2011・3・11日に起きた東日本大震災におけるHS神戸とサポートチームの活動報告です


by aoesupport
災害・環境支援団体Nine(ナイン)の南相馬での活動に参加してみました。
石巻でも牡鹿半島の主に大原浜しか知らなかった私にとって新たな経験となりました。
南相馬の渋佐海岸での、遺骨・遺品捜索&海岸清掃が作業の目的です。
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海岸はいまだに瓦礫が放置されていて、ほとんど人が入らないところが多く
手付かずの状態でした。東京電力の火力発電所から流れ出た、
重油にまみれた瓦礫がところどころ砂浜に乗っていました。
その瓦礫を片付けながら、熊手で地道に遺骨・遺品が無いかを探します。

重油にまみれた瓦礫が絡まったり粘ついてたりして、思ったよりも時間がかかります。
また、大きな材木なども埋まっているのでさらに掘って、
元の砂であろう部分が見えると熊手でひっかきながら捜索していました。
久しぶりの作業に、だんだん無になりながら続けてると
しゃがみ続けていたからか、疲れる前に腰に痛みが…。
無理せず背筋を伸ばしながら、午前・午後と作業していました。
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朝は結構降っていた雨は作業を始めるときは小雨になり、いつのまにか
やんでいました。午後は日差しも出てきて汗ばむくらいでした。
骨を1つ見つけたのですが、たぶん動物の骨の1部だろうと思う。とのことです。
素人目には分からないので警察へ持っていく、というようなことを言っていました。

知っている人は誰もいませんでしたが、お昼休憩や一服しながら
参加している方と少し話をして、知らなかった各地の現状や
異なる作業を聞くことができました。

気の遠くなるような地味な除染作業(若い方やこれから出産するであろう
女性はできません)の話やてきやさんの南相馬での活動報告にもありました、草刈り。
警戒区域だったとき一時帰宅した際に、ご自宅の周りを背丈ほどの草が
ぼうぼうに生えてて自分の家じゃないみたいですごくガッカリしたんだそうです。
それで、ボランティアに対して草刈りの要請が多かったそうです。
草刈りしようとしたら、すぐに大量の蚊が襲ってきて
夏の日差しに加えて、虫の大群はきつかったと言っていました。

まだまだ片付いていない。やることがいっぱいある。何百人の手が必要。
とNineのリーダーの方が言っていたことが、
南相馬に来て、実際に目の当たりにしてみて本当にそうだとしみじみ思いました。
今回作業したのはほんの1部であり、その向こうには大量の瓦礫が広がっていました。
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来月また参加したいと思っています。
知り合いもなく1人で参加してみましたが、作業に没頭できたし、周りの方も親切でした。

HPを見ると来月までの日程も載っています。
http://nine-volunteer.jimdo.com/

○H25/1/16(水)日帰り(確定)
 福島県南相馬市にて行方不明者捜索・海岸清掃活動。
  出発・集合時間:15日24:30池袋駅東口ビックカメラ本店前。
  到着予定:池袋駅16日(水)22:30~23:00頃予定。
  参加費:1,000円/人(都内からご参加下さる方の往復交通費です。)
 ※現地への直接集合が可能な方も同時募集中です。

○H25/1/20(日)日帰り(確定)
 福島県南相馬市にて福興浜団活動参加(行方不明者捜索・海岸清掃、泥出し等)。
  出発・集合時間:19日24:30池袋駅東口ビックカメラ本店前。
  到着予定:池袋駅20日(日)22:30~23:00頃予定。
  参加費:1,000円/人(都内からご参加下さる方の往復交通費です。)

○H25/1/30(水)日帰り(確定)
 福島県南相馬市にて行方不明者捜索・海岸清掃活動。
  出発・集合時間:29日24:30池袋駅東口ビックカメラ本店前。
  到着予定:池袋駅30日(水)22:30~23:00頃予定。
  参加費:1,000円/人(都内からご参加下さる方の往復交通費です。)
 ※現地への直接集合が可能な方も同時募集中です。


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三谷倫子(みたにみちこ)
log.chi.2-8thr.val.mm@s...
09071905777
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# by aoesupport | 2012-12-20 23:30 | 活動報告など
やっさんです。すっかり秋から冬に変わってしまった季節ですね。
東日本大震災の被災地にも2度目の本格的な冬がきます。
寒さのしのぎ方は変わったでしょうか?暖かい食卓を囲む回数は
増えたでしょうか?お正月を迎えるのに少しでも希望の光があたることを祈ります。
てきやさんの10月11月の南相馬での活動報告です。

