2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport
やっさんです。

こちらのブログは東日本大震災に関するサポートチームのブログですが、
我々サポートチームの母体でもある、AOEが活動していたフィリピンでの
今回の台風災害においても、記事を掲載させていただきます。

各マスコミの報道により、ご存知の方も多いとは思いますが、
11月はじめにフィリピン中部を中心に、記録的大きさの台風30号
による水害・風害被害がおき、多くの方が亡くなられいまだ避難している
方も大勢いらっしゃいます。謹んでご冥福をお祈りいたします。

各地でこの未曾有の災害に対して、支援の活動がひろがっていますが、
吉村誠司さんが、19日にフィリピンマニラにはいり、現地入りする予定が
決まりましたので、こちらのブログをご覧の方で吉村さんの活動への
支援をお考えの方は、参考にしていただけたらと思います。

以下、吉村さんのブログから転載===============

80年代学生時代より通い続けているフィリピン中部を巨大台風が
通過した。知り合いの司祭宅も被災し、レイテ島の司祭宅は
跡形も無く飛ばされ、司祭は今も行方不明である。

レイテ島の二つ隣りのパナイ島ホームステイ先は、なんとか無事
だったが、北部では9割近く被災しているという。
現地に入り支援したい思いは村人も同じなので、
今、村で竹を切り出して簡易住宅作りの材料を集めている。
それを購入し、マニラや無事な都市から運んだシートを活用して
居住空間を創る「バンブープロジェクト」を開始します。


私は、19日にマニラに入り依頼している日系企業で働く仲間より
ブルーシートを調達し、トラックで現地入りする準備を開始。
ちょうど、ビサヤ諸島の司祭達が打ち合わせと資材購入での
マニラ入りもあり、一緒に現地入りする。
報道はレイテ島が多いが、広域での被災地があることお伝えしたい・・・
どうか、現地への思いを託していただければ幸いです・・・

ゆうちょ銀行 口座 00980−7−264796
「ヒューマンシールド神戸」
通信欄に「バンブープロジェクト」と明記ください。

三菱東京UFJ銀行 明石支店 普通4576874
「ヒューマンシールドコウベ」

また、現地への渡航費や国際電話など事務局費も募集中です!
 
========================吉村誠司

東日本大震災の時に、フィリピンの小さな村の教会でも、
日曜日のミサの時にどれだけの祈りがささげられたことでしょう。
起きてしまった自然災害に苦しむ人々へ、皆さんの力が必要です。
[PR]
# by aoesupport | 2013-11-17 14:00 | 活動支援金のお願い
 『続くおもいと縁』
■6月28日29日 南相馬
  28日 神社周辺の竹林の伐採と草刈り・ 29日木の運搬(お昼まで)
6月28日(土) 勝沼さんとやまちゃんが同行してくれて、いつものようにに南相馬
のボラセンへ。神社周辺の竹林の伐採と草刈りとのこと。
しかし初めは竹林に覆われて神社は見えなかった。周囲には昔のお侍さんのお墓も
あるという。約10人で、チェーンソーやノコギリで目の前の竹を切り倒していった。
みんなの力が合わさって、お昼には小さな神社が姿を現した。
引き続きお侍さんのお墓に時々手を合わせながら竹を伐採し、草を刈った。
b0213209_16505464.jpg

29日は、和歌山の水害でも一緒に活動したあかつきの高田さんがチェーンソーで切
り倒した杉の木の運搬をした。津波を浴びてしまった杉が立ち枯れていて、いつ住
宅の方に倒れるかわからないので切り倒す必要があるとのことだった。

■7月13日14日
 石巻牡鹿半島大原 夏祭り準備手伝い
b0213209_16513249.jpg

お祭りの当日は別の外せないボランティアがあったので、
やまちゃんと一緒にお祭り準備をさせて頂いた。
13日は、神社に飾る絵馬をきれいにする作業を、
14日は大原の人たちと一緒に神社
の整備を行った。 大原の人たちと共に行う作業はいつも楽しい。
合間には、小野寺さんがジャガイモ掘りに連れて行ってくれたり、
いつものように大原行政区の区長さんや平さんや高橋さんが
もてなして下さった。今回も思い出になる、ありがたく、楽しい連休だった。

