2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport
やっさんです

3月11日を今年もむかえ、東日本大震災から4年がたちました。このブログも停滞し、私自身も何もしていないような状況ですが、てきやさんはきちんと自分にできる活動を続けてくれています。もはやボランティアが何かできるという状況では無いと考える方もいるとは思いますが、こうして毎月活動を続けている仲間がいることも心にとどめておきたいと思います。


◆12月~3月活動報告
「誰でもできることを私にしかできないというおもいをこめて」 今年も活動を続けます。

◎12月27日(土) 南相馬  ビニ-ルハウスの解体と竹の伐採
 
以前はビニ-ルハウスの解体には心理的な抵抗があった。放射能のため農業を続けられなくなったことの意味を考えてしまうから。 (ボランティア不足だから)いかに早く解体して次の現場へと思う自分に少し戸惑いを感じた。 慣れてはいけないこともある、考えなくてはいけないこともある、帰り道、年末の常磐道の高速を運転しながらそんなことをおもった。

◎1月17日(土) 南相馬  庭の整理(竹や木の粉砕、移動)  

前回のボランティアチ-ムが切り倒した竹や木を整理してほしいというのが家主さんの依頼だった。やはり家主さんがいると気持ちが入る。休憩のたびにコ-ヒ-やお菓子をいただいていろいろお話を伺った。 こたつで温めていた鯛焼きも頂いた。心もあったかくなった気がした。大人になり、知らないうちに甘いものが苦手になっていた。特にあんこは。 子供の頃亡くなった祖母がよくこたつでお弁当や鯛焼きを温めていてくれて、小学校が半日だった土曜日にそれを食べるのが楽しみだったことを思い出した。鯛焼きってこんなにおいしかったんだなって思った。自分は時間ギリギリまでもっと庭をきれいにしてあげたいと思ったが、午後は雪が降り出したこともあり14時30分頃家主さんから作業のストップがかかった。「他にも困っている人がたくさんいる中で、ここまでしてもらってうちは大丈夫 ありがとう。満足しました。」という言葉をいただいた。ぬくもりを感じた一日だった。

◎2月8日(日) 南相馬 ビニ-ルハウスの補修 草刈り

珍しく、解体ではなく、ビニ-ルハウスの補修・・・肥料の入った土が雨で流れないように囲う作業を家主さんと行った。家主さんによると除染はしてもらっているけれども、上流のダムの水が放射能で汚染されているため、農業の再開は難しいとのこと。「このハウスで稲の苗を育てていたんだ。・・・自分が生きているうちはもう農業はできない。でも気持ちだけでも何かしたくてね・・・でもひとりじゃあ気がめいっちゃって・・・今日ボランティアさんたちが来てくれてよかった。元気が出たよ・・・」と話されていた。たとえ稲の苗が植わらなかったとしても今日の作業の意味はあったとおもい、心がいっぱいになり、もう帰りたいとおもったが、ボランティア不足の折り、まだ14時、次の現場の応援に行かないと松本センタ-長に怒られる・・・という話になり、強い雨の中、次の現場へ向かい、草刈りを行った。 終わってみたら充実した一日だった。

◎2月11日(水)  石巻牡鹿半島大原  ご神木祭参加(てきや イッチ-)  

◎2月22日(日) 南相馬  竹の伐採 草刈り つばきの剪定 

作業指示書にはつばきの木の剪定とだけあった。慣れない手つきながら植木屋さんになったつもりでチョキチョキ剪定をしていたら家主さんが来た。「昨年9月に頼んでいてもう来てくれないかと思った。本当は、木や竹も切ってほしい」と話された。「・・・孫たちは新潟に家を買ってもうここには戻ってこない。先祖代々300年続いたこの家と土地が自分の代で終わってしまう・・・何も悪いことしたわけでもないのにくやしい・・・」 返す言葉もなくうなだれるしかない自分がいた。 心のどこかが痛い・・・  「住めないとわかっていても、先祖代々のこの地に住みたいと思うし、きれいにはしておきたいんだよね・・・」と家主さんは続けた。 せめて自分ができることをとおもい、のこぎりを持つ手に力を込めた。

◎3月8日(日) 南相馬  ボラセン移転準備(廃材の片づけ 棚の設置)

南相馬市社会福祉協議会よりボラセンの立ち退きを迫られ、その期限が3月いっぱいである。幸い地元の方で親切な人がいて、今のボラセンの近くの廃業した旅館の建物と敷地に移転できる運びとなり、整備が必要となっていた。 この日は松本センタ-長の命により、機材置き場への棚の設置と廃材の移動を依頼された。

 1月17日の朝礼での松本センタ-長の話が印象的だった。「人はどんな時にしあわせを感じるのか。周りの人や家族がよろこんでいるときもしあわせを感じるのではないでしょうか。小高(南相馬市小高区)の人がしあわせになれるようできることをできる人が行い、被災者の心のがれきも取り除いてあげてください。」 
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 南相馬のボラセンには年配のボランティアさんが多い。自分の父親の世代の人も多くいて、とても親切にしてくれる。 ずっと父親的なやさしさがほしいとおもい、自分もそれを身に着けたいとおもっている。自分らしさを活かした人とのかかわりと生き方をつかみたいとおもう。 自分の人生の課題と欲しいものがこの活動の中にはある。誰かの、何かの役に立ち、しあわせを感じつつ、人とのふれあいとかかわりをこれからも増やしていきたい。

