2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

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2月11日に震災以来やっと行われた御柱祭の報告です。
一歩ずつ少しずつ、震災前の行事ができるようになってきております。

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『遠くにいる隣人』

2月の連休の11日に大原のお祭りに参加してきました。(^-^)
昨年は震災の影響でできなかったこともあり、大原の人たちの
いろいろなおもいがつまっていたお祭りでした。
御神木と太鼓と笛と獅子舞が乗った山車を引くお祭りです。
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準備から当日まで大原の人たちと共に、楽しくいい時間を過ごすことができました。
山車を引っ張る縄に紅白の布を巻いたり、棟梁にしごかれながら、
山車をヤスリで磨いたり、平さんの手料理、(牡蠣がすごくおいしかったです。)
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お祭り当日は、拍子木を持ち、進む・止まるを知らせる役をさせて頂き、
楽しかったです。お祭りが終わり、阿部副区長さんが包み込むような
笑顔で御神酒をてきやに下さって、じわじわっとうれしさがこみ上げてきました。
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ボランティアとは何かと最近よく考えている自分がいる。 
これまで、気がついたら、気持ちのままに、大原と南相馬に
足を運んでいる自分がいた。大原では心のつながりができ、
南相馬は理不尽に瓦礫が置き去りになっているので、
見過ごすことが自分はできない。
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だからこれからも、気持ちの赴くまま東北へ足を運ぶ。
いずれにしても「してあげる・してもらう」という季節は過ぎた感がある。
この活動とかかわりは生き方と人間性がダイレクトに問われていると感じる。
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今、頂いた心の恵みを強く感じている自分がいる。
てきやも41歳になり、精神・身体的にもガタがきている。
気持ちとは裏腹に、自分はいつまでこの活動を続けられるかなぁとおもう。
でもこの活動の中に、自分が生まれた意味とやりかたかったことと、
貫きたい生き方と望んでいたぬくもりとふれあいがそこにはある。
生まれて・・・お金持ちになること、出世することが、自分の人生のゴールではない。
遠くにいる隣人として、これからも東北の人たちと自分の個性を活かして
心と心のキャッチボールを続けていきたい。

精神・身体が続く限り         てきやこと清田 和男
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by aoesupport | 2013-02-20 22:30 | 活動報告など
やっさんです。
定期的に東日本被災地に向かっているてきやさんの今年最初の活動報告です。
寒さもきびしい時ですが、体に気をつけてやるべきことをやってください。
2月の連休は大原に帰るということです。
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冬の南相馬活動報告

「残心 福島をおもう I remember 福島」
よく南相馬のボラセンでお顔を見る人のブログに、このような文章が紹介されていた。

『ふくしまは負けない』
大地が揺れ、海が黒い壁になった「3.11」。
その日から「福島」は「フクシマ」になった。
アナウンサーが画面の中で繰り返す「フクシマ」は、どこかよその土地のよう。
不器用だけどあったかい、あの「福島」とは違っていた。
当たり前だと思っていた風景を、波が全てさらっていった。
家が消え、道が消え、家族も友も散り散りになった。
黙りこくった心に不安だけが押し寄せた。
だれもが心の中で叫び、泣いた。
だが、運命は本当のことも教えてくれた。
食べ物も痛みも人はわかちあえる。
見ず知らずの人のために、涙は頬を伝っていた。
人は人をおもってこそ人になれる。
そしてその涙は温かい。
生き残った者にできることは何だ。
離れた心をひとつにするためにするべきことは何だ。
顔を上げ、今を目に焼き付けよう。
手と手を結ぼう。
「福島」は負けない。
笑顔も、実りも、ふるさとも、必ず我が手に取り戻す。