そして8月もいっちーと一緒に南相馬に行けるはずだった。
8月初旬、左目の見え方に違和感があり、通院したところ、成熟(重度)の白内障と
診断され、入院、手術の運びとなった。
術後も炎症がなかなか治まらず、8月の南相馬行きは断念した。

■9月15日 南相馬
 お宅周辺の草刈り

やっと南相馬へ行ける・・・台風の接近を知りつつも、心の中では、こうして再び、
微力ながら誰かの、何かの役に立てるよろこびをかみしめながら車を走らせた。
雨でも1時間でも作業ができれば、それは意味があることと感じていた。
やはり台風の影響で朝から雨だった。小高区の20キロ圏内のお宅の庭の草刈りの
リーダーをさせて頂いた。マッチングで東京から来たという大学3年生の若者3人と
チームを組んだ。就職活動で忙しくなる前に被災地を見ておきたかったという。
しっかりした若者たちだった。お宅に着くと雨の中で白い花が一輪美しく咲いていた。
b0213209_16523329.jpg

家主さんに会えなくて残念だった。
若者たちに草刈り機の操作を教えて、後半は4人で鎌を使っての仕上げの草刈りを
行った。また、若者たちは真剣に質問も投げかけて来た。
「瓦礫がまだ残っているのは何故ですか。」
「住民の方は今どんな状況ですか。」
仮置き場すら今なお充分にできていない・・・自分なりにいろいろわかる範囲で答えた。
b0213209_1653988.jpg

この国は行政が弱い・・・・・

でも雨の中、四つん這いになり、鎌を握る若者たちに救いと希望も感じた。
雨をしのぐ場所もなかったのでお昼はボラセンに戻った。雨足が強まり、
豪雨となり、13時を回ってもそれが続いた。
空を見上げ、松本ボラセンター長が午後の活動の中止を発表した。
「就職が決まったらまた来ます。清田さんいろいろ教えて下さい」
「是非また一緒に活動しよう!(^-^)!」
そんなやりとりをしながら若者たちを見送った。
片付けをしていたら14時頃に雨がやんだ。「これならまだ作業できる」と
常連ボラさんは午前の持ち場に戻っていった。
自分も戻って草刈りの仕上げを行った。ひとりではさびしさを感じ、
長くは作業できなかった。自分のメンタルの弱さを恥ずかしくおもった。
b0213209_16534325.jpg
 
石巻牡鹿半島大原のおがた棟梁より、津波で本堂を流されてしまった谷川の洞福寺
の和尚さんが、お寺の再建へ向けて動き出していて、てきやと一緒に作業をしたいと
おっしゃっているという。
うれしくありがたいご縁と感じている。10月の3連休に行く予定を立てている。

続くおもい、そしてご縁に感謝しつつこれからも東北へ向かいたい。清田 和男(てきや)
[PR]
# by aoesupport | 2013-09-26 22:30
やっさんです。ご無沙汰しております。
日本列島各地で自然災害の猛威にさらされております。
皆様のところは大丈夫でしょうか?
埼玉をおそった竜巻は、私のさいたま市とは少し離れていましたが、
その前に降った雨と吹いた風はものすごかったです。一歩間違えればですね。

そんな折に、せいちゃんとてきやさんから同時にお知らせが届きました。
忘れないためのコンサートと誠ちゃん講演会がいっしょに行われます。
何を忘れないようにするの?なんて声も聞こえてくるのが
時の流れというものだとしても、やはり忘れてはいけません。