今年も南相馬で竹や草を刈る。 誰でもできることだけど、今ここで私にしかできないという気持ちを持って。

てきやこと清田 和男
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# by aoesupport | 2015-03-16 00:30 | 活動報告など
サポートチームの皆様、やっさんです。

長野で起こった地震の支援活動のために現地入りしていた
誠ちゃんとその仲間たちのテクニカルサポートチームも
現地を解散し来年の春まで冬篭りにはいったようです。
誠ちゃんの活動はブログやfacebookなどでも確認できました。

その中で要請もありましたので、HS神戸サポートチームで
使い道を考えておりました皆様からの支援金を送金しました。

①古民家再生プロジェクトのために450,000円
誠ちゃんから前から要請のあったものでしたが、この年末に
活動を再開するにあたり、必要だと言う事でタイミングよく
送金することができました。

②長野地震の支援活動費として100,000円
こちらは、東日本大震災の支援金の使い道としては違いますが、
方向性としてHS神戸の活動をサポートするチームの支援金
ということで判断させてもらい、緊急措置で送金しました。
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この送金で、皆様から支援していただいた支援金は
ほぼ無くなりました。長い間、有効な活用方法が見出せずに
送金が遅れてしまったことをお詫びいたします。

てきやさんが活動報告として、このブログを利用してくれているので、
まだこのブログは継続させる予定です。
長野地震の記事なども載せればよかったのですが、
最近はSNSでの発信が多くなってきて、2重の発信も手間取ります。
それでも、たまに記事が更新されますので、皆様もたまにのぞきに来て下さい。
写真は先日の長野地震時に誠ちゃんに送ったマグネットステッカーです。
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# by aoesupport | 2014-12-14 03:00 | ありがとう!
少しあいだが空いてしまいましたが、てきやさんの活動報告です。
本人の言うように「まだ活動を続けています。」継続こそが力なりですね。

8月~11月 活動報告 『…いてくれてありがとう…』

ちょっと仕事が忙しく、活動報告は間があいてしまいましたが、
活動は続けています。ご一読頂けますとうれしくありがたく思います。

自分の中でずっと気に入っているフレーズがある。
神田橋條治先生の本の中のミルトン・エリクソンの言葉…
「私の言葉が、今後あなたのお友達の声として、いろいろな
人々の声として、そして風の音として、波の音として、
今後ずっと、あなたの中で響くでしょう。」
こういう声を届けられる人にはなれなかったけど、この活動を通して
こういう声に包まれている自分がいることに感謝している。

8月2日 南相馬 お宅周辺の竹、植木伐採、草刈り
8月9日 南相馬 お宅の庭の草刈り
9月27日 てきや、いっちー 竹や木の粉砕
10月18日 南相馬 内勤(ボランティアセンター内での事務、電話、被災者対応)
11月22日 南相馬 竹の伐採
11月22~24日 石巻牡鹿半島大原浜へ


◆8月2日の南相馬も印象的な一日だった。到着前から家主さんが
竹を伐採していた。久しぶりにご家族の方がいてくれての作業に気合いが入った。
住み慣れた家と土地をあきらめるかどうか悩んでいらっしゃるとのこと、
どちらにしても一度更地にするので植木も根元から切りたいとのこと。
紳士的な家主さんだった。
「怪我だけはして欲しくない。雷雨が来たら作業はは即やめて下さい。」
また、チェンソーはボランティアの怪我の危険があるので使わないで
欲しいとのことだったが、ボランティアが減少している折りもあり、
今日少しでも進めたいと思い、ボラセンから借りてきたチェンソーを
家主さんの了承を得て、使わせてもらった。
「こんなにはかどるとは 気が楽になりました。」 と言っていただき、自分もほっとした。
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◆10月18日の内勤ボラはこれで2度目となる。被災者の方が複数名訪れた。
松本センター長の対応を観察できた。(ボランティアが減少し、ニーズに追いつけないので)
「いつできるかわかりませんので、立ち会いはなしでお願いします。」と言いながら、
地図を広げながら、書類にどの木を伐るか等つぶさに見取図を描いていた。
これが現場に行っても家主さんがいない中での作業が多い理由だった。
水田だった所は荒野と化し、住んでいた所は、草と竹に覆われていく…
そして原発のせいで家族がバラバラになり、老夫婦が仮設住宅に残され、
住んでいた家と土地の草刈りや片付け等が滞っている現状に
やるせなさともどかしさを感じた。これからも無理のない範囲で活動を続けようと思った。