――― 福島民報社 「福島は負けない」 より

雪をかぶった田んぼにはまだ瓦礫や壊れた車が置き去りにされている
南相馬市小高区での冬の活動報告です。

■12月15日16日  やまちゃん いっちー てきや
ボラセンのマッチングにより約10名のチームで魚屋さんだったお宅の
家財の整理・片付けのお手伝いを行った。
やさしいおばあちゃんがいた。 
微笑みながら何度も「ありがとう」と言いながらボランティアに
羊羹やリンゴやおにぎりをふるまってくれていた。
南相馬市の鹿島区の海は砂地の質がよく、いい魚が穫れていたという。
震災前にご家族で魚屋をされていたお話をうれしそうにお話しをされている
おばあちゃんの姿に、いたたまれなくなってしまったてきやは、
他のボランティアさんが話を聴いていてくれている様子を見ながらそっと席を外した。
外は人の気配のない壊れた家が並んでいた。
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人と人のぬくもりを感じながら、片付くべきものが片付いていく。
ふれあいとおばあちゃんの笑顔。 いい休日を過ごせたと感じた。
早め(14時過ぎ)にボラセンに戻ると、松本センター長の命により、
移動して、16時まで田んぼ脇の側溝の泥出しを行った。 
カエル、ザリガニ、フナ、ドジョウがいた。
白鳥の群れもいて鳴いていた。
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16日
日曜日の作業は憂鬱な面がある。 お昼までしかいられないから中途半端感が残る。
お昼で作業を切り上げても、自宅に着くのは通常21時位、仮に16時まで作業すると、
帰宅は深夜となる。次の日の仕事を考えると、長時間運転しての深夜の帰宅は
避けるべきだとおもう。この日はお昼まで畑の草刈りを行った。
草刈り機を握る手に力を込めた。


■1月19日20日 やまちゃん 勝沼さん てきや

やっと20キロ圏内大井・塚原地区対象の瓦礫の仮置き場ができた。
ずっと敷地内に放置せざるを得なかった瓦礫をやっと片付けることができる。
東京からきた7人のグループとチームを組み10人で庭の瓦礫の片付けを行った。
まだ新築6年の新しいお宅の農家をやっていたご主人とお話ししながらの作業だった。
1階部分も津波の被害にあい、敷地内にも大量の瓦礫が流れついていた。
リフォームは終えたが20キロ圏内のため、まだ住めない。今はお友達の紹介で、
家主さん家族は山形県に避難して空き家になっている南相馬市のお宅を借りて、
気を使いながら肩身の狭いおもいをしながら住んでいるという。
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そして敷地内に置いておくしかなかった瓦礫がずっと気になっていたという。
ボランティア10人でも1日では終わらず、翌日の日曜日の11時に作業が終わった。
今回はリーダーをさせて頂いたこともあり、ご主人とたくさんお話しすることができた。
「・・・この辺は線量もだいぶ下がった。いずれ住み慣れたこの土地と家で余生を送りたい。 
瓦礫を片付けてくれてありがとう。 希望が見えました。」と言って頂いた。
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今回も南相馬に来てよかった。そして まだ人の手と人の心で、
できることがたくさんあると田んぼに残る雪をかぶった瓦礫を見つめながらおもった。

■1月26日27日  いっちー だてっち てきや
26日 ボラセンのマッチングにより、約10人のチームで20キロ圏内の
お宅の敷地の木や竹の伐採と草刈り、また家財の整理・片付け作業を行った。
27日 松本センター長の命を受け、南相馬市鹿島区にある仮設住宅を訪問し、
ニーズ聞き取り調査を行った。
片付ける気力を喪失している方や放射能が高くて片付けに行きたくても
行けない方やいろいろなお話しを伺わせて頂いた。
多くの方がおっしゃっていたのは、「早く自分の地区にも仮置き場が設置され、
瓦礫を片付けたい」 という声だった。
概ね、ボランティアと名乗るとあたたかく接して下さり、お菓子をくれたり、
お茶をご馳走して下さったりしてくださる方もいて、心があたたまるひとときでもあった。

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しかし、田んぼの真ん中におびただしい数の仮設が立ち並び、寒風にさらされ、
主に老夫婦が暮らされている光景は、やはり胸が痛んだ。
放射能と震災で家族がバラバラになり、住み慣れた家と土地を追われ、
狭い仮設にたくさんの方々が住まわれている現状・・・
改めて「今自分ができることは? 自分が福島をどうおもっていくか?」
と自問自答を繰り返していた自分がいた。

そして1月23日のボラセンのブログで衝撃的な知らせがあった。
「南相馬ボランティア活動センターは活動資金不足のため
2月12日から4月30日まで活動を休止します(要約)」
 
これからやっと地区ごとに瓦礫の仮置き場ができていくであろう大事な時期。
ニーズが続く中でのボラセン休止。

いろいろおもうことはたくさんあるが、事実を受け止め、
5月を待たずに福島で今できることを探そうとおもう。
まだ人の手と人の心でできることはたくさんある。

残心  福島をおもう  I remember 福島 てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2013-02-03 23:30 | 活動報告など