詳細は以下のちらしをご覧下さい。
b0213209_2339485.jpg

[PR]
# by aoesupport | 2013-09-04 23:30 | 活動報告など
『福島を置き去りにはしないという志を大切に』

◆4月20日(土) てきや 勝沼さん
午前 家財道具の片付け・・・午後 庭と畑の草刈り
b0213209_10303848.jpg

4月20日 松本ボラセンター長が家主さんから家の鍵を預かっていた。
(家主さんが貴重品は回収したので)、すべての家財道具を処分し、
トン袋に詰めて欲しいとのこと。
20キロ圏内・・・もう住まない、住めない・・・ということか・・・家主さんは今・・・? 
そんなことを考えながら作業をはじめた。まだ使える家具、鍋、食器、衣類、布団・・・
家にあるものをすべて外へ出していき、最後に布団と衣類が残った。
まだ使えるものを処分していくという行為の意味と復興という言葉とのつながりが
よくわからなくなっていた自分がいた。
この衣類使えるのに捨てるのか・・・いたたまれない・・・
気がついたら衣類をたたみ直している自分がいた。
なんだかそのままトン袋に入れたくはなかった・・・
外では他のボランティアさんがそのままではトン袋に入らないため、
家具を解体している音が聞こえた。
洗濯の洗剤の香りが残る衣類をたたみながら、自分なりに家主さんのことをおもった。
住めてた家に住めなくなり、使えるものも処分せざるを得ない・・・
「原発さえなければ・・・」
この光景に直面して、この言葉がしばらくてきやの心に、こびりついていた。

しかし、お昼で作業は終了したので午前の事を振り返る間もなく
午後は別の現場へと向かった。大きな家の庭と畑の草刈りを行った。 
畑には今は収穫されることのないたらの芽(山菜)がたくさんあった。

◆5月25日(土) 26日(日) てきや やまちゃん いっちー だてっち
25日 午前 お宅の不要物の片付け ・・・ 午後 刈った木や草の片付け
26日 福島県金山町のおばあちゃんに会いに。
b0213209_10343339.jpg

5月25日(土) 老夫婦と息子夫婦さんと一緒に不要な家財道具の片付けを行った。
ボランティアという名の見ず知らずの人たちが突然訪れる。
ご家族の方々の表情は最初は固く、警戒心すらも見受けられる。
でも、みんなで協力しあって作業しているうちにご家族の表情が和らぎ、
会話ができるようになり、後半はご家族の笑顔も見れるようになる。
てきやが震災ボラを始めてからよく味わう場面である。
この経過がてきやはたまらなく好きである。この日もそうだった。
お昼にこのご家族が出してくれた漬け物がすごくうまかった。
b0213209_10345967.jpg

単純に来て良かったと思った。
何をしたか、何ができたかではなく、出逢いから、かかわりと交流が生まれ、
今できることを行いながら共に時を過ごせることのよろこびをおもった。
午後は時間が余ったので、別な現場へ行き、草や木をトン袋へ詰める
作業を行った。ここの家主さんも親切だった。
「福島の米はうまいんだよ。今度ごちそうするから、食べにきてね(^-^)」
お別れに聞いたお言葉がうれしく、でも心のどこか痛いと感じた。
b0213209_1035329.jpg

26日(日)は、2011年夏の福島・新潟集中豪雨の際、畑の泥だしを
させて頂いた金山町のおばあちゃんに会いに行った。 
おばあちゃんが元気だったことがすごくうれしかった。
おばあちゃんは、大工さんがリフォームに入っていることをうれしそうに話していた。
「秋になったら畑の大根あげるからね、またおいで(^-^)」と言ってくれた。
てきやは夏に庭と畑の草むしりの手伝いに来ようと心の中でつぶやいた。

◆6月1日(土) てきや一人 お宅の庭の片付け(草刈り、木の伐採)
b0213209_10372645.jpg

6月1日(土) この日はてきや一人で行ったが、ボラセンで7人のチームが組まれ、
リーダーをさせて頂いた。作業指示書には、「敷地内の木はすべて伐採してください」
とあった。庭には立派な松の木もあった。 念のため家主さんに電話した。
この日はお葬式が入り、立ち会えないとのこと。
「・・・いつ住めるようになるかわからないからもう家も取り壊そうとおもって
・・・だから庭の木も全部切って下さい。」 
この日はほぼ1日慣れない手つきでチェーンソーを握り、木を伐採した。