◆9月28日は震災の年に水害に見舞われたおばあちゃんがいる
福島県金山町に向かった。いろいろ用意されたり、数十分前から家の外で
待っていてくれたりするので、恐縮してしまうのであえて連絡はしなかった。
残念ながらおばあちゃんは留守だったけど、庭の畑が手入れされ、
野菜が育っていたので元気なんだと思った。
後日電話したらたまたま法事があり、外出していたとのこと、
「気に掛けてくれてありがとう。今度は会おうね。」という言葉に
包まれて心があたたかくなった。 こういうかかわりがずっと続きますように…
冒頭のミルトン・エリクソンの言葉が実感を伴って追いかけてくる。
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◆11月8日(土曜日)職場である王子福祉作業所の文化祭のようなお祭りで
復興支援コーナーを立ち上げ、釜石市の福祉作業所(2箇所)から
キムチや切り干し大根、カット干しシイタケを販売し、昨年(めかぶ汁)に引き続き、
石巻でお世話になった長沼商店のやっちんさんからめかぶを送ってもらい、
今年はめかぶ入りたこ焼きを焼いた。
大原行政区の石森区長さんに大漁旗を一枚貸していただきたいと
お願いしたところ6枚の大漁旗が届いた。
信頼をいただき、また石森区長さんの心遣いに感謝とよろこびを感じた。
そして大漁旗を背にめかぶ入りたこ焼きを焼けるしあわせを想った。
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◆11月22日、南相馬での竹の伐採作業の後、石巻牡鹿半島大原へ北上した。
21時に着くとめかぶを提供してくれたやっちんさんと高橋さんが
牡蠣と島豚のしゃぶしゃぶを用意して待っていてくれた。
朝は石森区長さん宅で朝ごはんをごちそうになり、小野寺さん宅にも
夕食に呼ばれたりしてたくさんもてなしてもらってしまった。
おがた棟梁と話す時間を作れないまま帰り際になってしまった。
「てきやさん 何でオラの所にもっと早く来なかったんだ…」と
最初は真顔で怒っていたので少し焦った。話しているうちに
いつもの棟梁に戻り、うれしそうに神社の鐘楼堂の完成を語っていた。
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棟梁の創った鐘楼堂は秋の空を背にして静かに美しく佇んでいた。
そして…「夏祭りにてきやさんにあげようと思って創ったんだ」と言って、
檜の作品をお土産にくれた。うれしすぎてフワフワした感じで、
実感が伴ったのは、自宅に着いてからだった。
誰かが自分の存在を認めてくれていて覚えてくれているよろこびと
しあわせを改めて想った。大原の人たちに出逢えてよかった。
大原の人たちがいてくれてよかった。 いてくれてありがとう。

この活動での出逢いとかかわりが、想い出として、生き方として、
友のことばとして、風の音、波の音として、響き、自分を包んでいく。
また次は南相馬へ  てきやこと清田和男
 
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# by aoesupport | 2014-12-14 02:43 | 活動報告など
◆6月~7月 南相馬・山形県南陽市活動報告

 「次はまた福島へ」
○6月7日(土) てきや かっきー  南相馬 敷地内草刈り、竹の伐採

AOEのかっきーさんが同行を申し出てくれて二人で南相馬に向かった。
マッチングの後、東北エプソンのチームと合流し10数名のチームとなった。
敷地内の草刈りや竹の伐採を行った。藪が深く広く軽トラックも竹と草に
埋もれていた。この日も住民の方には会えなかった。
住めていた所に住めなくなることにいろいろなおもいが浮かんだ。
 
○7月12日(土)  てきや  敷地内草刈り、墓地の草刈り・竹の伐採

いつものようにマッチングを終えて平日から複数日活動されている
定年退職されていると思われる(シニアチームと呼ばれていた)
年輩の方々中心のチームに入った。
まずは、(いつものように)お宅の庭の草刈りとのことだった。
しかし現場には家は無く、津波の被害を受け、取り壊した更地に
草ぼうぼうの荒野が広がっていた。となりには津波で破壊された家が
そのまま残っていた。これが除染作業が進む中での20キロ圏内の
現実だった。もう3年以上月日は流れているが・・・
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午後は福島大学生10人が20キロ圏内の墓地の草刈りをやっている
ところのフォローに回った。大学生たちがお墓を一区画ずつ丹念に
草を刈ってくれていたが、山の斜面にある墓地のため隣接した墓地には
斜面の竹や草がおおいかぶさっていた。
そこをシニアチームが草刈り機やチェーンソーやノコギリで竹や草を切り、
ならしていった。自分は草刈り機を使える傾斜まで使い終わると
伸びきった太い竹をカンパから購入させていただいたノコギリで
斜面にしがみつきながら切った。

この日、印象に残る場面があった。

墓地の目の前のビニールハウスで農業を再開している夫婦を見た。
お話を聴きたかったが、挨拶をするのにとどまった。
「作った作物が売れるかな?」と心配になった。
夫婦は機械を使ってビニールハウスの土を耕していた。
20キロ圏内ではビニールハウスの解体の方が見慣れた光景だった。
土を耕す夫婦の後ろ姿から強さを感じとっている自分がいた。
信念を貫く先にはきっと道は開ける、そんなふうにもおもった。


○7月19日(土) 20日(日) 山形県南陽市 豪雨水害泥出し

19日 この三連休は2年連続で水害にあった山形県南陽市赤湯温泉へ向かった。
水害から10日が経ち各所で川が氾濫し、積み上げられた土嚢袋や合羽を着て
泥だしをしている住民の方の姿も見られた。被害が広範囲で数ヶ所に
わたっている様子が見て取れた。
ボラセンに着くと一緒に活動したことのある、南相馬の常連ボラさんが2人いて
一緒に活動することになり、被害の大きい漆山地区へ向かった。
出鼻をくじくかのような雨の中6人のチームで、あるお宅の庭の泥だしを行った。
となりのお宅は床上浸水で泥だらけの家財が別のボランティアさん達に
より運び出されていて痛々しかった。作業は無事に終了した。
家主さんの安堵の表情が見れて良かった。

