てきやチーム福島県南相馬での活動
2012年 02月 05日
吉村誠司報告会の日に、てきやチームは定例派遣の日程でした。
いつもの大原では実作業がないということで、体を動かしたい
てきやさんはまだ力仕事の残っている南相馬市に4名で向かいました。
地域は違えど、地震津波・そして原発の被災地ではありますので、
こちらで、報告させていただきます。
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皆様、今年は大原の人たちとの出逢いとかかわりを誠実に(^-^)大切にしつつ、
福島でも活動するつもりでおります。今年も昨年と変わらぬ活動への
ご理解とご協力を頂けましたらありがたく思います。
よろしくお願い致します。
1月のてきやの活動報告です。 読んで頂けたらうれしいです。
『顔が見えないからこそ』
1月28・29日 新年の活動を福島からはじめました。メンバーは、
こもゆうチームから宮澤温子さん、吉田麻衣子さん、てきやが
カウンセリングの勉強をしている『東京カウンセリング・スクール=NPO CESC セスク』
http://www.npo-cesc.net/report/index.htmから
江原直輝さんも加わって4人で福島県南相馬仲町ボランティア活動センターへ向かいました。
28日(土)は原町区雫(しどけ)地区の側溝の泥だしを、29日(日)の午前中は、
津波の被害にあわれたお宅の瓦礫の片付け(主に瓦の収集)を行いました。
まず印象的だったのは福島はまだ瓦礫撤去と泥だしが
こんなに残っているのか・・・と思いました。
原町区雫地区・・・原発から21~22キロ離れたところだそうです。
近くに海が見えました。『住宅街だった』と聞きましたが今はただ
枯れ草が目立つ荒野が広がっていました。
久しぶりにスコップを握れたことはうれしかったのですが・・・・・
いくつかの疑問を抱きながらの作業でした。
ここに住んでいた方々は今どちらに?仮設?県外?
海と原発に近すぎるこの地はこれからどうなるのだろうか?
この側溝の泥だしは意味があるのかな?
石巻なら作業の途中で住民の方々とのかかわりがなにかしらあったなぁ・・・
住民の方の顔が見えない・・・
空と海は青く、風は強く冷たかったです。
そして地はかなしみがとてもふかいように感じました。
雪が残る帰り道を運転しながら、今回活動した場所に
せめて花が咲いてほしいなとおもいました。
住めなくなってしまったふるさとがいつかまた復活しますように
これからも同じ日本の地である福島に目と足と心を向けていきたいとおもっています。
そしてまたこの地に来ようとおもっています。
てきやこと清田和男
いつもの大原では実作業がないということで、体を動かしたい
てきやさんはまだ力仕事の残っている南相馬市に4名で向かいました。
地域は違えど、地震津波・そして原発の被災地ではありますので、
こちらで、報告させていただきます。
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皆様、今年は大原の人たちとの出逢いとかかわりを誠実に(^-^)大切にしつつ、
福島でも活動するつもりでおります。今年も昨年と変わらぬ活動への
ご理解とご協力を頂けましたらありがたく思います。
よろしくお願い致します。
1月のてきやの活動報告です。 読んで頂けたらうれしいです。
『顔が見えないからこそ』
1月28・29日 新年の活動を福島からはじめました。メンバーは、
こもゆうチームから宮澤温子さん、吉田麻衣子さん、てきやが
カウンセリングの勉強をしている『東京カウンセリング・スクール=NPO CESC セスク』
http://www.npo-cesc.net/report/index.htmから
江原直輝さんも加わって4人で福島県南相馬仲町ボランティア活動センターへ向かいました。
28日(土)は原町区雫(しどけ)地区の側溝の泥だしを、29日(日)の午前中は、
津波の被害にあわれたお宅の瓦礫の片付け(主に瓦の収集)を行いました。
まず印象的だったのは福島はまだ瓦礫撤去と泥だしが
こんなに残っているのか・・・と思いました。
原町区雫地区・・・原発から21~22キロ離れたところだそうです。
近くに海が見えました。『住宅街だった』と聞きましたが今はただ
枯れ草が目立つ荒野が広がっていました。
久しぶりにスコップを握れたことはうれしかったのですが・・・・・
いくつかの疑問を抱きながらの作業でした。
ここに住んでいた方々は今どちらに?仮設?県外?
海と原発に近すぎるこの地はこれからどうなるのだろうか?
この側溝の泥だしは意味があるのかな?
石巻なら作業の途中で住民の方々とのかかわりがなにかしらあったなぁ・・・
住民の方の顔が見えない・・・
空と海は青く、風は強く冷たかったです。
そして地はかなしみがとてもふかいように感じました。
雪が残る帰り道を運転しながら、今回活動した場所に
せめて花が咲いてほしいなとおもいました。
住めなくなってしまったふるさとがいつかまた復活しますように
これからも同じ日本の地である福島に目と足と心を向けていきたいとおもっています。
そしてまたこの地に来ようとおもっています。
てきやこと清田和男
by aoesupport
| 2012-02-05 10:30
| 活動報告など