最近の南相馬は、住むことを断念して片付けるニーズと
いつか住むために片付けるニーズとが混在している。
どちらもご家族、当事者だけでは大変である。

復興の文字が遠い。
そこに行き、何をしたかできたかよりも、大切なことは『志』だとおもう。

これからも「福島を置き去りにはしない」という志を胸に
福島に心を寄せ足を運んでいきたい。

てきやこと清田和男
[PR]
# by aoesupport | 2013-06-11 10:30 | 活動報告など
やっさんです。
いつもきびしい視点で、震災後のボランティア活動を見続けている
てきやさんですが、今年のGWは石巻大原でAOEキャンプのように
過ごせたようです。こういうレポートもいいですよね。
+++++++++++++++++++++++++++++

石巻牡鹿半島大原へ4月27日28日29日

4月の連休に大原に行ってきました。
目に見えるもの、見えないもの合わせて、
頂いたものが多く、そして大きかったです。
b0213209_219193.jpg

作業は大原浜の漁具片付け、ワカメの出荷準備、
突然現れた小西兄貴と一緒に谷川の洞福寺の
水源整備をさせて頂きました。
b0213209_2184682.jpg

ワカメ漁も終盤戦でしたが、冷蔵・冷凍設備が
完全には復旧していないことと、人手不足で大変と聞きました。

高橋さんが仮設に招いてくれたり、小野寺さんがワラビ採りに
連れて行ってくれたり、小形棟梁が腰掛けをプレゼントしてくれたり、
大原行政区の石森区長さんが日本酒をおみやげに持たせてくれたり・・・
b0213209_2195122.jpg

ただただうれしくありがたく、いい時を過ごした休日でした。

やっぱり東北のワカメとメカブはとてもおいしいです。(^-^)
[PR]
# by aoesupport | 2013-05-23 21:00 | 活動報告など
東日本大震災から2年をむかえ、各団体もその活動を休止したり、
別の形に変えたりしている中で、てきやさんの支援活動は変わらずに
「できる人ができる時にできる事をやる」という考えの下、継続しております。
+++++++++++++++++++++++++++++++
南相馬活動報告(2月23日 3月23日24日)

『目に焼き付いている光景とおばあちゃんの微笑み』
南相馬市小高区の田んぼだった所に雪と草をかぶった瓦礫が残る光景と
仮置き場ができないため自宅前に置かれ続けている瓦礫が
目に焼き付いていて時々何気ない日常の瞬間にフッと浮かび上がってくる。

◆2月23日てきや一人 
深夜は吹雪だったが無事に南相馬にたどり着いた。
いつものようにボラセンでチームが組まれ、午前中は、
津波をかぶった家財を解体し、トン袋に詰める作業を行った。
午後は、松本ボラセンター長の案内で、浪江町(原発)に近い
浦尻地区へ向かった。この日は、北海道から飛行機とバスを
乗り継いできたという大学院生を助手席に乗せていた。
b0213209_1412116.jpg

就職して身動きが取れなくなる前に、ボランティアをしながら
福島の現状を見ておきたくて来たのだという。
まだ日本にもこういう若者がいてくれるのはとても心強い。

この地区は特に被害がひどかった。原発に近ければ近いほど
被害がそのままになっている現状を改めて実感した。

この地区は80数名の方が津波で亡くなられてしまったとのことだった。
荒野と瓦礫と壊れた家が目に入ってくる。
「心を込めて作業を・・・」と言いながら、松本ボラセンター長がてきやの肩に
そっと手を置いた。 大切な現場だということがわかった。
作業内容は、家の周囲の草刈り、生い茂る笹や竹や木の伐採、片付け等だった。
10数人のボランティアで取りかかったが終わらず、継続作業となった。
被害エリアが広すぎる・・・
「活動の終わりが見えない」と強く感じた1日だった。

◆3月22日、勝沼さん、てきや

3月23日、南相馬のボラセンで、いつものようにチームが組まれた。
20キロ圏内のお宅の庭の植木の剪定が主な作業内容だった。
b0213209_1415571.jpg

はしごや脚立を使い、チェーンソー、ノコギリ、枝きりバサミ等で
木や枝をカットした。家主さんが、「いつ住めるようになるかかわからないけど、
どんどん伸びていくので・・・」とお話しされていた。
どんどん伸びて生い茂っていく植木、ずっと気になっていたんだろうなと思った。
壊れたビニールハウスで片付けをしていたおばあちゃんと目が合った。
・・・微笑んでいた。
おばあちゃんの微笑みを見て、何故自分がこの活動を続けているのか・・・
その意味と動機がわかった気がした。
南相馬には、まだ家の前や田畑に瓦礫がある。
放射能で家族がバラバラになり家があっても住めない人たちがいる。
福島が風化と共に忘れ去られないで欲しいと祈るような気持ちで枝を払った。
b0213209_14154963.jpg