印象的だったのは、地元の住民の方々や消防団の方々もボランティアとして
各お宅の泥だしをし、そこに団体ボラ、重機を扱えるボラ、個人ボラ、
コーディネートボラが加わり、社会福祉協議会、市役所のバックアップも加わり、
いい連携が取れているように思った。


夕方、赤湯温泉に浸かった。地域の計らいかボラセンで公衆浴場無料券がもらえた。
熱めだが泉質がよい。宿泊代を浮かすため大型スーパーの駐車場で車中泊する
こととして、併設してあったガストで夕食を取り、おいしいビールを飲み、
明日の作業への英気を養った。

20日 他の地区も気になったが、再び漆山地区へ向かった。
20数名の住民ボラに混ぜてもらい、庭が広いお宅の泥だしを行った。
残念ながら終わらなかったが、住民の方々と一緒に作業できたことは良かった。
差し入れでいただいたスイカときゅうりがおいしかった。
2日間の作業を終えて日帰り入浴をしたくてある旅館に行った。
千葉から来たボランティアであることを告げると無料でいいとのこと、
帰りは赤湯温泉ということで赤いタオルもお土産に頂いた。
「またきてね」という女将さんのことばがうれしく心に響いた。
振り返ると作業中からいろいろな人に気遣いを頂いた2日間だった。

自分も震災後からこのような活動をはじめたが、自然災害が
起きてしまった地域への支援と つながりの輪が広がっていくことを切に願う。


山形県南陽市で活動してみて改めて原発被害の福島県の問題の
大きさを実感している。水害だけなら人の手と心を集め泥出しをすれば
再び元の暮らしが戻る。でも、津波は人の命さえ奪い、
原発は、住めていた家と家族のつながりをも奪った。
福島は、南相馬はもっともっと人の手と心が必要なようにおもう。
 
次はまた福島へ てきやこと清田和男
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# by aoesupport | 2014-08-06 23:00 | 活動報告など
3月~5月南相馬・石巻活動報告

「東北には学びたい人と会いたい人がいる。」
 
南相馬活動日程 
◆3月21日 てきや いっちー  敷地内の草刈り
◆4月12日 てきや 勝沼さん  ビニールハウスの解体
◆4月19日 てきや 内勤ボランティア
◆4月26日 てきや 住居に倒れる危険性のある、杉の木の伐採
              木こり隊補助 木の運搬等
◆5月17日 てきや  草刈り・植木剪定。

 自らの意志で南相馬に来るボランティアはどんな作業も嫌がらず、
今できること、やるべきことを自分で見つけながらきびきびと動いている。
ことばだけではない、その作業を行う背中と行動から自分も生き方を
学んでいる気がしている。ここには学びたい人がいる。
 
◆4月19日 松本ボラセンター長から内勤ボランティアをやるようにと
指示を受けた。内勤ボランティアとはボラセンにいて、受付や実務、
電話対応等を行う。松本センター長は忙しく現地を飛び回っているため
不在の時間帯も多く、時に被災者の方のニーズ受付対応も行う
大事なポジションである。実際に被災者の方が来所したり、
電話が掛かってきたりして緊張の連続だった。

◆5月17日 原発から20キロ圏内のお宅の庭の草刈りと剪定を行った。
草や木を刈ることはできても回収のメドは経っていない。(放射能が絡むから)
庭に置いておくしかないトン袋につめた草や木が増えていく・・・
高齢の足の不自由な家主さんだった。住めていた所に住めなくなり、
庭の伸びていく草と木、ずっと気になっていたんだろうなとおもった。
今は山梨に移住(避難?)しているという。家主さんが庭を見つめながら、
「原発にはひどい目にあった」つぶやいていた。

松本センター長の話ではボランティアも足りておらず、ニーズに
対応しきれていないという。家主さんは、「庭の草刈りをお願いしていたけど、
あと数日で山梨にもどらなくてはならない。いつやってくれるのか?」
とボラセンに問い合わせたら、やっと4人のボランティアが来たとのことだった。
その4人のボランティアは頑張ったが3年以上手がつけられなかった
広い庭は荒れ放題で草刈りはなんとか終了したが、
木の伐採と剪定は残念ながら終わらなかった。

てきやの心の中には、このような状況に置かれる被災者の方々が、
少しでも減り、心の負担が減りますように・・・
そんな祈りのようなもどかしいおもいが残った。 
やっぱりまた南相馬に行こうと強くおもった。
松本ボラセンター長の口癖の「できる人ができる時にできる事をする」
ということばがいつになく心に響く。南相馬には学びたい人がいる。


◆4月27、28日 石巻牡鹿半島大原 めかぶそぎ作業

26日に南相馬で活動したあとそのまま石巻へ向かった。
水温が上がる前にめかぶの収穫をということで浜はまだ忙しかった。
前回と同様に大原行政区石森区長さんのいとこの小渕浜の藤丸さんの
ところで2日間お手伝いをさせて頂いた。
区長さんも毎日午前中は手伝いに行っているとのことだった。 
改めてこれからも漁業の手伝いもしていきたいとおもった。
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今回、おがた棟梁の還暦を小西兄貴と祝った。
棟梁は涙ぐみながらよろこんでくれた。しあわせを感じるとてもいい時間だった。

