2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport

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◆6月~7月 南相馬・山形県南陽市活動報告

 「次はまた福島へ」
○6月7日(土) てきや かっきー  南相馬 敷地内草刈り、竹の伐採

AOEのかっきーさんが同行を申し出てくれて二人で南相馬に向かった。
マッチングの後、東北エプソンのチームと合流し10数名のチームとなった。
敷地内の草刈りや竹の伐採を行った。藪が深く広く軽トラックも竹と草に
埋もれていた。この日も住民の方には会えなかった。
住めていた所に住めなくなることにいろいろなおもいが浮かんだ。
 
○7月12日(土)  てきや  敷地内草刈り、墓地の草刈り・竹の伐採

いつものようにマッチングを終えて平日から複数日活動されている
定年退職されていると思われる(シニアチームと呼ばれていた)
年輩の方々中心のチームに入った。
まずは、(いつものように)お宅の庭の草刈りとのことだった。
しかし現場には家は無く、津波の被害を受け、取り壊した更地に
草ぼうぼうの荒野が広がっていた。となりには津波で破壊された家が
そのまま残っていた。これが除染作業が進む中での20キロ圏内の
現実だった。もう3年以上月日は流れているが・・・
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午後は福島大学生10人が20キロ圏内の墓地の草刈りをやっている
ところのフォローに回った。大学生たちがお墓を一区画ずつ丹念に
草を刈ってくれていたが、山の斜面にある墓地のため隣接した墓地には
斜面の竹や草がおおいかぶさっていた。
そこをシニアチームが草刈り機やチェーンソーやノコギリで竹や草を切り、
ならしていった。自分は草刈り機を使える傾斜まで使い終わると
伸びきった太い竹をカンパから購入させていただいたノコギリで
斜面にしがみつきながら切った。

この日、印象に残る場面があった。

墓地の目の前のビニールハウスで農業を再開している夫婦を見た。
お話を聴きたかったが、挨拶をするのにとどまった。
「作った作物が売れるかな?」と心配になった。
夫婦は機械を使ってビニールハウスの土を耕していた。
20キロ圏内ではビニールハウスの解体の方が見慣れた光景だった。
土を耕す夫婦の後ろ姿から強さを感じとっている自分がいた。
信念を貫く先にはきっと道は開ける、そんなふうにもおもった。


○7月19日(土) 20日(日) 山形県南陽市 豪雨水害泥出し

19日 この三連休は2年連続で水害にあった山形県南陽市赤湯温泉へ向かった。
水害から10日が経ち各所で川が氾濫し、積み上げられた土嚢袋や合羽を着て
泥だしをしている住民の方の姿も見られた。被害が広範囲で数ヶ所に
わたっている様子が見て取れた。
ボラセンに着くと一緒に活動したことのある、南相馬の常連ボラさんが2人いて
一緒に活動することになり、被害の大きい漆山地区へ向かった。
出鼻をくじくかのような雨の中6人のチームで、あるお宅の庭の泥だしを行った。
となりのお宅は床上浸水で泥だらけの家財が別のボランティアさん達に
より運び出されていて痛々しかった。作業は無事に終了した。
家主さんの安堵の表情が見れて良かった。

印象的だったのは、地元の住民の方々や消防団の方々もボランティアとして
各お宅の泥だしをし、そこに団体ボラ、重機を扱えるボラ、個人ボラ、
コーディネートボラが加わり、社会福祉協議会、市役所のバックアップも加わり、
いい連携が取れているように思った。


夕方、赤湯温泉に浸かった。地域の計らいかボラセンで公衆浴場無料券がもらえた。
熱めだが泉質がよい。宿泊代を浮かすため大型スーパーの駐車場で車中泊する
こととして、併設してあったガストで夕食を取り、おいしいビールを飲み、
明日の作業への英気を養った。

20日 他の地区も気になったが、再び漆山地区へ向かった。
20数名の住民ボラに混ぜてもらい、庭が広いお宅の泥だしを行った。
残念ながら終わらなかったが、住民の方々と一緒に作業できたことは良かった。
差し入れでいただいたスイカときゅうりがおいしかった。
2日間の作業を終えて日帰り入浴をしたくてある旅館に行った。
千葉から来たボランティアであることを告げると無料でいいとのこと、
帰りは赤湯温泉ということで赤いタオルもお土産に頂いた。
「またきてね」という女将さんのことばがうれしく心に響いた。
振り返ると作業中からいろいろな人に気遣いを頂いた2日間だった。

自分も震災後からこのような活動をはじめたが、自然災害が
起きてしまった地域への支援と つながりの輪が広がっていくことを切に願う。


山形県南陽市で活動してみて改めて原発被害の福島県の問題の
大きさを実感している。水害だけなら人の手と心を集め泥出しをすれば
再び元の暮らしが戻る。でも、津波は人の命さえ奪い、
原発は、住めていた家と家族のつながりをも奪った。
福島は、南相馬はもっともっと人の手と心が必要なようにおもう。
 
次はまた福島へ てきやこと清田和男
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by aoesupport | 2014-08-06 23:00 | 活動報告など