24日お昼まで
この日は約10人で竹林の伐採を行った。
範囲が広く、足場も悪く、苦戦した。太い竹は固く重かった。

3月いっぱいで、災害派遣従事車両高速道路無料措置が終了した。
これにより南相馬までの往復はガソリン代約8000円に加えて、
高速道路代が1万円代前半が加わることになった。
経済的には厳しい状態になったが福島をわすれないための活動を続けていきたい。
b0213209_14162581.jpg

We remember 福島. We will never walk alone.
てきやこと清田和男
[PR]
# by aoesupport | 2013-04-08 14:00 | 活動報告など
やっさんです。先ほど、いいのんちゃん配信によるユーストリームで、
誠ちゃんや石巻の仲間たちが集まっている会の映像を見る事ができました。
集まった場所は南境センターで、震災後みんなが寝泊りしたり活動の拠点とした場所です。
誠ちゃんは元気そうでしたし、参加者のみんなも懐かしいという思いを持ちながらも、
自分なりの2年間を振り返っているのだと思います。

私はどうかといえば、息子も8ヶ月を過ぎて、ずいぶんと人間らしくなってきました。
この子の笑顔をみるだけで、幸せな気分にもなりますし、生きる希望がわいてきます。
ある意味、乳幼児というのは「生」の象徴かもしれません。
それに対して、東日本大震災では何万という単位で、「死」が突然おそいかかってきて、
それを理解する事もできないまま、2年という時を経た人も多くいるでしょう。

私が考えるのは、最初の一年間は亡くなった人がいる時を思い出す一年間で、
次の一年間は亡くなった人がいない時を思い出す1年間になると考えています。
そして、次の1年間。また1年間、時間という偉大な事象がだんだんと
人の心をやさしい方向に、やわらかい方向に変えていってくれます。

今では何もしていない自分ですが、息子の生をきちんと見守りながら、
この2年間を振り返ってみようと思います。
多くの亡くなられた人々と、それに関わる人々に平安が訪れますように、合掌。
[PR]
# by aoesupport | 2013-03-09 21:50
2月11日に震災以来やっと行われた御柱祭の報告です。
一歩ずつ少しずつ、震災前の行事ができるようになってきております。

+++++++++++++++++++++++++++++++

『遠くにいる隣人』

2月の連休の11日に大原のお祭りに参加してきました。(^-^)
昨年は震災の影響でできなかったこともあり、大原の人たちの
いろいろなおもいがつまっていたお祭りでした。
御神木と太鼓と笛と獅子舞が乗った山車を引くお祭りです。
b0213209_22381355.jpg

準備から当日まで大原の人たちと共に、楽しくいい時間を過ごすことができました。
山車を引っ張る縄に紅白の布を巻いたり、棟梁にしごかれながら、
山車をヤスリで磨いたり、平さんの手料理、(牡蠣がすごくおいしかったです。)
b0213209_22383489.jpg

お祭り当日は、拍子木を持ち、進む・止まるを知らせる役をさせて頂き、
楽しかったです。お祭りが終わり、阿部副区長さんが包み込むような
笑顔で御神酒をてきやに下さって、じわじわっとうれしさがこみ上げてきました。
b0213209_2239030.jpg

ボランティアとは何かと最近よく考えている自分がいる。 
これまで、気がついたら、気持ちのままに、大原と南相馬に
足を運んでいる自分がいた。大原では心のつながりができ、
南相馬は理不尽に瓦礫が置き去りになっているので、
見過ごすことが自分はできない。
b0213209_22395463.jpg

だからこれからも、気持ちの赴くまま東北へ足を運ぶ。
いずれにしても「してあげる・してもらう」という季節は過ぎた感がある。
この活動とかかわりは生き方と人間性がダイレクトに問われていると感じる。
b0213209_22393433.jpg