++++++++++++++++++++++++++++++++++
『秋の南相馬活動報告』   ・・・忘れない・・・

◆10月20日(土)
てきや一人プラスボラセンに集まったボランティア6名
「家周辺の草刈り、置き去りにされた牛が住み着いて汚れた納屋(倉庫)の片付け」
◆10月27日(土)
てきやとだてっちプラスボラセンに集まったボランティア約10名
「広い畑の草刈り」
◆10月28日(日)
昨年の夏に福島・新潟集中豪雨でボランティアに行って出会った
金山町のおばあちゃんに会いに行った。
◆11月10日(土)11日(日)お昼まで
てきや、やまちゃん、だてっち、かっちゃん
「広い畑の草刈り」
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◆10月20日(土)この日はいろいろ感じ、考えた1日だった。
震災と原発で、牛が置き去りにされ、納屋に住み着き、大切なものも使えなくなり、
家族で途方に暮れていたという。また、立ち入れなかったため、
家周辺の伸び放題の草にも困っていたという。
そして、立ち入り禁止の間に何度も泥棒に入られたという。
当日、元気なおばあちゃんと、フレンドリーな娘さんとうつむいた孫娘さんがいた。
前半てきやは家の周りの草を草刈り機で慎重に刈っていた。
花を育てるのが好きなおばあちゃんで、庭には、花や植木や、
植木鉢は100個以上あり、花専用のビニールハウスの後もあった。
珍しい薔薇の木や花、朝顔も咲いていてちょっと心が和んだ。

おばあちゃんはずっと笑いながら怒っていた。
「・・・この年になってこんな目にあうなんて・・・なんもかんも失った・・・
地震と泥棒と放射能と、牛にも荒らされて・・・」

・・・これまでどれだけ落胆し、かなしかっただろう・・・
笑いながら怒っているおばあちゃんに、てきやは何も返せずに、
苦笑いだけ浮かべて、おばあちゃんの指示を仰ぎながら一生懸命身体を動かした。
薔薇の木も植木も切ってほしいとのこと、「・・・放射能がなくなったら
また植えるから・・・いつ戻れるかわからないし、いつまで生きられるかわからんけど・・・」
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津波の被害はない、里山の麓の集落、酪農地帯でもあったという。
原発から16キロ圏内ということで、避難を余儀なくされたという。
そして、ある牛たちは注射で殺され、ある牛たちは置き去りにされたという。
戻りたくても戻れない、住みたくても住めない・・・津波とは違う原発の被害を実感した。
休憩時間は近所の草むらに咲く花を見て心の均衡を保った。 また来ようと思った。

◆10月27日(土)職場の後輩のだてっちと共に再び南相馬へ向かった。
まだ20代前半のだてっちにはここで多くを学び、成長してほしいと願っている。
いいボラさんさんとの出逢いも多いから。
広い畑に背丈以上の草が伸びていた。厳しいけどやさしい常連ボラさんがいた。
午前中、だてっちに草刈り機の操作を教えようとしたら、その常連ボラさんに注意されてしまった。
「まだメドがたっていない、今は慣れている人が草を刈れるだけ刈る時間だ。」
もっともだと思った。 午後にチャンスを作ろうと思った。
午後、終わりが見えたと思った時、常連ボラさんが笑顔で「今が教えるチャンスだね。
次に(若い世代に)つなげていこうよ」と声を掛けてくれた。
だてっちが草刈り機を慎重に動かしている。てきやは、ニコニコしながら写真を撮った。
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南相馬でのボランティアは決して苦しいだけではない。
いろいろな県から集まったボランティアが現場ごとにチームを組み、
協力しあいながら、草刈りや側溝の泥だしや瓦礫収集を行う。 
そして時に語り合う。 その人の背中や雰囲気、語り口から、
その人の生き方や信念がみえる時がある。
バックボーンの違う人たちが共に意味のある時間を過ごす。
てきやにとっては得がたい貴重な出逢いと学びのひとときである。
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◆10月28日の日曜日は去年の夏の水害で畑の泥出しをさせて頂いた
金山町のおばあちゃんに会いに行った。おばあちゃんの畑でとれた
かぼちゃの煮物と大根の漬け物をご馳走になり、またおいでと
かぼちゃと畑の大根をお土産に持たせてくれた。
何よりおばあちゃんが元気だったのがいちばんうれしかった。
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◆11月10日(土)11日(日) いいチームワークで畑の草刈りが 進んでいった。 
日曜日も継続し、山形に避難しているおばあちゃんと南相馬市内で
お仕事をされている娘さんにも会うことができた。
草が刈られていく様子を見ていたおばあちゃんの笑顔が印象的だった。

朝のミーティングで、南相馬市社会福祉協議会の門馬会長の、
「ふるさとを失いたくない」ということばが今も心に響いている。
今大切なことのひとつは、福島を・・・20キロ圏内で起きていることを・・・
忘れないことと感じている。   てきやこと清田 和男
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# by aoesupport | 2012-11-23 23:17 | 活動報告など
南相馬と石巻牡鹿半島大原活動報告

いつもいろいろありがとうございます。 てきやです。
読んで頂けたらうれしくありがたく思います。

『・・・今できることを・・・』

9月22日(土曜日)南相馬20キロ圏内小高区の民家の敷地内の草刈りを行った。
朝、ボラセンに着くと神奈川県内のゴルフ場で働くTさんと久しぶりに再会した。
震災直後から南相馬市を中心に活動を続けてきたTさん。
そのTさんが、リーダーとして前日から手掛けていた現場へ向かった。
住民の方には会えないまま5人のボラで草刈りを行った。
住民の方の依頼は敷地内の畑周辺の草刈りをとのことだったが午前中に終了し、
ボラ5人で相談し、家の周辺の、明らかに草と思われるものは刈らせて頂くことにした。