平さんが家を建てる話を真剣に話してくれたり、石森区長さんが
家に呼んでくれて食事をごちそうしてくれたり、
小野寺さんとお酒が飲めたり、とてもありがたいつながりがあった。
その一方で、会えなかった人もいた。薄れていくつながり。

「人は他者への一定の気遣いを共有することは前提であり、大切なことである。」
というおもいをてきやは敢えて曲げず、清濁併せ呑むことができなかった。
でも今の自分はそれでいいとおもっている。
「うまく関われなかった、できなかった」ということよりも
「感じられない」ことの方が人として恥ずかしいこととおもっている。

自分なりに人として感じられる人でいたい。
自分のおもいも大切にしなければ、人のおもいも大切にすることはできない。
自分の人間理解と表現もまだ至らないところもある。
それらを真摯に受け止めて自分自身と向き合っていきたいとおもう。

・・・そして・・・おがた棟梁は約束通り木でできた照明器具を作ってくれていた。
・・・自分の働いたお金で買う一生の宝物・・・

「てきやさんの顔を思い浮かべながら作ったよ」という棟梁の笑顔がまぶしかった。
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今、自分の部屋にはそれがあり、時々やさしく灯っているのを
いろいろなおもいで眺めている自分がいる。

こんなに豊かな時をありがとう。

南相馬には学びたい人が、石巻には会いたい人がいる。

またこれからも東北へ (^-^) てきやこと清田 和男
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# by aoesupport | 2014-05-25 23:30 | 活動報告など
3月の石巻牡鹿半島活動報告

「薄れていくつながりと深まるつながり」
◆この時期は、ワカメ・めかぶ漁が忙しい。
3月21日に大原入りする予定であったが大原行政区の石森区長さんから
電話をいただき、仙台では雪も降った悪天候で、21日は船を出せないので、
ワカメの作業はないとのこと、いっちーと東北道での車中で相談し、
南相馬へ向かうこととし、いつものようにボラセンでマッチングを経た
チームで草刈りを行った。その後南相馬から石巻へ向かった。
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◆22日と23日のお昼まで石森区長さんの親戚の小淵浜(大原の近くの浜)の
藤丸さんのところでめかぶの実を茎から削ぐ作業とワカメの検品、箱詰め
作業をさせて頂いた。めかぶの作業は何度かやったこともあり、
フォークみたいな道具でサクサク削げて簡単で気持ちがよかったが
ワカメの検品、箱詰め作業は、自分が選別したワカメがそのまま市場に
行ってしまうので超緊張した。まさに社会勉強という感じで
いい体験をさせて頂いたし、何より土地の人に親切に教えてもらいながら
一緒に作業できたことがうれしかった。
 そしてもう一つうれしかったことは今回は以前より活気があるように感じた。
まだまだいろいろ問題はあるんだろうけど、漁業を通しての
土地の人の確かな生活というか営みが戻りつつあると雰囲気から感じた。

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◆夜はおがた棟梁と再会した。
作業場には鐘突き堂の骨組みが出来上がっていた。
ワカメの作業が終わったら大原の人たちで基礎工事を行うのだという。
てきやさん ブログに紹介してけろ(^-^)」棟梁の笑顔に自分もうれしくなった。
そして棟梁は木を組み合わせた照明器具も作っていた。
家族の団欒がおもい浮かぶオレンジ色のやさしいあたたかさを感じる光だった。
「棟梁、てきやもこれほしいです。」と注文して棟梁も笑顔で受けてくれた。
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瓦礫を撤去するボランティアの一人としておがた棟梁と出会った。
てきやが作業していると棟梁はいつもやさしいことばをかけてくれた。
いつしかいろいろな話しやかかわりができるようになった。
そして今回、自分が働いたお金で棟梁が仕事をした物を買うことができる
よろこびをおもった。きっと大切な一生の思い出と宝物になる買い物となる。

震災が起きてみんなたぶん無意識に我慢しつつ協力しあってきた。
時が経つにつれてその我慢の反動もあってか、失ったものが大きいなかで
それぞれがそれぞれの生活へ戻っていく過程で人の世の常である、
諍いやすれ違いもあった。

てきやもボランティアとして、大原の人たちに迷惑をかけず、
いかに役に立つ存在でいられるかをおもってきた。
もちろん今もそれは基本姿勢にしている。
しかし、最近はてきやも自分の中のいろいろな感情が
大原の人たちを前にしても表に出てくるようになった。
自分が納得いかないことに真摯に向き合う必要も感じている。
もうボランティアではなく清田和男としてどう物事に対処し、
どう人とかかわっていくかを今、自分で自分に問いかけている。
そしてこの局面も学びと成長のチャンスとして受け止めていきたいと
おもっている。人が人を大切におもう時のその表現の幅の広さと深さを
今いただいている心遣いへの感謝と共におもう。
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今回、薄れていくつながりと深まるつながりのふたつをおもった。
これからも大原へ漁業や神社の手伝いに行き、
大原にいる会いたい人に会いに行きたい。

てきやこと清田 和男
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# by aoesupport | 2014-04-16 22:30 | 活動報告など
南相馬活動報告1月~3月 「まだ何も終わっていない」