今、頂いた心の恵みを強く感じている自分がいる。
てきやも41歳になり、精神・身体的にもガタがきている。
気持ちとは裏腹に、自分はいつまでこの活動を続けられるかなぁとおもう。
でもこの活動の中に、自分が生まれた意味とやりかたかったことと、
貫きたい生き方と望んでいたぬくもりとふれあいがそこにはある。
生まれて・・・お金持ちになること、出世することが、自分の人生のゴールではない。
遠くにいる隣人として、これからも東北の人たちと自分の個性を活かして
心と心のキャッチボールを続けていきたい。

精神・身体が続く限り         てきやこと清田 和男
[PR]
# by aoesupport | 2013-02-20 22:30 | 活動報告など
やっさんです。
定期的に東日本被災地に向かっているてきやさんの今年最初の活動報告です。
寒さもきびしい時ですが、体に気をつけてやるべきことをやってください。
2月の連休は大原に帰るということです。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
冬の南相馬活動報告

「残心 福島をおもう I remember 福島」
よく南相馬のボラセンでお顔を見る人のブログに、このような文章が紹介されていた。

『ふくしまは負けない』
大地が揺れ、海が黒い壁になった「3.11」。
その日から「福島」は「フクシマ」になった。
アナウンサーが画面の中で繰り返す「フクシマ」は、どこかよその土地のよう。
不器用だけどあったかい、あの「福島」とは違っていた。
当たり前だと思っていた風景を、波が全てさらっていった。
家が消え、道が消え、家族も友も散り散りになった。
黙りこくった心に不安だけが押し寄せた。
だれもが心の中で叫び、泣いた。
だが、運命は本当のことも教えてくれた。
食べ物も痛みも人はわかちあえる。
見ず知らずの人のために、涙は頬を伝っていた。
人は人をおもってこそ人になれる。
そしてその涙は温かい。
生き残った者にできることは何だ。
離れた心をひとつにするためにするべきことは何だ。
顔を上げ、今を目に焼き付けよう。
手と手を結ぼう。
「福島」は負けない。
笑顔も、実りも、ふるさとも、必ず我が手に取り戻す。

――― 福島民報社 「福島は負けない」 より

雪をかぶった田んぼにはまだ瓦礫や壊れた車が置き去りにされている
南相馬市小高区での冬の活動報告です。

■12月15日16日  やまちゃん いっちー てきや
ボラセンのマッチングにより約10名のチームで魚屋さんだったお宅の
家財の整理・片付けのお手伝いを行った。
やさしいおばあちゃんがいた。 
微笑みながら何度も「ありがとう」と言いながらボランティアに
羊羹やリンゴやおにぎりをふるまってくれていた。
南相馬市の鹿島区の海は砂地の質がよく、いい魚が穫れていたという。
震災前にご家族で魚屋をされていたお話をうれしそうにお話しをされている
おばあちゃんの姿に、いたたまれなくなってしまったてきやは、
他のボランティアさんが話を聴いていてくれている様子を見ながらそっと席を外した。
外は人の気配のない壊れた家が並んでいた。
b0213209_196331.jpg

人と人のぬくもりを感じながら、片付くべきものが片付いていく。
ふれあいとおばあちゃんの笑顔。 いい休日を過ごせたと感じた。
早め(14時過ぎ)にボラセンに戻ると、松本センター長の命により、
移動して、16時まで田んぼ脇の側溝の泥出しを行った。 
カエル、ザリガニ、フナ、ドジョウがいた。
白鳥の群れもいて鳴いていた。
b0213209_197778.jpg

16日
日曜日の作業は憂鬱な面がある。 お昼までしかいられないから中途半端感が残る。
お昼で作業を切り上げても、自宅に着くのは通常21時位、仮に16時まで作業すると、
帰宅は深夜となる。次の日の仕事を考えると、長時間運転しての深夜の帰宅は
避けるべきだとおもう。この日はお昼まで畑の草刈りを行った。
草刈り機を握る手に力を込めた。