ボラセンの方針で、南相馬では立ち小便厳禁となっている。
今は荒野と化してしまっているが、住民感情への配慮と先祖代々からの大切な
土地という認識から。時には車を動かしてトイレへ向かう。
今回、リーダーTさんの案内の元、歩いて数分の民家の屋外にあるトイレを借りに
行った。(使用許可は取ってあるとのことだった。)
ちょうど、仮設住宅からご先祖のお墓参りにいらしていた女性がいた。
改めて、トイレの使用をお願いすると、
『全然使っていいけど、オシッコならそのへんでしていいのよ。電気と水道が
復活してないから、うちのトイレも流れなくてね。私も畑でしているの・・・』

てきやは、「早く除染作業が進み、電気、水道が復旧するといいですね。近所で
草刈りしてるので、何かお手伝いすることがあれば声を掛けて下さい。」と返した。
  『ここに来てくれてありがとう』 と言って頂いた。

・・・放射線量が下がったから立ち入りは許可する。それだけ通達して国や行政
はこのまま何もしないのか・・・ なぜこの地が置き去りにされてしまうのか・・・
(20キロ圏内で重機を使うと、他で使えなくなるので重機のレンタル会社も貸さないという。)

こういう土地こそ・・・ 眼下には、荒野と化した水田と壊れた家と放置された瓦礫が見えた。
今できることをやろうとおもった。
自然とエンジン付草刈り機や鎌を持つ手に力が入った。そして藪と化していた裏庭
へ突入した。気がつくと、5人で力を合わせて庭が復活していた。
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朝のミーティングでの松本ボラセンター長からの話である。
『行政は、「できない」という否定から入る。企業は儲かるかどうかで動く。儲からなければ
動かない。ボランティアは被災者のニーズを聴いて寄り添う。同苦、抜苦のおもいを胸に
今できることを、被災者のわがままをきいてあげて下さい。
できる人ができる時にできることをする。
復興のその日が来るまでボランティアは負けない、あきらめない。』
この日も松本センター長は熱く語っていた。

・・・今できることを・・・

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石巻牡鹿半島大原へ
9月28~30日 里香さんとイッチーと大原へ向かいました。てきやが気になっている
ことが一つあって、それは、阿部副区長さんの畑の中の小さな瓦礫撤去でした。
それをさせて頂こうと大原へ向かったのですが、大原へ向かう途中の金曜日の夜、
車中で大原の漁師の斎藤さんが心筋梗塞で突然亡くなられたことを知りました。
まだ小学生の娘さんが二人・・・6月にカキの種付けを手伝わせて頂き、
夏祭りでは、てきやのたこ焼きを『うまいっちゃ』と言ってくれた斎藤さん

土曜日は大原の方々のかなしみとお話しを聴かせて頂きました。
小形棟梁が『あんひとは大原のムードメーカーだったんだ』
と何度も語っていました。去年の震災直後の夏はお祭りができなくて、
その時、斎藤さんが『てきやさん 来年はたこ焼き焼いてくれっちゃ』
との声が何度もよみがえります。

震災がきっかけで出会った縁・・・「瓦礫が片付いたから少しずつ自分は
大原からフェイドアウトしていかなければ」そうおもっていた時期もありました。
今回 大原の方々のお話しを聴かせて頂いて、確かな心のつながりが
残っていたことを感じました。

終わりのないかかわりを実感できたことに感謝している自分がいます。
また大原に行こうとおもいます。
 
 てきやこと清田和男
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# by aoesupport | 2012-10-15 17:30 | 活動報告など
やっさんです。

てきやさんから電話連絡をもらい、誠ちゃんもブログに記事を書いております。
大原浜の三熊野神社氏子総代も務める斎藤松二郎さんが心筋梗塞で亡くなりました。
誠ちゃんが王貞治に似ている人とか、物真似していたから覚えている人も多いでしょう。
フィリピン人の奥様と二人の娘さんを残しての突然の死に、大原の住民の皆さんも
驚き動揺し、今後のことを考えると言葉もありません。
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地震がなければ、斉藤松二郎さんが死んだといっても、まったく知る事もなかった
だろうけど、地震で知り合った方々にもこうした事が訪れます。
最初に大原に入って活動した晩に、大原の役員さんや誠ちゃん・地方議員さんと
お話をする会がありました。その席で印象に残っているのは、斉藤さんが言った言葉です。
「今まで(昨年5月はじめの時点)、真っ暗闇の中でどうしようかと思っていた。
でも今日こうしてボランティアさんが来てくれて一本の光が見えたような気がする。」

何者かわからないような私たちでも、その活動が暗闇の中の光になるとすれば、
いっしょに続けて活動していけると思った瞬間でした。
その後は、サポートチームの仲間、他のボランティア団体の協力もあり、
やっと漁業復活も期待できる時だったのに、まさに無念です。

ただただ、ご冥福をお祈りいたします。
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# by aoesupport | 2012-10-03 14:30 | せいちゃんレポート