今年は南相馬に多く行こうとおもっています。
活動のご支援とご理解を引き続きよろしくお願い致します。

●1月18日(土) てきや 畑だったところの木の伐採
 少し出遅れたが今年初めての活動。畑だったところの木を桜の木以外は
切り倒して欲しいとのこと。作業開始前、高齢の所有者さんが挨拶に見えた。
「原発事故以来家族が4箇所にバラバラに・・・」
福島で何度となく聞くことば・・・心のどこかが針で刺されたような痛みが走る。
「今自分ができることは木を切ること」とおもった。のこぎりを持つ手に力が入る。
カンパで買わせて頂いたのこぎりがよく切れる。ありがたい。
時間が経つのが早かった。何度も一緒に活動したやまのうちリーダーが
「もっとコンパクトにしてあげたい」と言いながら、ひたすら枝を切っていた。
まぶしい背中だった。

●2月8日(土) てきや  庭の木の剪定
 東京でも大雪が降った日だった。
きれいなマイホーム、子供用の自転車やおもちゃが庭に転がっていた
。ここに子供のいる家族が住んでいたことは明らかだった。
依頼は庭の植木の剪定だった。雪がどんどん積もっていった。
切った枝が雪に隠れていく。頭が重いと思ったら巻いていた手ぬぐいが凍っていた。
そんなことより、ここに住んでいた家族はどこへ行ったのだろうか?
この日も住民に会えなかった。
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●2月22日(土) てきや、いっちー  ビニールハウスの解体
 南相馬でよくある解体・・・意味と価値と人の顔が見えないとやる気が
起こらない自分がいる。よくある、身体は動いていても、心のエンジンは
掛からない。この日もそうだった。ビニールハウスを解体した後の
イメージが持てない。何のために、自分は南相馬に来ているのか・・・
いつもの自問自答が続く。そんなてきやをよそに、ボランティアの人たちは
ひたすら目の前のできることをやっている。いつもはっと我にかえる。
後半やっと作業に集中できる。リーダーが今日は手がつけられないだろうと
言っていた藪の中へいっちーが突っ込んで行った。
気がつくと予想以上の早さと丁寧さで作業が終わっていた。
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●3月8日(土) てきや、勝沼さん
ビニールハウス解体後に残された鉄パイプの撤去と回収

 ビニールハウスを守るため設置されていた暴風ネットを支えていた
太い鉄パイプの柱が残されていた。それは地中深く埋まっていて
抜くには手ごわい相手だ。この日も住民の顔が見えない地味な作業だなと思った。
穴を掘り、てこの原理を使い、共同作業で引き抜いていく。
ボランティアという名の大人たちが子供のような顔をして鉄パイプを取り囲む。
不思議な時間だった。

●3月15日(土) てきや 家具の移動、ビニールハウスの解体
 最初、あるお宅に伺い、2階のタンスや棚を1階へ降ろす作業をさせて頂いた。
「本当は処分したいんですけど市役所に問い合わせたら回収してないというので・・・」
と住民の方は言う。インフラ整備、除染作業も始まってはいるが、
仮置き場も不足していてまだまだすべてが追いついていない印象を受ける。
ボランティアセンターに戻るとビニールハウスの解体に合流することになった。
ここでも皆重労働を黙々とこなしている。
ここにボラに来る人の背中はやさしくて、強くてあたたかいと感じた。

常磐道が終点の富岡まで開通し原発の脇を走る国道6 号の通行許可証が
ボラセン経由で手に入れることができた。場所により線量の高い所があるとのこと、
少しの覚悟がいったが、これにより自宅から4時間で南相馬入りができるようになった。
(これまでの東北道→二本松経由だと6時間)
高速代とガソリン代で一万何千円掛かるが、それに目をつむれば、
日帰りが可能となり、南相馬入りの回数を増やすことができる。
ビニールハウスの解体や草刈り、使えなくなってしまった家具の取り壊し、
木や竹林の伐採等、プライオリティは低いの かもしれない。
でも自分の人生の中で誰かの、何かの役に立つ、立てる時を刻めることへの
よろこびと感謝と恵みを今、はっきりと感じている。
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話しを戻すと、原発の脇の6号線、至るところに柵やバリケードがあり、
柵は民家にも及び、広範囲でゴーストタウンが続いている。
「こんなに広い地域が住めなくなり、家族がバラバラになったんだ」と思い知る。

自分はこの3年間、この活動に対して「まだ終われない」とつぶやいてきた。
でもそれは単なる主観だった。
終われないのではなくて、終わっていなかったんだ。 これがたぶん客観である。
特に原発事故から3年・・・まだ何も終わっていない。

だから今年は南相馬に多く行きたい。
てきやこと清田和男
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# by aoesupport | 2014-03-25 23:00 | 活動報告など

東日本大震災から3年

サポートチームの皆様、

テレビでは明日の震災から3年を迎える日にあわせて、特集番組などが放送されています。

新聞でも久しぶりに被災者という言葉を目にしたような気がします。

私自身、東北に行かなくなって2年以上がたち、いまさら何ができるのかとも

考えてしまいますが、何をすべきかを考えるのが確かに難しい状況になっております。

仮設住宅は本来は3年くらいの時限措置で作られているプレハブですが、

その入居率が8割を超えているという状況を考えると、どこに行く当ても無いという人が

たくさんいすぎて、その人たちはプレハブに住み続けるしかないのでしょう。

仮設住宅の解消が復興の指針となるはずの被災地ですが、今回の地震は

それが当てはまりません。そんな中で何かできることがあるでしょうか?