■1月19日20日 やまちゃん 勝沼さん てきや

やっと20キロ圏内大井・塚原地区対象の瓦礫の仮置き場ができた。
ずっと敷地内に放置せざるを得なかった瓦礫をやっと片付けることができる。
東京からきた7人のグループとチームを組み10人で庭の瓦礫の片付けを行った。
まだ新築6年の新しいお宅の農家をやっていたご主人とお話ししながらの作業だった。
1階部分も津波の被害にあい、敷地内にも大量の瓦礫が流れついていた。
リフォームは終えたが20キロ圏内のため、まだ住めない。今はお友達の紹介で、
家主さん家族は山形県に避難して空き家になっている南相馬市のお宅を借りて、
気を使いながら肩身の狭いおもいをしながら住んでいるという。
b0213209_197379.jpg

そして敷地内に置いておくしかなかった瓦礫がずっと気になっていたという。
ボランティア10人でも1日では終わらず、翌日の日曜日の11時に作業が終わった。
今回はリーダーをさせて頂いたこともあり、ご主人とたくさんお話しすることができた。
「・・・この辺は線量もだいぶ下がった。いずれ住み慣れたこの土地と家で余生を送りたい。 
瓦礫を片付けてくれてありがとう。 希望が見えました。」と言って頂いた。
b0213209_1981584.jpg

今回も南相馬に来てよかった。そして まだ人の手と人の心で、
できることがたくさんあると田んぼに残る雪をかぶった瓦礫を見つめながらおもった。

■1月26日27日  いっちー だてっち てきや
26日 ボラセンのマッチングにより、約10人のチームで20キロ圏内の
お宅の敷地の木や竹の伐採と草刈り、また家財の整理・片付け作業を行った。
27日 松本センター長の命を受け、南相馬市鹿島区にある仮設住宅を訪問し、
ニーズ聞き取り調査を行った。
片付ける気力を喪失している方や放射能が高くて片付けに行きたくても
行けない方やいろいろなお話しを伺わせて頂いた。
多くの方がおっしゃっていたのは、「早く自分の地区にも仮置き場が設置され、
瓦礫を片付けたい」 という声だった。
概ね、ボランティアと名乗るとあたたかく接して下さり、お菓子をくれたり、
お茶をご馳走して下さったりしてくださる方もいて、心があたたまるひとときでもあった。

b0213209_198493.jpg

しかし、田んぼの真ん中におびただしい数の仮設が立ち並び、寒風にさらされ、
主に老夫婦が暮らされている光景は、やはり胸が痛んだ。
放射能と震災で家族がバラバラになり、住み慣れた家と土地を追われ、
狭い仮設にたくさんの方々が住まわれている現状・・・
改めて「今自分ができることは? 自分が福島をどうおもっていくか?」
と自問自答を繰り返していた自分がいた。

そして1月23日のボラセンのブログで衝撃的な知らせがあった。
「南相馬ボランティア活動センターは活動資金不足のため
2月12日から4月30日まで活動を休止します(要約)」
 
これからやっと地区ごとに瓦礫の仮置き場ができていくであろう大事な時期。
ニーズが続く中でのボラセン休止。

いろいろおもうことはたくさんあるが、事実を受け止め、
5月を待たずに福島で今できることを探そうとおもう。
まだ人の手と人の心でできることはたくさんある。

残心  福島をおもう  I remember 福島 てきやこと清田和男
[PR]
# by aoesupport | 2013-02-03 23:30 | 活動報告など
11月の石巻活動報告  『時を共に動かして・・・』

11月23日24日25日の3連休に石巻牡鹿半島大原に行ってきました。
10月のある夜、大原で養豚業をしている高橋さんからうれしい電話を頂いた。
「てきやさん さみしくて電話しました。今度いつ来てくれますか?」
南相馬に行こうか迷っていたが、大原に向かうことにした。
その高橋さんの口添えもあり、平さんのビニールハウスの片付けのお手伝いを
させて頂くことになった。平さんは行くたびに、バーベキューや手料理で
もてなしてくれた方でよく一緒に日本酒を飲んでお話しをさせて頂いた方である。

これまで何度か、瓦礫が残る平さんの畑とビニールハウスの片付けのお手伝いを
申し出たが、「まだ農業やる気がおきなくてね」と言われ、断わられ続けてしまっていた。
今回は仲間と日程が合わず、はじめて一人で行く大原だった。
「夜は一人でお酒飲むのかなぁ」 そんな不安にかられつつ車を走らせた。