てきやさん夏の活動報告

やっさんです。タイミングよくてきやさんから夏の活動報告が送られてきました。
てきやさん一人でも動きをやめない限りは、こちらで報告もしていきます。
感謝状もらうボランティアって珍しいかも。
みんな感謝の気持ちはいつももらっていますけど。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
てきやと有志による南相馬市での活動報告 7月~8月

てきやチームは解散しましたが、今後もてきや個人ないし、有志で、
まだがれきと泥が残る、南相馬市での活動は継続的に続けますので、
今後も活動をあたたかく見守って下さいますようよろしくお願い致します。

◆7月7日 てきや一人
ボラセンが児童館からの移転を余儀なくされて、てきやも6月に整備に
携わった原町区泉のボランティアテント村は台風4号の直撃にあい、
あっけなく壊滅してしまっていた。そこで、同じ原町区のグリーンパークの
管理人室が宿泊施設として借りられるようになったらしかった。

津波の被害も受けたらしくまだ敷地内には泥が残っていた。
電気は発電機、トイレは仮設、水道は復旧しておらず、
宿泊者を少しでも多く受け入れる為なのか、コンテナもいくつか置いてあった。
周りは荒れた田んぼないし、草むらが広がっていた。
「ここでは泊まれないなぁ、いや、泊まりたくない・・・」
と思いながら、雨の中、敷地内の泥だしから作業をはじめた。
実際、常連ボランティアの何人かは、コンビニや飲食店が
徒歩圏内にある『道の駅南相馬』で車中泊しているという。
(車中泊もキツいし、ビジネスホテル代ももったいないなぁ・・・)
一人で来た時は、土曜日1日作業してそのまま休みやすみ運転して帰ろうと思った。
(そうすると夜中の2時頃自宅に着く。)

何度か一緒に活動した、鳶職が本業の常連ボラさんが、楽しそうに、
そして器用に、鉄パイプとトタン屋根をつなげて、集会所を作っていた。
「星をみんなで見ながら酒が飲めるよ」と言いながら。お昼に、
初めてボランティアに来たという福島県内に住んでいる女性とお話しをした。
「震災後、やっと自分で何か行動しようという気持ちになってここに来ました。
清田さん 何度も福島に来てくれていてありがとう。」
この会話ができただけでも、来て良かったと思った。
その時トタン屋根が雨をしのいでくれていた。 

住民とかかわりを持ちたい、作業の優先順位・・・そういう主観と感情を
超えた先にもきっと大切なものや繋がりがあると感じた。 
仕事ではないので、南相馬では全体の流れに身を任せ、
いろいろ感じ、学んでいきたいと思う。

◆7月28日 てきや一人
南相馬市での活動内容はボラセンのミーティング(マッチング)で決まる。
松本ボラセンター長がその日の活動場所を複数設定し、
場所ごとにリーダーが配置され、市場のセリのような雰囲気で
活動場所ごとに希望者が募られ、早いもの順に締め切られていく。
お宅のがれき撤去だと、住民の方々との出逢い、ふれあいが生まれて
うれしくありがたいが、その場、その時の活動内容よりも、
てきやはがれきと泥がなくなるまで、南相馬市に足を運び続けることが
大切だとおもっているので、いつも最後まで手を挙げずに
人が足りなさそうなところに加わっている。
どんな活動でもきっと意味と価値とつながりがあるとおもいながら。

この日は神社周辺の草刈りだった。とても暑かった。
初対面のボラさんたちと力を合わせてがんばった。
以前出逢った、山形で農業をしている方も一緒だった。
お米をお土産にもらった。「だだちゃ豆、収穫したら送るね」と言ってくれた。
うれしかった。そして心地よい疲れと充実感が残った。
ただこの神社の草刈りを依頼された方は、入院されているとのこと、
今日も、住民の顔が見えなかった。さみしさも残った。

◆8月11・12日 てきやとやまちゃん
この2日間は、20キロ圏内小高区塚原地区で草刈りと側溝の泥出し、
がれき撤去を行った。11日の夜は花火大会だった。
震災で亡くなられた方々の慰霊のためとのこと・・・
花火を見ながら、この日の昼間会った、壊れた家の縁側で
ニコニコしながら座っていたおばあちゃんの姿を思い出していた自分がいた。
花火そのもののように、まるでまだら模様に南相馬市は、
かなしみが織り込まれていると感じた。
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壊れた家の中を片付けている老夫婦の後ろ姿、草ぼうぼうの田んぼ、
置き去りにされたいき場のないがれき、まだ当たり前のように、
田んぼに突き刺さったままの車・・・
・・・本当に復興すべきは、被災地ではなく、この局面を見過ごし続けている
日本そのものなんじゃないかと思った。
 
◆8月25日 てきや一人
この日は農道の草刈りを20名ほどのボラで行った。 
とても広かった。場所によっては人の背丈位伸びているところがあった。
農道を整備しなくては除染作業もできないし、田んぼの復活もない。
地味だけど大事な作業と感じながら、エンジン付き草刈り機を一日中動かし続けた。