サポートチームの皆様から、チームの活動資金として集めた義援金が

残っております。集計をしてお金の出入りをきちんと報告しなければいけないのですが、

なかなか、時間がとれずに3年を迎えてしまいました。

先日、誠ちゃんを含めて集まった時にも、この話が出たのですが、

誠ちゃんからは、石巻牡鹿半島での古民家再生IBUKIプロジェクト

使ってほしいという要望を誠ちゃんからいただきました。

私自身、皆さんの思いのこもったお金をどうすればよいか迷っているところも

ありますが、この場を借りて、この使い道を報告させていただき、何か意見などが

ありましたら、それもいただきたいと考えております。

4月くらいまで時間をおいて、意見の調整がとれましたら、誠ちゃんの要望にあわせて

お金を使いたいと思っております。皆様からの意見もお待ちしております。

やっさん
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# by aoesupport | 2014-03-10 21:30 | 活動報告など
今年もよろしくお願い致します。(^-^)

11月~12月のてきやの活動報告 『人間に戻れる時間をありがとう』

11月24日(日) 南相馬にてビニールハウスの解体

この日は10人位のチームでビニールハウスの解体を行った。広大な土地に
大きなビニールハウスが7~8つ広がっていた。花の苗を育てていたらしいが、
放射能の影響でもう再開できないらしくすべて解体・撤去するとのこと。
この日は10人がかりでビニールハウス一つ しか解体できなかった。

南相馬でよく遭遇する、作るのではなく、壊す、捨てる作業に属するもの。
複雑なおもいを抱えながら身体を動かした。風化と無関心のなかで
片付けられないまま放置されるよりは、心を持った人の手で解体する方が
意味があるとおもった。南相馬社会福祉協議会の門馬会長の
「ふるさとを廃墟で終わらせたくない」ということばが追いかけてくる。
また南相馬に来ようと改めておもった。


25日(月) 福島県金山町のおばあちゃんと再会 

南相馬から新潟・福島集中豪雨の際、畑の泥だしをさせて頂いた金山町へ
向かった。会津の先の新潟県との境目にある町でもう雪があった。
このおばあちゃんのところへは年に1~2回訪ねるようにしている。
行くと喜んでくれるのでとてもありがたい。

お気を遣わせてしまうので、あえて突然訪ねるようにしている。
おばあちゃんの元気なお顔を見るだけでホッとする。
(でもいつももてなされてしまう。) 10月に伺った際は、旅行中で留守だった。
旅行に行けるのは元気な証拠と安心し、近所の方に手みやげを預けて失礼した。
後日おばあちゃんから電話を頂き、「今度来る時は電話ちょうだい」
と言われてしまった。そういういきさつから再会すると、おばあちゃんは、
畑で取れた野菜で煮物や漬け物を用意してくださっていた。
すごくおいしかった。いろんな話しをした。」
おばあちゃんは、「ラーメンはチャルメラがいちばんうまいんだ」と言っていた。
確かにこの日ご馳走になったチャルメラはとてもおいしかった。 
そしてぬくもりを感じた。今度来た時は雪かきや草刈りをしてあげたいとおもった。

30日(土) 石巻牡鹿半島大原にて神社の奥の院手前の石垣作りのお手伝い

イギリスから来たボランティアのキャロラインさんがイギリスでスポンサーを
みつけてくれて地震で壊れた神社の鐘突き堂の再建が決まり、
神社の修復が動きはじめていた。先着していたいっちーと合流し、
この日は石巻市内から来た石材業者さんと大原の人たちと共に
奥の院の石垣を積み上げる作業のお手伝いを行った。
こういう神社の再建に携われることに感謝とよろこびを感じると共に、
大原の人たちと心を通わせながらの作業はいつもながらすごく楽しかった。
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3月下旬から忙しくなるめかぶ・ワカメ漁のお手伝いと、4月以降
おがた棟梁が行う鐘突き堂の再建のお手伝いには、絶対行こうと思っている。

12月1日(日) 帰る前におがた棟梁の作業場に挨拶に行ったら、
「てきやさん大工仕事手伝ってけろ」と言われてしまい、全身に緊張が走った。
(「しくじったらどうしよう・・・」)教わったのは、太くて長い角材のカンナを
使っての面取りだった。均一に角を削るのは難しい・・・
仕事になると鬼になる棟梁にいつ怒られるか・・・寒いのに冷や汗が流れた。
棟梁はニコニコしながら、「てきやさんもこれで大工だな。てきやさんも
おらの弟子っこだなや。 あんたは何をやるにも一生懸命だな。」と笑っていた。
やっとカンナを手放すことができて緊張がほぐれた。
棟梁が、「これらは鐘突き堂に使う木だ。ウソは人の心に響かない。
事実が大事なんだ。てきやさんも何十年後に大原に来て、
これは俺が作った鐘突き堂だって胸を張って言えるっちゃなぁ」とまた笑っていた。
あとになって棟梁のやさしさがじんわり伝わってとてもしあわせな気分になった。