23日朝大原行政区の石森区長さん宅へ挨拶に行った。
朝ご飯を勧められたが丁重にお断りして神社の落ち葉掃きを行った。
また大原に来れたよろこびがじわじわとこみ上げて来た。
その後平さんとビニールハウスで合流し、片付けに取りかかった。
ビニールハウスの中は、あの日から時がとまったままだった。
地震でところどころ土が盛り上がり、割れたガラスが散らばり、
おびただしい数の植木鉢が散乱し、倒れていた。

まず、土をならし、割れたガラスを拾い集めることからはじめた。
ガラスを拾いながら、「もっと早く拾ってあげたかったな」とつぶやいた。
その後、同じ道具ごとに1箇所にまとめ、植木鉢は同じ大きさのものを
重ねていく作業を継続して行った。帰る日の朝も1時間ほど作業を行った。
残念ながら、2つあるビニールハウスのうち、もう一つのビニールハウスには
手がつけられなかった。平さんは割れたガラスの箇所にぶ厚い強化ビニールを
貼り付けて、ハウスの修復作業を行っていた。
平さんの話によると、これからゆっくり、ゆっくり、野菜やお花づくりを
このビニールハウスでやっていくつもりだという。 
行者ニンニクの栽培も考えているんだという話も聴かせて頂き、
てきやもうれしい気持ちになった。
b0213209_1253318.jpg

平さんは多忙である。 亡くなられてしまった漁師の斎藤さんの海の仕事も
引き継いでいくとのこと。3年後の高台移転へ向けて、家を建てて、
てきやも招待してくれると言ってくれた。
「平さんが作った野菜をつまみに日本酒を一緒に飲めますね、楽しみです。」と、
てきやは、平さんに返した。
ビニールハウスの時が再びゆっくり動き始めた・・・そんな気がした・・・

ビニールハウスには、高橋さんがちょくちょく顔を出してくれて、小野寺さんも来てくれた。
23日の晩は、小野寺さん宅で夕食をごちそうになり、あわびの刺身に感動し、
家族の団欒の居心地の良さも加わって不覚にも酔いつぶれてしまった。
24日の晩は、高橋さんの仮設住宅にあがらせて頂いた。普段はめったに
自炊をしないという高橋さんが自前の豚と餃子を焼いてくれて、うれしさで胸が熱くなった。
水産加工業を営む、やっちんさんも来てくれて、あわびの刺身も再び現れて、
いろいろお話しができた。
「今度北海道へ旅行に行こうよ。(^-^)」 そんな話で盛り上がった。

おがた棟梁のところに顔を出すと、棟梁が作ったばっかりの杉の木でできた
お土産を頂いた。棟梁の笑顔を見るといつもほっとする自分がいる。
なんか思い出に残る、頂いたものが大きすぎる3連休だった。

帰る直前、区長さんに挨拶に伺った。玄関で失礼しようとしたが、引き止められ、
茶の間に上がらせて頂き、しばし区長さんとお話しした。
帰り際、区長さんの奥さんが握りたてのあたたかいおにぎりを持たせてくれた。
奥さんが笑顔で「てきやさん いつでも家にきていいんだよ(^-^)」
とのおことばにじ~んと胸があたたたかくなって泣きそうになった。
大原を後にして少し離れたところであったかいおにぎりを頂き、ひとり車中で涙ぐんだ。

石巻は瓦礫は1箇所に集められ、更地が目立ち、あたかも一見すっきりしたような、
片付いたような印象を与える。でも、その更地には、そもそも、家があり、家族がいて、
団欒のひとときがきっとあったとおもう。(場所は変わっても)再び家が建ち、
バラバラになった家族が戻り、集まれる、それが成って、
はじめて「復興」ということばが浮かび上がってくるような気がする。

まだ時が止まった場所がある。時が止まった心を抱えた人がいる。
時を共に動かしていきたい
     てきやこと清田 和男
[PR]
# by aoesupport | 2012-12-22 01:25 | 活動報告など