昼休み、同じ千葉県の鴨川から来たボラさんが、草ぼうぼうの田んぼを
見つめながらつぶやいた。『この状況だとまた来なければならんな・・・』 
「同感です。」 とてきやもつぶやいた。

午後、今日1日では終わらないと言われた水路脇の農道の草刈りに着手した。
「終わらせよう」と思った。時間に追われながら夢中で草刈り機を
左右に振り回し、草と格闘しながら前進した。
右腕と左耳をアブに刺されチクチクし、痛がゆかったが、前進を続けた。
気がつくと他のボラさんも応援に来てくれていた。
そして、振り返ると道ができていた。水路脇の農道を復活させた。
すごくきもちよかった。
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帰りに所有者の方と挨拶をさせて頂いた。
『みなさんが来てくれたこと、忘れません』とお辞儀をされた。
「田んぼを早く復活させたいですね。」 とてきやもお辞儀をした。



てきやが尊敬している神田橋先生の本のなかで、
ミルトン・エリクソンのことばが紹介されている。
てきやが時々思い出す大好きなフレーズである。

『私の言葉が、今後あなたのお友達の声として、いろいろな人々の声として、
そして風の音として、波の音として、今後ずっとあなたの中で響くでしょう』

『福島を置き去りにはしないという想いと行動が、声として、音として、響き、届きますように 』

よみがえれ福島 南相馬    秋もまた南相馬へ

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# by aoesupport | 2012-09-05 15:00 | 活動報告など
やっさんです。

てきやさんの三熊野神社の記事から更新が滞っておりました。
そして、8月の暑さも少しやわらぎ、9月にはいってしまいました。
9月11日で東日本大震災から1年半を迎えることになります。

HS神戸サポートチームとは、せいちゃんの被災地での活動を応援する
と同時に、できる人が力をあわせてやれることをやるために作ったチームです。
われわれの母体であるAOE関係のメンバーを中心に何かできるだろうとはじめ、
いいのんちゃんが先陣を切り、ひろみのだんなさんでもあるこもゆうがチームをつくり、
AOEのてきやがチームを作り、活動を続けてきました。

1年半の中で、こもゆうチームは多くのメンバーが集まり、その中で自主的に
被災地での活動を熱心に続けるようになり、チームから独立していくことになりました。
いいのんちゃんは、個人の力で様々なことにチャレンジして、今でも被災地で地元で
活動を続けてくれています。てきやチームは、前回の記事でチームとしては解散し、
今後はてきやと友人でできる限りの活動を続けていくようです。
私は個人的な理由もあり、後方支援と広報活動につとめることしかできませんでしたが、
看板屋さん仲間や地域の活動仲間などにも、ボランティア活動を少しは
広めることができたかなと思っております。

何でも良いので記事を集めて、ブログだけを更新するということもできますが、
実際、7月からてきやさんがチームとして活動しなくなってからは、
HS神戸サポートチームとしては実際の活動がみえなくなっておりました。
力をあわせて乗り切らなければ、乗り越えられないと考えたこの大震災ですが、
個人で活動を続けられるようになり、時とともに力をあわせてチームで活動するより
もっと広く活動ができるようになったのかもしれません。

さて、今後どうしていくか?私個人で考えて決めてしまうわけにもいきませんが、
まずは1年半でいったん会計を集計し、サポートチームの活動を、まとめてみようかと
考えております。何か意見がありましたら、遠慮なくコメントいただければと思います。

1年半の間で、私個人の一番の変化は息子が生まれたことです。自分というものを
強く持っている私ですが、ただ、それだけのことで自分の感情や考え方に
大きな変化が生まれていることに驚いております。
ブログの最初の頃に、皆様にお知らせした歌がありました。「満月の夕」という曲です。
東日本の震災の映像にあわせて流れるこのPVですが、先日見返してみて当時は
感じえなかった心の動きを感じました。それぞれの1年半という時間があると思います。
震災から1年半を迎えるこの時に、再びあの曲をおくります。


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# by aoesupport | 2012-09-03 21:30 | ありがとう!
石巻・牡鹿半島大原での活動報告7月14・15日 『 遙かなれり 大原!』

7月14・15日石巻牡鹿半島大原の三熊野神社の夏祭りで
たこ焼きを焼いてきました。(^-^)とても楽しく、いとおしい時でした。
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14日の前夜祭は神社の境内でたこ焼き初披露となりました。
生ビール、焼き鳥も振る舞われ、小中学生や浴衣姿の女性も、
たこ焼きを食べてくれて・・・神事にも参加させて頂き、巫女さんの舞、
獅子舞、太鼓と笛が鳴り響き、楽しく賑やかに夜が更けていきました。
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明けて、15日の本祭では、てきやは再びたこ焼きを焼き、てきやチームの
はじめちゃん、やまちゃん、イッチーは20数名で御神輿を担ぎました。
葛城ユキさんも駆けつけてくれて『ボヘミアン』他オリジナルの歌も
熱唱してくれて、心のこもったあたたかい語りも加わり、圧倒的な
力強い歌唱力と共にみんなの心に響きました。
何人かの人から『てきやさん、うまいっちゃ、来年も再来年もたこ焼き、
焼いてくれっちゃ 』 と言ってもらいました。
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神事に参加させて頂いた後、神社から少し離れた所で夜の海を
見つめていると自然と涙が出てきました。
・・・大原の人たちに受け入れてもらえたうれしさ・・・ 
大原の人たちが笑顔でいられなかった時もあった・・・
今は、今日はみんなの笑顔が見られた・・・
そして・・・がれきと泥まみれだったこの地で再び、お祭りができたこと・・・
これまでの活動を振り返りつつ、涙の理由とこみ上げてくるあたたかさと
よろこびに言葉を探している自分がいました。

