぼは放射能であと10年はだめだろう・・・同じ20キロ圏内でも
家に帰れる見込みのない地域もある。それに比べたら家に帰れるように
なったのはありがたいこと。 とにかくがれきと泥を片付けないと
何もはじめられないんだ・・・』
一年以上放置され続けていた泥は固く硬直していました。
雨に打たれながら剣先スコップを突き立てる少数のボランティアたち 
いかりやかなしみを表出することなく、淡々と笑みすら浮かべて、
被害状況を語り続けるおじいちゃん・・・
そのおじいちゃんの後ろには壊れた家が見えました。

今回も心が痛かったです。 その自分の心の痛みに
『また来ます』という言葉で蓋をした自分がいました。
今回一人での参加だったこともあり、
「なぜ 自分はこの活動を続けているのか?」という自問自答をしていました。
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・誰かの、何かの役に立っているという、確かな実感と手ごたえがあること。
・一緒に活動してくれたり、わかってくれている、話を聴いてくれる場や仲間の存在
・カンパを託してくれたり、活動を理解して下さり、
  あたたかいフィードバックをくれる方々の存在
そして、この活動を通して出逢い関わった方々の顔と
あたたかいかかわりあいが宝物のようにたくさん浮かびました。
それが自分がこの活動を続ける理由です。(^-^)

南相馬市におもいをはせる時、自分はこうおもいます。
『今日より明日なんだ』と。   例えば、
「今日、がれきを撤去して、明日以降庭に花をまた植えよう。」
『今日より明日』
住民の方がそうおもってもらえるよう願いつつ、そこにまだ
泥とがれきが残っているのなら自分はこの活動を続けていきます。(^-^)

てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2012-06-16 20:30 | 活動報告など
柳澤 のん です
最近、このページでの報告が少なく、すみません
「けんせんふぇす」USTREM配信をやってみたり、陸前高田から柴田旺山氏による竹楽器の演奏会のこれもまたUSTREAM配信をしてみたり、大原小学校の運動会に行ったりなどなどしていました。

そして、先週末はOPENJAPANでの活動としてNPO法人スマイルシードが主催した、奥松島宮戸島【森と海の約束】~ともに希望の森づくり~に参加しました。

私は金曜日の夜、結婚記念日のデートを終えたばかり中子さん(笑顔311)が土曜日に石巻市内に用事があるとの事でしたので、一緒に石巻OPENJAPANベース入りしました。
石巻に到着した私は誠ちゃんと明日の活動場所の下見をしに行きました。そこで初めてお会いした富士子さんパワフルな行動に少々圧倒されそうも、淡々と下見をすませました。
午後は牡鹿半島小渕浜の漁師 ゆっちさん の作業小屋へ行き、今月末頃から始める予定の あなご漁 の準備を見学しました。
やはり、全ての漁具を津波で無くしてしまったので準備と言っても、毎年していた、道具の手入れではなくって部材を買って来て作るといった事でしたので、2つのパーツをつなぎ合わせたり、使いやすい様に手を加えて加工したりと、とても手間のかかる事を、若い漁師達と試行錯誤しながらやっていました。

その後、表浜漁協の木村委員長宅へ訪問し、お話をしました。
今まで、よく来ていたボランティアも最近は少なくなり、ちょっと、寂しい感じがするなぁ、といった事を話していました。
奥さんの春子さんともいろいろとおしゃべりし、話の中で「漁師はスカスカやる事があってね~」とおっしゃったので、「スカスカってなんですか?」ときいたところ、「次から次へと」という意味だと教えてくれました。私は初めて聞いた方言でした(ご存知の方いらっしゃいましたか?)

そして、日曜日の作業に必要なスコップやネコを運び出す為に大原へ行きました。
夕方だったのですが、**高校の生徒を受け入れるために区長さん副区長さんそして総代の3人がセンターにいらっしゃいました。高校生らは私が記憶する限り3~4回は大原に来ているのでと思います。何度も同じ所に行く事はとても良い事だと思います
でも、私は区長さんをはじめ何人かが対応するのは日曜の夕方なのに大変だなぁ。と思いました。ボランティアの受け入れも早くボランティアで対応できれば、良いんじゃないかなぁと勝手に思っていました。
そして、土曜の夜は誠ちゃん、中子さん、トトロさんと4人で石巻市内の居酒屋さんで食事をしました

日曜日の作業へ続く、、、。
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by aoesupport | 2012-06-12 11:09 | 活動報告など
やっさんです。
牡鹿では瓦礫の撤去作業などが少なくなってきたため
てきやさんはどんどんと片付けの進んでいない場所に
活動の場所を広げており、今回は20キロ圏内まできました。
その活動に様々なご意見もあるとは思いますが、良くも悪くも
てきやさんの報告から少しでも何か感じてくれれば、それが
震災の被害を忘れないことにつながります。そんな思いのレポートです。
今回は写真撮影を自粛したということで、文章のみとなります。
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『てきやと有志による南相馬市での活動報告』

「愚直なるままに (^-^)」 ~20キロ圏内へ~
5月20日(日)てきや一人、26日(土)27日(日)はやまちゃんと一緒に
『南相馬市ボランティア活動センター』に行き、4月16日より
避難指示解除準備区域となった南相馬市の小高区で活動してきました。
20日は側溝の泥出しと瓦礫撤去を26日は家の瓦礫撤去、
27日は家の周囲の草むしりを行いました。