12月14日(土) 大原の高橋さんの実家(築館)周辺の草刈り

この日はいっちーと南相馬に行く予定だった。
しかし、いつもお世話になっている石巻の大原の高橋さんから要請があった。
「実家の土地に草が生えて近隣から苦情がきてしまっている。
草刈りを手伝ってほしい。」とのことで宮城県築館方面へ向かった。
以前何度か地震で壊れた実家の取り壊しのための片付けのお手伝いを
させて頂いた場所。深夜からの雪が積もる実家があった土地は
更地の上に背の高い草が生い茂っていた。
実家の土地の前の広い敷地(田んぼだったとのこと) を優先でやるとのことだった。
高橋さんのいとこの方も応援に来てくれて4人になった。
確かに一人~2人では広すぎて大変だと思った。作業は無事に終了した。
夜は築館のビジネスホテルに泊まり、高橋さんといっちーと美味しいお酒を飲んだ。

時々活動を続けていることについて人から問われることがある。
活動を続けている理由について「人間(人)に戻れる大切な時間を頂けるから」
と答えている自分がいる。もちろん日常も仕事も大切にしている。
ただ時に自分のエゴや立場や役割やしがらみが時に自分の心を曇らせる。

南相馬のかなしい風景やこの活動で出逢った人とのかかわりは、
自分の心にダイレクトに染み込み、心に響いてくる。
今の日常の自分とも真摯に向き合いながら
「人間(人)に戻れる時間をありがとう。」
そんな気持ちで今年も活動を続けていきます。

てきやこと清田和男
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# by aoesupport | 2014-01-07 21:30 | 活動報告など
きちんと毎月活動を続けているてきやさんの報告です。
石巻の人の言葉には、はっとさせられます。
私達はやれる事を全てやったのでしょうか? やっさん

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てきやです。最近、すぐに活動報告が書けなくなりました。
南相馬も石巻もひとつの出逢い、かかわり、
現場に震災以降の重たい時の流れを感じます。
そのことを感じ、受け止めるまでなかなかことばにできない自分がいます。

笑顔ひとつ、かなしみひとつ、憂いひとつ、風景ひとつが、
時の重さを伴って私の心に響いてきます。
今後も活動を続けていきますのでご理解・ご協力をよろしくお願い致します。

10月~11月の活動報告 

『 同じ時代に 』

◆10月12(土)13日(日) 
石巻牡鹿半島谷川洞福寺
貯水タンクと水源の沢の清掃(てきや いっちー)

おがた棟梁経由で和尚さんからお願いをされていた
「てきやさん達にやってほしい作業」を果たすために今回この時間を作った。
まずは棟梁の作業場へ挨拶に行ったところ、和尚さんもいた。
和尚さんは法事に向かわれるところで、戻られたら作業に合流されるとのこと。
ずっとできなかった貯水タンクの清掃を行いたいとのこと。

本堂の再建の前に終わらせておきたいとのことだった。
おがた棟梁が笑顔で「地味な作業だけどみんなが使う水場だから」との声も聞き、
作業に取りかかった。まず最上流の沢の整備から行った。
地味だけどいい休日を過ごしていると感じた。
午後に和尚さんも合流し、貯水タンクの掃除を始めた。和尚さんの表情が
明るいことによろこびを感じた。途中おがた棟梁も応援に来た。
貯水タンク清掃終了後は沢の整備と手洗い場の清掃もさせて頂いた。

来年の3 月から本堂の再建工事と高台移転工事が始まるとのこと。
お寺の近くの浜の漁業の道具や建物も増えてきている。
少しずつ変化していく風景と和尚さんの安堵の表情も重なり、
自分も少しの安堵感を覚えた。復興への道のりは遠いがまた来たいとおもった。

作業を離れるといつものように大原の方々がもてなしてくれた。
ある石巻の方からこんな話を聞いた。
「・・・ボランティアさんが来なくなってしまってさみしい。
家も流されてボランティアさんが来てくれていたことが救いだった。
だから今も来てくれるボランティアさんは、どんな人でも
無理をしてでもオラはもてなす・・・」

最近震災以降からの時の流れが重たく感じる時がある。

帰りの車中、この話を思い出しながらいっちーに語りかけた。
「やっぱりもてなされるのが当たり前とおもったらいけないよね」
いっちーが、「僕は仲間でいたいです」
仲間・・・そうだとおもいつつ、自分は節度を持ったボランティアでもありたいとおもった。
立場とおもいと個性が違うから人は時にすれ違ってしまう。
同じ時代に出逢えた人として・・・無理をしてでも・・・・
そういう人のおもいを感じ、節度を持ってかかわっていきたいとおもった。

◆10月19日(土)
南相馬 20キロ圏内のお宅の草刈り(てきや 勝沼さん)
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20キロ圏内のお墓に骨をうずめると決めている方の
お宅の庭の草刈りをさせて頂いた。 藪が深い・・・
いつものように組まれたチームで力を合わせた。
一通りきれいな庭になった午後鹿島区の仮設から
駆けつけた家主さんの安堵の表情を見て自分もほっとした。
まだ住もうとしている方々がいる。「早く除染をしてほしい」と強くおもった。

◆11月9日(土)
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職場(王子福祉作業所)のお祭りで、石巻牡鹿半島大原で、出逢い、
お世話になっているやっちんからめかぶを提供して頂き
めかぶ汁の販売をさせて頂いた。自分のおもいが一つ形になった時だった。
職場の人たちの理解と協力にも感謝している。

同じ時代に生き、出逢えた人とのかかわりとつながりに感謝しつつ、
これからも活動を続けていきたい。   てきや
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# by aoesupport | 2013-11-25 21:50 | 活動報告など