巫女さんが舞い、笛の音やみんなの笑い声が聞こえて来ます。
気がつくと、小形棟梁が寄り添うように立っていました。
『てきやさん、やっとここまできたなぁ ちょっと安心した』
ゆっくり、一言ずつかみしめるように語る棟梁の、
「・・・ここまできた・・・」という言葉が心に染みて、深く頷きました。
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そして慰労会では、無事に盛大に終わったお祭りの余韻に包まれながら、
以前にいつか一緒に釣りに行きましょうという話をした阿部副区長さんと
日本酒を酌み交わしました。
「まだ田んぼには津波による釘やガラスの破片などの小さながれきが
残っている。これを取り除かないと田畑の再生ができない。
塩抜きや放射能検査はやっているけど、この小さながれき撤去は
気の遠くなるような作業でなかなか進まないけど、反骨精神で
何とか頑張っている。山や田畑が荒れれば海もダメになる。
それをくい止めたいんだ。でも、農業を続ける気力を失った人たちもいる。
震災のダメージってまだまだ大きい。」
そのようなお話しを伺いました。てきやは、田畑のいろいろな
お手伝いを是非、是非やらせて下さいと返しました。

これからは、大原には、災害が起きてしまったら真っ先に駆けつけたいし、
農業・漁業の手伝いや、お祭りで再び、たこ焼きを焼きに行ったり、
御神輿を担いだり、仲間として大切な人たちに会いに行くというかかわりを
ずっと続けて行きたいとおもっています。
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そして・・・これまでとかかわりかたが変わることもあり、
ボランティアチームとして活動してきた「てきやチーム」は解散します。
また、今後のてきやのボランティア活動については、チームではなく、
有志という形を取りながらまだまだがれきと泥が残る、
南相馬市での活動に重点を絞り、継続的に且つ、精力的に続けて行くつもりです。

南相馬市、石巻の大原も含めて、まだ心災と震災は続いています。
まだ道の途中・・・出逢いとかかわりに感謝しつつ、自分らしい生き方をとおもっています。

『 遙かなれり 大原!』  てきやこと清田和男
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# by aoesupport | 2012-07-21 00:59 | 活動報告など
やっさんです。

九州をおそった豪雨はかなりの被害を見せております。
昨年の台風で石巻でもかなりの被害をうけて、
その様子は、海からくる津波と同じようなものが
山から来た山津波だと言われておりました。
TV等で見る画像は、まさにその山津波そのものでした。
被害にあった皆様にお見舞いの言葉をかけるとともに、
現地では助けの手も必要とされておりますので、
できる人ができることをしていくことが大切ですね。

そんな週末ですが、てきやチーム・こもゆうチームのベースでもある
石巻大原の三熊野神社では夏まつり(夏の例祭)が開かれます。
7月14日(夜)前夜祭 7月15日本祭という予定です。
三熊野神社は地震でかなりの被害をうけて、山門の石段がくずれて
本堂も先日引起しでの修理がやっと完了したところです。

我々が震災後の4月の末にはじめて、大原に入った時には、
大原の人々は毎日、自分の家の片付けより先に
この神社を片付け、自力で石段を組み直していました。
最初はその意味がわからなかったのですが、後の付き合いの中で
この土地の神社に対する大原の人々の強い思いを感じることができて
昨年は形だけの例祭にこもゆうなども参加し、御酒を奉納させてもらいました。

今年いよいよ、例祭とともに地域の夏祭りが復活するということで、
てきやさんが4人の仲間と、たこやきを焼きに向かいます。
大原の人々と祭りを復活させて、たこやきを焼くというのは
てきやさんの悲願ですし、大きな復興への一歩となります。
仙台からお神輿も寄贈されたという話もありますし、
きっとサポートチームの他のメンバーも大勢参加するでしょうから、
盛大ににぎやかに祭りが行われる事でしょう。
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皆さんも自分の地域の祭りに参加していますか?
夏祭りがこの7月と8月に行われますが、そういう場に参加することで
平時より地域のコミュニティのつながりを強くしていることが
災害時にどれだけ協力して対処できるかにつながっていきます。
大原に行くことはできない人も、地域のお祭りにふらっと足を運んで
地元のつながりやコミュニティの形などを見ておくのもお勧めです。
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# by aoesupport | 2012-07-13 10:50 | 今週の予定
石巻 大原活動報告 6月23・24日