小高区は予想以上にひどい状況でした。
たくさんの瓦礫が放置され、水田に車が突き刺さり、壊れた家や店が
そのままの状態で、地盤沈下と側溝が埋まったままなので道が
池のようになっているところもありました。 仮設から通い、
壊れた家の中を片付ける老夫婦の姿に胸が締め付けられました。
それを手伝う少数の常連ボラたち・・・
瓦礫まみれの水田、水が引かずに沼と化した水田、流されて土台しかない家・・・

時が止まり、住民の方々の心もすべてが置き去りにされているように感じました。
目に入るものすべてが痛かったです。このまま風化のなかで、
南相馬市小高区は置き去りにされていってしまうのかな・・・
ここも日本のふるさと・・・


活動前、いつものように、ボラセンター長の松本さんが熱く語っていました。
そして更に南相馬市社会福祉協議会の門馬会長のお話によると、南相馬市は、
7万人代いた市民の方々が、震災後の今は4万人代になってしまいかなしい・・・
このままでは終わらせたくない、ふるさとを離れざるを得なかった人たちに
おもいをはせつつ、ふるさとを再生したい。
遠くから来て瓦礫撤去と泥出しに携わってくれているボランティアの人たちには
心より感謝しています。と淡々と語られていたことも印象的でした。

南相馬市での活動はいつも黙祷からはじまります。
またここに来ようと自分の中で再確認した20日の日から
仕事中も小高区のかなしい光景が時々浮かんできました。
そして翌週、特に26日の土曜日は心に残る1日となりました。
海が見える坂の上のお宅の家と納屋の片付けを行いました。
おじいさんとおばあちゃんがいて、とても明るくて元気なおばあちゃんと
一緒にお話ししながらの作業でした。お花づくりと民謡が趣味で、
『・・・助かったよ。どこから手をつけていいかわからなくてね・・・』とか
『子供が二世帯住宅を作ってくれたんだけどやっぱり50年暮らしたここがいいんだよ・・・』
このおばあちゃんは、ここに本気で住むつもり、そのための今の片付けなんだ、
だからこんなにうれしそうなのか・・・とわかりました。

おばあちゃんからはいろんな話を聴かせてもらいました。
おばあちゃんの民謡の先生が津波に飲み込まれ亡くなられてしまったこと、
おばあちゃんはそういうおもいを背負って民謡をうたい続けるつもりのこと
震災前はおばあちゃんが育てたお花畑があって、海が見えてのどかな
田園風景が広がり、海水浴の人たちもいて、ここは本当にいいところなんだよ・・・と。

おばあちゃんが『3年後位に、ここにまた住めるようになって、お花畑を作ったら、
皆さんを必ず招待するからね、一緒にお花畑と海を見ながらお茶を飲みましょう。
このノートに名前と住所書いてね・・・』
気がつくとこの1日おばあちゃんはずっと笑顔で、ボランティアの活動写真も
自ら撮り始め最後はおばあちゃんの呼びかけで集合写真もみんなで撮りました。
うれしい・・・喜ばしい場面なのかもしれませんがおばあちゃんの笑顔と
周囲の光景が対照的でいたたまれないような、うれしさだけではない、
いろいろなおもいを感じている自分がいました。
「国や行政は何をしているんだろう」
ともおもったし、自分が風化をくい止められない無力感も感じました。
『せめて3年も待たずにおばあちゃんのお花畑が見たい。』
海を見ながら心の中で何度もそうつぶやいた1日でした。

帰りの高速で助手席にいたやまちゃんに今回の活動の感想を聞いてみました。
やまちゃんはいつも誰よりも黙々と身体を動かしそしていつも多くを語らない人です。
今回も、『やる気が出ました。また是非。』とのことでした。
今回出逢ったおばあちゃんのように、この地、このふるさとで住み、
生きようとする方がひとりでもいるのなら、そしてそこに瓦礫と泥が
残っているのなら、私は予定のない休日は、この地に足を運び、
瓦礫と泥を撤去し続けようとおもいます。

愚直なるままに (^-^)
どうか皆様これからもあたたかい見守りと活動へのご理解とご協力をよろしくお願い致します。

てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2012-06-03 10:30 | 活動報告など
やっさんです。

昨年の6月に石巻牡鹿でボランティア活動をしていた時に、東京の武蔵大学の
メディアプロジェクトで学生が伝える震災ボランティアを撮影・編集して
映像に残したいという事で、誠ちゃんと私がインタビューを受けました。
それをまとめた映像が新宿区のケーブルテレビと武蔵野市三鷹市の
ケーブルテレビで放映される事が決定したと、武蔵大学の松本教授より
連絡がありました。受信できる地域にお住まいの方はぜひご覧下さい。

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「ヒューマンシールド神戸『石巻での活動』

●ちょうど1年後の今年6月に東京の新宿区を放送エリアとする
東京ケーブルビジョンの新宿チャンネル(111ch)で、
1年前を振り返って6月11日の週に放送していただくことが決りました

【放送日時】
放送日:6/11(月)~6/17(日)
放送時間:各日の10:00~、14:00~、19:00~、21:00~
1日4回、7日間放送

●東京都の武蔵野市と三鷹市を放送エリアとするCATV局「JCN武蔵野三鷹」
のコミュニティチャンネル(地デジ11ch)でも、6月1日から15日までの
平日夜に放送されることになりました
月金が18:15から、火水木が19:30からです。
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by aoesupport | 2012-06-01 10:30 | 報道掲載記事