2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

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南相馬と石巻牡鹿半島大原活動報告

いつもいろいろありがとうございます。 てきやです。
読んで頂けたらうれしくありがたく思います。

『・・・今できることを・・・』

9月22日(土曜日)南相馬20キロ圏内小高区の民家の敷地内の草刈りを行った。
朝、ボラセンに着くと神奈川県内のゴルフ場で働くTさんと久しぶりに再会した。
震災直後から南相馬市を中心に活動を続けてきたTさん。
そのTさんが、リーダーとして前日から手掛けていた現場へ向かった。
住民の方には会えないまま5人のボラで草刈りを行った。
住民の方の依頼は敷地内の畑周辺の草刈りをとのことだったが午前中に終了し、
ボラ5人で相談し、家の周辺の、明らかに草と思われるものは刈らせて頂くことにした。

ボラセンの方針で、南相馬では立ち小便厳禁となっている。
今は荒野と化してしまっているが、住民感情への配慮と先祖代々からの大切な
土地という認識から。時には車を動かしてトイレへ向かう。
今回、リーダーTさんの案内の元、歩いて数分の民家の屋外にあるトイレを借りに
行った。(使用許可は取ってあるとのことだった。)
ちょうど、仮設住宅からご先祖のお墓参りにいらしていた女性がいた。
改めて、トイレの使用をお願いすると、
『全然使っていいけど、オシッコならそのへんでしていいのよ。電気と水道が
復活してないから、うちのトイレも流れなくてね。私も畑でしているの・・・』

てきやは、「早く除染作業が進み、電気、水道が復旧するといいですね。近所で
草刈りしてるので、何かお手伝いすることがあれば声を掛けて下さい。」と返した。
  『ここに来てくれてありがとう』 と言って頂いた。

・・・放射線量が下がったから立ち入りは許可する。それだけ通達して国や行政
はこのまま何もしないのか・・・ なぜこの地が置き去りにされてしまうのか・・・
(20キロ圏内で重機を使うと、他で使えなくなるので重機のレンタル会社も貸さないという。)

こういう土地こそ・・・ 眼下には、荒野と化した水田と壊れた家と放置された瓦礫が見えた。
今できることをやろうとおもった。
自然とエンジン付草刈り機や鎌を持つ手に力が入った。そして藪と化していた裏庭
へ突入した。気がつくと、5人で力を合わせて庭が復活していた。
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朝のミーティングでの松本ボラセンター長からの話である。
『行政は、「できない」という否定から入る。企業は儲かるかどうかで動く。儲からなければ
動かない。ボランティアは被災者のニーズを聴いて寄り添う。同苦、抜苦のおもいを胸に
今できることを、被災者のわがままをきいてあげて下さい。
できる人ができる時にできることをする。
復興のその日が来るまでボランティアは負けない、あきらめない。』
この日も松本センター長は熱く語っていた。

・・・今できることを・・・

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石巻牡鹿半島大原へ
9月28~30日 里香さんとイッチーと大原へ向かいました。てきやが気になっている
ことが一つあって、それは、阿部副区長さんの畑の中の小さな瓦礫撤去でした。
それをさせて頂こうと大原へ向かったのですが、大原へ向かう途中の金曜日の夜、
車中で大原の漁師の斎藤さんが心筋梗塞で突然亡くなられたことを知りました。
まだ小学生の娘さんが二人・・・6月にカキの種付けを手伝わせて頂き、
夏祭りでは、てきやのたこ焼きを『うまいっちゃ』と言ってくれた斎藤さん

土曜日は大原の方々のかなしみとお話しを聴かせて頂きました。
小形棟梁が『あんひとは大原のムードメーカーだったんだ』
と何度も語っていました。去年の震災直後の夏はお祭りができなくて、
その時、斎藤さんが『てきやさん 来年はたこ焼き焼いてくれっちゃ』
との声が何度もよみがえります。

震災がきっかけで出会った縁・・・「瓦礫が片付いたから少しずつ自分は
大原からフェイドアウトしていかなければ」そうおもっていた時期もありました。
今回 大原の方々のお話しを聴かせて頂いて、確かな心のつながりが
残っていたことを感じました。

終わりのないかかわりを実感できたことに感謝している自分がいます。
また大原に行こうとおもいます。
 
 てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2012-10-15 17:30 | 活動報告など
やっさんです。

てきやさんから電話連絡をもらい、誠ちゃんもブログに記事を書いております。
大原浜の三熊野神社氏子総代も務める斎藤松二郎さんが心筋梗塞で亡くなりました。
誠ちゃんが王貞治に似ている人とか、物真似していたから覚えている人も多いでしょう。
フィリピン人の奥様と二人の娘さんを残しての突然の死に、大原の住民の皆さんも
驚き動揺し、今後のことを考えると言葉もありません。
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地震がなければ、斉藤松二郎さんが死んだといっても、まったく知る事もなかった
だろうけど、地震で知り合った方々にもこうした事が訪れます。
最初に大原に入って活動した晩に、大原の役員さんや誠ちゃん・地方議員さんと
お話をする会がありました。その席で印象に残っているのは、斉藤さんが言った言葉です。
「今まで(昨年5月はじめの時点)、真っ暗闇の中でどうしようかと思っていた。
でも今日こうしてボランティアさんが来てくれて一本の光が見えたような気がする。」

何者かわからないような私たちでも、その活動が暗闇の中の光になるとすれば、
いっしょに続けて活動していけると思った瞬間でした。
その後は、サポートチームの仲間、他のボランティア団体の協力もあり、
やっと漁業復活も期待できる時だったのに、まさに無念です。

ただただ、ご冥福をお祈りいたします。
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by aoesupport | 2012-10-03 14:30 | せいちゃんレポート