『雰囲気を・・・』

今回 すごく楽しかったです。いつもの、てきや、イッチー、はじめちゃんに、
てきやの職場の後輩の「伊達っち」も加わっての活動でした。

活動内容は23日 大原の漁師の斎藤さんの牡蠣の種付け
24日 早朝の神社の清掃及び草むしりプラスお昼まで
前日同様牡蠣の種付け作業を行いました。
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住民の人たちと一緒に牡蠣の子供が付いたホタテの貝殻を
等間隔で縄に固定する作業でした。これを海に沈めて育てると
2年後に食べ頃になるそうです。それなりにハードな作業でしたが
海の風が心地よく住民の方々と会話しながらの作業はとても楽しかったです。
聞き慣れた方言やなまりにぬくもりを感じました。
休憩中、震災直後のお話しをして下さったり、
「(てきやの住んでいる)千葉で災害が起きたら今度はおらたちが行くっちゃ 」
と言って下さったり、心のつながりを感じられたひとときでした。
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作業後は小形棟梁に会いに行ったり、高橋さん、平さんやっちんさんたちと
おいしいお酒を飲みながら、田植えを昼間していたという平さんに、
「今度は一緒に畑仕事をさせて下さい。」と頼みこんでいる自分がいました。
これからは、純粋なボランティアとしてではなく「てきや君」として、
漁業・農業・神社再建のお手伝いを兼ねて大切な人たちに会いに行く
という形が取れそうです。こうして、大原の住民の方々と一緒に
作業ができて当たり前のように一緒にお酒が飲めること、
とてもうれしく、ありがたいこととおもっています。
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前回のメカブ作業と今回の作業をさせて頂いて、はたらくよろこび、
誰かの、何かの役にたてるよろこびを実感することができました。
前回お土産に頂いたメカブとワカメを母に渡したらとても気に入ったらしく
メカブがなくなると母は船橋の東武デパートに行って気仙沼のメカブを
大量に買ってきました。そんな母が、
「お前が宮城にこんなに行かなかったら、東北のメカブやワカメが
こんなにおいしかったことを知らないままだった。今回、売り値で
ワカメとメカブを買ってきなさい。そしてたくさんお手伝いしてきなさい。」
と送り出されました。母からこんなことばをもらったのは、はじめてでした。
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そして今回、職場の後輩の伊達っちの初参加。
そして、はじめちゃん、イッチー、やまちゃんという、年をまたいで
共に行動してきてくれた仲間の存在 いろいろな形で活動を理解し、
支援して下さった方々の存在。自分が勝手にはじめた活動が
いろいろな意味と価値とつながりが加わり、とてもうれしくありがたくおもっています。
振り返ると・・・一緒にがれきを片付け、泥出しを行い、語りあえた日々・・・(^-^)
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てきやが尊敬している、神田橋條治先生のことばに、『雰囲気を受け止めて雰囲気で返す』
ということばがあります。 感謝のおもいと共に、このことばを実生活で
実践する構えが取れたら・・・より豊かな人とのかかわりが持てるんだろうな・・・
とイメージしていましたが、あこがれにとどまり、ずっと遠くに感じていました。
この活動を通してこのことばを近くに感じられる時を頂きました。

『雰囲気を受け止めて雰囲気を返す』
とは、そういう構えを身につけることではなく、人と人との間に漂っているもの、
浮かび上がっているものを感じてつかみ、寄り添いながら共に
時を過ごしていくことのようにおもいました。
そして次は、神社のお祭りでたこ焼きを焼いてきます。 (^-^)

てきやこと清田和男
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# by aoesupport | 2012-07-05 18:30 | 活動報告など
やっさんです。てきやさんより南相馬市での活動報告いただきました。
やっと避難区域解除になった小高地区では、戻ってきた住民による
生活の取戻しへの戦いがはじまっております。
しかし、その被害や時間の経過とともに現れる様々な障害により
一人では戦いきれるものではないように思われます。
ぜひ、レポートを読んで何か感じて考えてあげてください。
++++++++++++++++++++++++++++++++
南相馬市活動報告 6月9・10日 『今日より明日』

今回も南相馬市で活動してきました。
9日はボランティア宿泊キャンプ場の整備、10日は20キロ圏内
小高区のお宅の庭のがれき撤去と泥出しを行いました。

ボランティア宿泊キャンプ場とは・・・今までボラセン事務所・宿泊所
として使用させて頂いてきた児童館からの立ち退きを命じられた関係で、
田んぼに囲まれた原っぱにテントが設営されており、
中古のプレハブを設置予定とのこと、このプレハブが
女性ボラさんの宿泊所及び、ボラセン本部(昼間の事務所・
受け付けは20キロ圏内小高区の社協会館なので場所は異なります。)
となり、男性ボラは今後こちらのテントでの宿泊をとのことでした。
立ち退きを迫られている中での急ぎの作業みたいで朝からの雨の中を
プレハブが水平に建つよう地ならしをしてスコップで土を掘ったり盛ったり
の高さ調整をしたり、プレハブ設置予定地及びテント周辺の排水側溝作り
のため、土を掘ったり、テント内の草むしりをしたりしました。
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自分は仕事を休んでまでのボランティア活動は美しくないと思っています。
福島での活動の場合、冬場に深夜の雪道の運転に備えて
金曜日に2回ほど職場を早退した位で通常は、普通に仕事をして、
金曜日の夜遅めから運転して、明け方5時頃南相馬市内着、
コンビニ前でしばしの仮眠、土曜日と日曜日のお昼まで作業し、
運転して日曜日の夜、自宅に着くのはだいたい22時位という
タイムテーブルで活動しています。
もちろん月曜日は普通に出勤しています。

ただ、「この流れでテント泊は正直つらいなぁ」 と感じました。
南相馬市の5000円以下のビジネスホテルはいつもほぼ満室の状況で
高い宿泊料金は払えないてきやにとっては、これからは、ここでの
テント泊か南相馬の道の駅での車中泊のどちらかを余儀なくされます。

午後になり、雨足がさらに強まる中、これから宿泊がテントになってしまう
ことのとまどいと抵抗感を拭えないまま、20キロ圏内はこれから
人手が必要なのにどうしてこういう不利な状況になっちゃうのかなぁ
意味のある活動なのにますますボラが減ってしまう・・・
やまない雨の中でそんなことを思いながらの作業でした。

夜は山形で農業をしているボラさんと酒を酌み交わしつつ、
「実家が宮城県の仙台なんです。石巻にも来てくれていたんだね。 ありがとう。」
なんて言ってもらい、うまい酒となり、常連ボラさんともしばしお話しができて、
いい時を過ごせた最後の児童館での一夜でした。

そして日曜日の活動前のミーティングでは、ボラセン新事務所となった
20キロ圏内小高区の社協会館で南相馬市社会福祉協議会会長の
門馬さんが今回もお話しをして下さいました。

みじめな南相馬市に来てくれてありがとう。
九州の○○市の市長さんが私の元を訪れてくれました。その市長さんいわく、
「去年南相馬市にうちの職員を20名近くがれき撤去に派遣した。
今年度もと思ったけど、報道で見た3号機の状況・・・再び大きな地震が
起きたら爆発する、そんな危険な地域にうちの職員を派遣することは
できない。どうかご理解下さい。」』
門馬会長は続けてこう話されました。
『理解して下さいと言われても理解できるものではない。でも来てくれとも言えない。
ひとつだけはっきりしていることは私には逃げ場がない。
皆さん南相馬市にがれきや泥を撤去しようと雨の中来てくれて本当にありがとう。』

門馬会長が冒頭に使われた「みじめな」という言葉にはびっくりもしたし、
最初聞き間違いかとも思いました。が、お話を全部聴き終えて、
相当置き去りにされた感があるんだなと感じました。
そして『・・・私には逃げ場がない・・・』
この言葉がてきやの心に重く響きました。
そして前回のおばあちゃんのようにここで住みぬこうとする人もいること。

この地や人々が置き去りにされていってほしくないと強くおもいました。
自分は南相馬市にボランティアに行くことだけが正解ではないと思っています。
南相馬市でのボランティア活動を自慢する気もありません。
人にはそれぞれ役割や立場や責任や使命があると思います。
そしてそれぞれの時や縁やしがらみもあります。

本当にこわいのは無関心と風化・・・
そしてこの日は20キロ圏内小高区のお宅の庭のがれき撤去と泥出しを
行いました。この日も雨でした。農家のおじいちゃんのお宅でした。
『・・・田んぼは放射能であと10年はだめだろう・・・同じ20キロ圏内でも
家に帰れる見込みのない地域もある。それに比べたら家に帰れるように
なったのはありがたいこと。 とにかくがれきと泥を片付けないと
何もはじめられないんだ・・・』
一年以上放置され続けていた泥は固く硬直していました。
雨に打たれながら剣先スコップを突き立てる少数のボランティアたち 
いかりやかなしみを表出することなく、淡々と笑みすら浮かべて、
被害状況を語り続けるおじいちゃん・・・
そのおじいちゃんの後ろには壊れた家が見えました。

今回も心が痛かったです。 その自分の心の痛みに
『また来ます』という言葉で蓋をした自分がいました。
今回一人での参加だったこともあり、
「なぜ 自分はこの活動を続けているのか?」という自問自答をしていました。
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・誰かの、何かの役に立っているという、確かな実感と手ごたえがあること。
・一緒に活動してくれたり、わかってくれている、話を聴いてくれる場や仲間の存在
・カンパを託してくれたり、活動を理解して下さり、
  あたたかいフィードバックをくれる方々の存在
そして、この活動を通して出逢い関わった方々の顔と
あたたかいかかわりあいが宝物のようにたくさん浮かびました。
それが自分がこの活動を続ける理由です。(^-^)

南相馬市におもいをはせる時、自分はこうおもいます。
『今日より明日なんだ』と。   例えば、
「今日、がれきを撤去して、明日以降庭に花をまた植えよう。」
『今日より明日』
住民の方がそうおもってもらえるよう願いつつ、そこにまだ
泥とがれきが残っているのなら自分はこの活動を続けていきます。(^-^)

てきやこと清田 和男
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# by aoesupport | 2012-06-16 20:30 | 活動報告など